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Scramble 5 (再創造/五十六)

「水族館さん」
 朝の縹高校。校舎を見上げる正門の手前。
 歩みを止める声があった。
 呼び名ですぐに理解する。
「紫尽くんかあ」
 牧野は振り返らずに答える。
「えっ?! どうしてわかるんですか?! 水族館さん背中に目がついてる?!」
「いやいや。単に僕を名前で呼ぶ人が君しかいないってだけ」
「ええ、ほんとですかそれ。寂しい……」
「寂しいとかないしー!」
 素早く振り返った牧野が紫尽に飛びかかる。肩から首をくすぐられた紫尽がふふふと声を上げた。無人の霧深い正門。
 鳥が鳴いた。
「で、なにさ。呼び止めたからには用があるんだろう? この水族館先輩に!」
 牧野が己を指差して意味も無くポーズをとる。
「あっそうです。そうでした。忘れるとこだった……じゃなくて、えっと、水族館さん。まずはすみません」
「え。なに。怖い」
「俺、牧野さんが殺人犯だってこと、水鳥に聞いて知ってたんですよ」
 突然の告白に空気は凍りつく――こともなく、牧野は朗らかな笑みのままだ。それも一層明るく見え、
「なんとなくわかってたよ」
そう言った。
「そうですか。やっぱり。すごいですね水族館さん」
「全然すごいと思ってないなそれ。敬えよ!」
「敬ってますよー! 割と本気で! まあまあ、それで、その上で、今日は話したいことがあるんです。お話というか……」
 紫尽も笑顔だった。背中で手を組んで牧野を見上げている。牧野は一息の間、笑うべきではないという気持ちになった。そんなものは一時の気の迷い、一時の気まぐれ程度の感情だったが。
「お願い、ですね」
 言葉は閉じられる。九月十一日。『秩序』破壊から二日後の火曜日の朝の出来事であった。

「で、その面談巡りのトリが僕ってわけだ」
 九月十一日。火曜日。
 夕刻。縹高校近くのラーメン屋。壁際のテーブル。
「それは一昨日済ませただろ。記念すべきハナで」
「えーあれは日常の一部でしょー。わざわざやっての面談だし」
 あれこれ和やかに、二人の対話は進行する。予定調和に穏やかに。無為の平和の上に。ただ今はほんの少し、有為が混じり始めている。
 一滴の有為が、透明な無為の中で赤色を広げていく。
「まあ、そうだね。というわけでこう。一応の特別席を設けたわけだけど」
「いつもの場所じゃん!」
「はい、炒飯餃子セットと、ダブル餃子セットねー」
 テーブルに一皿の炒飯と三皿の餃子が置かれる。
 変わらない景色だ。
 見つめる『秩序』は別人だったが。
 湯気の向こうで、牧野が餃子に齧りついている。
「んー美味!」
「お前、本当に美味しそうに食べるよなあ」
「だって美味いもん」
 頬に餃子を詰めての一言だ。
「じゃ、食べてみようかな」
「え」
 牧野が固まる。
「あの匂いだけでも嫌だって! 顔をしかめていた餃子嫌いの平山が! 餃子を! 食べるだって!」
「やめてよ。大袈裟な」
 平山は肘をテーブルにつけて口元を覆う。
「そんな嫌じゃないよ」
「うそーん」
「ほんと」
「じゃあ食え!」
 箸で掴んだ餃子がひとつ、口元に差し出された。
 いつかの仕返しのようだ。
 平山はそう思いながら、顔を乗り出して餃子を受け取る。
 牧野がこちらを見ている。
 サクサクと音。
 バリバリと。
 ジュワー、と――。
「あっつ!!」
「やーほんと。平山反省してよね。これめちゃくちゃ熱いんだから。僕平然としながら口の中は山火事だったからね」
「ほ、ほんほひ……」
 本当に仕返しだったとは、と、平山は言いたかったのだが言葉は途切れた。
 牧野は満足そうな笑みで語る。
「美味しい? まだ喋れないかー。ていうかさ、これ面談なんだよね? なんで平山餃子克服大会になってるのさ。面談してよ。僕にも何らかを問うてよ! さあさあ!」
 最中も、スナック菓子か何かのように餃子を掴んでは口へ入れ、軽快な咀嚼を続ける牧野。
 ようやく飲み込んで、平山は涙目ながらも真っすぐに答える。
「まずは餃子。美味しかった。食べず嫌いでした。反省しています……。次に面談。牧野。このまま逃げる気はない? どうにか耐えて、この場所で生き続ける。そんな選択はどうかな」
 瞬きに、向かいの姿を収める。
「うん。無いね」
「そう。良かったよ」

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