記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【完全解説】『ボーはおそれている』 ボーは何に巻き込まれていた? 徹底考察その1

2/16公開のアリアスター監督最新作『ボーはおそれている』
前2作と比べてもかなり異色の不条理スリラーでした
今作はセリフを追うだけでは一切ストーリーの真相が分からないという超難解映画となっており、確実に1回観るだけでは真相を掴むのは不可能だと思います
私は監督の大ファンなので半年前の8月に輸入版のブルーレイを購入し、そこから本作の真相を調査していました
その結果驚愕の真相に辿り着いたので非常に長くはなりますが出来るだけ理論的に今作の真相を解説していこうと思います

最初からネタバレ全開なので注意してください


ボーに何が起こったか

重要な情報

映画冒頭から不条理な出来事に振り回され続けていたボーですが一体それらが何だったのかは一切説明されることなく映画が終わってしまいます。
何となく母親のモナがボーを操っていたことは分かると思うのですが、映画を通してその証拠があらゆる所に隠されていますのでまず
はモナに全て操られていたことがわかる証拠を列挙していきます

  1. ボーが実家に着いた時、家の中にボーのアパートの清掃員の男がいる

  2. ボーが実家に着いてモナが経営する会社の年表を見るシーンで、ボーの後ろにモナの会社の薬を乱用した患者のためのリハビリ施設の広告が置かれており、その広告にはボーが住んでいるアパートが掲載されている。さらにその下にボーの写真も掲載されており、ボーはリハビリ施設の相談役として紹介されている

  3. 同じシーンでボーの後ろに監視カメラの広告が置かれており、その広告には「あなたの安全を我々は40年間守り続けてきました」と言う宣伝文句が添えられている。

  4. 冒頭のセラピーシーンで広告に載っていた監視カメラが部屋に置かれている

  5. 従業員の写真の中にロジャーがいたのは気づいた方も多いと思うが、ボーが住んでいた街にいた人々の写真も多数載っている

  6. ボーが森から抜け出してからヒッチハイクする車のカーナビにモナの会社のロゴが映っている

  7. 映画冒頭ボーが家に向かって走りながら帰って来るシーンで、ボーのアパートの前でグレースとジーブスがスープを売っている

ボーのアパートがリハビリ施設として紹介されている

ボーの衣食住は全てモナによって用意されており、産まれてから40年間ずっとモナに監視されていたことや、ボーの周りの人々ほぼ全員がモナの会社の就業員だったことが分かります

モナの計画

鍵を盗んだ清掃員が実家にもいるので鍵を盗んだのもモナの指示だったと考えるのが自然でしょう
トニーが「もうテストに失敗した」と言っていたように、ボーはどれだけ早くモナのために葬式に駆けつけられるかをモナによって試されていたのです

どの部分でテストに失敗したのかは最後の裁判のシーンで明らかになります。
まずロジャーに実家に帰るのを明日にしようと提案された時、今日帰るよう説得できなかったこと
さらに森の中の女性に母親へのプレゼントを渡してしまったこと

この二つがモナによって、母親への忠誠心がないと判断されてしまいました

ボーとモナの関係

perfectly safe

モナの会社の広告が何回か登場しますがほとんどにスローガンとしてperfecly safe(100%安全)と書かれています
これは単なる商品のスローガンではなく、モナの子育てに対する信条とも取れます

モナは母親に冷たくあしらわれていたので息子にはそんな辛い思いはさせまいとボーに対して出来る限りの愛情を与えてきたと言うシーンがありましたが、その言葉の通りモナはボーの安全を願って生まれた時から大切に育ててきたのでしょう
しかしあまりにも安全を求めた結果ボーに対して支配的になり、ボーはモナに対して不満げで、セラピストに母親の文句を言うために定期的にセラピストの元へ通っています
モナもセラピストの元でボーが何を言っているのかは全て把握しているので、ボーがモナのことをよく思っていないことも当然分かっています
その結果ボーのことを第一に考えて愛情を注いできた割には、ボーは母親に不満げで母親に恩返しをしようとしないことにモナは苛立ちを覚えているのです
恐らくですがボーを薬物中毒者が住んでいるアパートに住まわせたのも母親に依存させるためでしょう
薬物中毒者しかいない街で生活させ、周りを全員危険な人物にすることで、母親に頼らないと生きていけないようにさせているのだと思います

