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Drawing (再創造/六十四)

 晩秋。
「おはよう、行仁くん」
「もうお昼ですよ。平山さん」
「まあ、そうだね。いやー冷える」
 両手を擦り合わせ、息を吹きかける平山。
 昼の屋上は続いていた。
 昼食をとうに終えた水鳥も、この場所に在り続けている。
「ねえ、行仁くん」
「なんですか」
 寒さにも顔を上げ、行仁水鳥が答える。
 今、この舞台に立つのは彼らのみ。
「うん。僕がさ、いま目の前のこの街、縹の街の何もかもが、一面の海に見えるって言ったら、どうする?」
「海ですか」
「そう。海。海しかない。ずっと海。永遠に海。青い海。この寒空の下でも輝く海。たまに船が通ったり、鳥が鳴いてたりする。日暮れの頃はとても綺麗だろう。真夜中でも暖かい音を奏でるだろう――そんな海。穏やかで凪いだ、安らかな海。でもね、こう話しても誰も海を信じてくれないんだ」
「そうでしょうね」
 風が吹いた。背後の山から吹き下ろす風は、潮の香りとは無縁。海などどこにもない。見えない。眼下に広がるは冬に向けて色の褪せゆく縹の街。
「でもね、誰も信じてくれなくたって、彼にとって海は間違いなく真実だった」
 平山錐仙は眼下の街並みを両腕で示した。
「それでも、誰も信じないでしょう。そうしたら彼はどこへ行きますか?」
「飛び込むよ。海を愛するが故にね」
 鳥などどこにもいない。
「でも、誰もがそれを止める事ができる。余計な手でも止めずにはいられないだろう。だって、別世界を見ているらしい目の前の男だけは、確かに同じ世界を生きているんだ」
 冬を待つ重い曇り空。ふと、雲が切れた。細い光の筋が瞬く間に広がり、屋上を包み込んだ。
 暖かく照らされる。
 行仁水鳥が静かに瞬く。
「俺は止めません。彼は彼の世界を生きています」
 薄赤茶が柔らかく揺れる。
「ただ、覚えています。ずっと。彼がここに居たことを。彼の海が、ここに生きた彼の目を通して、確かに存在したことを」



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