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母親だから、で諦めたくない。でも“母親だから”も大切にしたい。

「母親だから、で諦めていませんか?」

母になってから、時折このような広告を見つけては、
「そうだなぁ、諦めてるなぁ」と思うことが多くなった。

月1で通っていた大好きな美容院は3ヶ月に1回行ければ良い方だし、夜は17時には自宅に帰り、子供のご飯の用意をし、夜20時半には寝かしつけのため一緒にベットに入る。

夜遅くまで見るネトフリの楽しさも、居酒屋で飲むビールの美味しさも、今はもう忘れてしまって、私は「母」として生きているなと感じることが多くなった。

そんなときに「母親だから、諦めている」と言われると、「まぁ、たしかにそうだよなぁ」と思うし、「なんで母親だからといって諦めなければならないんだろう」と言われると、「うん、そうだよなぁ」と思う。

ただ、「母親だから」という部分が、私を幸せにしてくれている日々が確実にあることも、同時に感じるようになった。

寝かしつけの前、一緒にベットに入ると、こちらを見てなにやらニヤニヤしている息子と目が合う。

息子が生まれる前、いつもベットに入ると目があっていたのは、自分の携帯電話の向こうにいる誰かだったのに、今は目の前の「人」がいる。
instaやTwitter(X)はめったに更新しなくなったけど、目の前で嬉しそうに絵本を持ってくる息子に、絵本を読んであげられる日々が、なんて幸せなんだろう、と思ったりもする。

ニヤニヤしている息子を抱き上げて、高い高いをすると、息子は「キャッキャ」と言って笑う。その笑い声がなんとも可愛くて可愛くて、また私は嬉しくて、息子を高い高いしながら思うのだ。

こんな「母親だから」の時間も、ずっとずっと、大切にしたいものなんだなぁと。
もちろん、諦めたくない時間だってある。

ひとりで映画を見たり、読書をしたり、ちょっとオシャレな路地裏にあるカフェにはいったり。

だけどそれは「母親じゃなくても」きっとできること。
いつか、子供が巣立っていったとき、私に残されている楽しみにでもあるんだなぁと思ったりもする。

母になって一番最初(特に今年のはじめ)あたりは、とにかく育児が苦しくて、しんどくて、全然子供をかわいい!と抱きしめられないときもあったけど、1歳になってようやく、自分の子供を可愛いと思って抱きしめられるようになれたことも、嬉しく思ったりする。

夜、どれだけ遅くまで寝てくれなくても。
朝、どれだけ早く起こされても。

私は「母親になったから」頑張れていることがたくさんあって、そんな自分を、自分で好きだったりもするのだなぁと実感する。

いつか息子も、そんな私の思いを知らずに巣立っていく日がくるのだろう。
男の子だから、きっとその日は、女の子よりも早く来るかもしれない。

巣立っていく最後の日、私はあなたに「母親にしてくれて、ありがとう」を伝えたいなと思う。「お母さんになって、諦めたこと」よりも、「お母さんになれて、嬉しかったこと」をたくさん伝えたいなと思う。

息子よ。この世に誕生してくれて、ありがとう。
私を、母親にしてくれて、ありがとう。

これからもよろしくと、等身大の大好きを込めて。

あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。