複雑な親子関係

モナとボーの親子関係は大袈裟に描かれていますが現実にもよくある話でいわゆる、過保護過干渉の親と自分の意思で行動することができず、親に従うことしかできない子供の関係を描いていると言えます
過保護過干渉の親に共通しているのは本人には全く悪意はなく、どれだけ子供がそれらを迷惑に感じていたとしても、子供のためを思っているからこそだと信じて自分の信念を貫き通すところです。
モナの場合は「perfectly safe」という信念のもと、ボーを危険な目に合わさないように子育てをしてきました
しかしそれらはperfectlyとあるように度を越えており、ボーが自発的に行動を起こすことさえも制限していたので、ボーはモナに対して不満げで、自発的に行動を起こすことができない大人に成長してしまいました
その結果モナも大切に育てたはずなのに自身に対して不満げで息子に注いだ愛情を返そうとしないボーに対して嫌悪感を抱くようになるという負のスパイラルに陥り、表面上はお互いのことを気遣っているように見えるのですが、本心では憎しみあっているという歪んだ親子関係が出来上がってしまったのです

重要なモチーフ

必ず水と一緒に

映画全編を通して必ず登場するものが水です。冒頭のセラピーシーンから映画ラストにかけて継続的に水が登場します。
この水は何を表しているのでしょうか

これが分かりやすいのがボーがアパートで薬を飲んで必死に水を求めるシーンです。
ボーは薬を飲むため水道水を飲もうとしますが水道は止められておりパニックになり水を買いに行きます
誰が水道を止めていたのでしょうか?
大体の方は分かっていると思いますがもちろんモナです
ボーのアパートはモナの所有物なので水道を止めることも容易にできますし、カードを止めることも出来ます。
なぜ水を止めたのかということなのですが、ボーが鍵を盗まれて飛行機に乗れないとモナに電話した際モナはかなり落胆した様子で電話を切ります。
つまり鍵が盗まれたと言って飛行機に乗ろうとしないボーへの罰として水を止めたのです
水を止められたボーはパニックになり、何としてでも水を手に入れようとします

その後水が戻り落ち着きを取り戻したボーですが今度は母親が死んだことを知らされます
ショックで呆然としていると浴槽の水が溢れ、ボーの足元まで流れてきているのに気づいたボーはお風呂に入ります
この2つのシーンはボーが母親を常に求めていることを水を使って表しているのでは無いかと思います

一連の出来事をまとめると
モナが水を止める→ボーはパニックになり水を買いに行く
モナが死ぬ→ボーは風呂に入る(水に身体を浸す)

となりボーは常に水を求めていることが分かります
そしてモナが死んだ後、母親を失った悲しみに暮れている時にわざわざ風呂に入って身体を水に浸すということから、ボーはモナが死んだことによる喪失感を癒すためにモナを求めて風呂に入ったのではないかと解釈することができ、この映画において水はモナの愛情を表していていると考えられます

その証拠にモナの苗字はwassermannというのですが、wasserはドイツ語で「水」と言う意味です
モナが水道水を止めたように、この映画においてモナは水を操る女性として描かれています
水道水を止められたボーはパニックになったように、モナの存在と水を重ね合わせることによって、ボーは母親がいないと生きていけないということを表しているのです

水とモナの関係

水とモナの愛情の関係として大事なのがどちらも二面性を持っていることです
現実でも私たちは水がないと生きていけませんが同時に水はあらゆる災害を巻き起こします
ボーもモナの愛情が無いと生きていけませんが同時に過度な愛情により苦しんでいます
それが現れているのが劇中何度も出てくる浴槽での夢のシーンです
風呂場でモナが自分そっくりな子供に説教をする夢なのですが、水が一気に押し寄せてくるイメージも一緒に出てきます
またボーが想像する劇中でも、洪水によって家族と離れ離れになります
本作ではボーとモナの関係は水と私たちの関係になぞらえて表現されているのです

モナの愛情を水に置き換えて考えてみると、モナは母親に愛されてこなかった。つまりモナは母親から水をもらえなかったということになり、モナは息子には同じ思いをさせたくないと、ボーに対して過剰な水を与えすぎた結果ボーは水が多すぎて健全な成長を遂げられなかったということになります

息子を守ろうとしすぎるがあまり逆に息子を不幸にさせてしまっているという矛盾を水に例えて描いています

ギリシャ神話との関係

先ほどモナは水を操る女性として描かれていると書きましたが、ギリシャ神話にもセイレーンという水を操る女性が存在します。
セイレーンは海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる怪物なのですが、本作のラストシーンのボーが舟に乗っていると女性の歌声が流れて、母親から解放されたかと思いきや結局母親に捕まり転覆させられてしまうという展開はこのセイレーンの特徴と一致しています

またセイレーンは去年連載され大きな話題を呼んだちいかわ島編にも登場しており、ちいかわ島編が連載されていた際アリアスターっぽいとネットで言われていましたが、母親から逃げ出せたかと思いきや結局捕まってしまうラストシーンや、途中洞窟に入っていくシーンなど似ているシーンも多いです

アメリカでは去年の4月に本作は公開されており、どちらも発表されたのが同じなのでパクリとかではないと思いますが、同じ時期にここまで似た作品が日本とアメリカで発表されたというのは興味深いですね

次回予告

考察記事その2では本作の下敷きとなっている作品について解説します


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?