rad_h

1996|放射線技師 元気にやってます。

rad_h

1996|放射線技師 元気にやってます。

最近の記事

2022年7月8日

朝6時。 いつも通りアラームが鳴り、犬が吠え、起きる。 軽く身支度を整える。 きのう作ったミートソースのパスタとサラダチキンを弁当箱という名のタッパーに詰める。 通勤は車で30分程度。まだ朝が早いので、道も空いている。 到着。きょうの業務内容を確認する。 7時40分。業務開始、1件目の現場へ向かう。 きょうは暇な日だ。空き時間に又吉直樹の「人間」を読みながら患者を待つ。 11時。午前の業務終了、2件目の現場へ向かう道中で休憩地点を探す。 偶然にも近くに空港があったため、

    • この街が「フクシマ」になった日

      以下、2019年3月にわたしが初めて福島を訪れたときに書いた記録です。 2011.3.11 14:46 この街が「福島」から「フクシマ」になった日。 - 津波による被害だけでなく、原発事故による被害、そして風評被害。 メディアでしか見た事のなかった世界が岩手の陸前高田だけでなく、ここにも広がっていました。 日本縦断をしていた昨年、福島を訪れる2日前に岩手・陸前高田に足を運び、被災地の「いま」を私なりに見つめていました。 - 帰還困難区域では、街が死んでいた。 バリケー

      • 少しの間、旅に出ていました。ずっと憧れだった場所へ。小さい頃から大好きな海の外の世界で、美しすぎる景色と素敵な出会いに恵まれて、沢山笑えるようになって帰ってきました。もっともっと前へ、今の私なら進める気がする。

        • 新卒1年目、忘年会ハラスメントに遭いました。

          12/26(木) 全てのかたがついた朝、ひとり目覚める。仕事には行けなかった。 きっとひとを殺すのは、無関心なのだと身に沁みて感じた。 こんなものはきっと、日本社会を見渡せば日常茶飯事で心が折れてしまった私が弱いのだと思う。もっともっときついパワハラ・モラハラに遭っている人が沢山いるであろうことも予想がつく。 それでも、わたしはただ悲しかった。わたしの置かれた状況が、社会人1年目22歳のわたしがこんな社会の闇を見ていることが、この状況がまるで日常かのように起きていたあ

        2022年7月8日

        • この街が「フクシマ」になった日

        • 少しの間、旅に出ていました。ずっと憧れだった場所へ。小さい頃から大好きな海の外の世界で、美しすぎる景色と素敵な出会いに恵まれて、沢山笑えるようになって帰ってきました。もっともっと前へ、今の私なら進める気がする。

        • 新卒1年目、忘年会ハラスメントに遭いました。