映画「聖の青春」について

少し前に、ある将棋イベントにいった。

ある有名なプロの棋士のトークイベントの後に、指導対局があった。

私自身は、抽選から漏れてしまって指すことができなかったのだけれど、何人かの小学生から高校生の将棋マニアがプロの先生と対局していた。

プロというのは凄いもので、一度に6人ぐらいを相手にしている。

皆、かなりプロの棋士を追い詰めるのだが、やはり、終盤で逆転負けが多かった。

将棋において終盤は、もっとも面白い部分だが、同時にアマチュアには全く理解できない部分でもある。序盤、中盤とは全く考え方を変えなくてはならないのだが、中級程度のアマチュアには中々それができないのだ。

さて、あの有名な村山聖先生は、終盤力で有名だった。終盤は村山に聞けという言葉は伝説になっている。プロの棋士は皆天才だが、村山先生は、その中でも最強の部類に入るだろう。

だが、その村山先生が「わからない」という言葉を漏らした対局がある。村山先生が解説をした、NHK 杯の対局だ。

郷田真隆六段と丸山忠久六段という、当時も今もトップレベルの棋士の対局である。

郷田先生が一旦入玉(玉将が相手の陣地の三段目に入る)したのだが、丸山先生の巧妙なさしまわしでそれを追い返し、詰ませてしまった将棋だ。

この時の終盤戦、村山先生は「わたしもよく分からない」と発言している。終盤、村山先生でも分からない局面があるのか、と驚いた。

もしかすると、対局者にも見えていない筋が見えていたのかもしれない。それで、対局者の指し手と自分の読みが一致せず、よく分からなくなっていたのかもしれない。そうも思う。

映画「聖の青春」ではややエキセントリック気味に描かれていた村山先生だが、解説は極めて理知的で、謙虚なものだった。(聴き手が女性だったから、なおさらかもしれない)

村山先生に限らず、棋士は皆、謙虚で奢るところがないイメージがある。多分、小学生が大人を負かせるゲームだから、自分もまた、将棋の神様の前ではただの人間であることが分かってしまうからなのだろう。

将棋イベントに来ていた小学生たち。プロの将棋をたくさん暗記しているふうだった。わたしは棋譜の暗記は全くできないから、脱帽するほかない。

彼らは、村山先生の将棋も暗記しているのだろうか。

君たちもプロになれるといいな。大変だけれど、結構楽しそうな世界だよな。毒舌発言の多い村山先生も、自分の本音を言うからだろうか、根がいい性格だからだろうか、仲間も多かったようだ。

プロになったら、精一杯楽しんでくれ。

そう、映画を見ながら思った。

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