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「SHOGUN 将軍」は凄かった

 先日、SHOGUNを最終話まで視聴しました。
 いやあ、テンセント版三体に引き続き、「凄いもん見ちゃったな」と唸らされました。
 以前の感想記事でも書きましたように大坂の光景は圧巻という他ありませんでしたし、大坂湾でのガレオン船と安宅船のチェイスや砲兵隊の演習なんかは、「これはよほどカネがないと撮れないって」って思いました。

 また、日本人としては、「この人物は誰に相当するのかな」ということを考えていく楽しみもありました。
 虎永は家康、鞠子さまは細川ガラシャ相当として、樫木藪重(浅野忠信)は本多正信枠だって話ですが、あらゆる陣営に唾をつけとこうとチョロチョロしたり異国人と秘密裏に交易しようとか考えてる様を見てると伊達政宗要素も入ってそうな感じもします。
 石堂和成(平岳大)は石田三成がベースとしても、五大老のひとりにして虎永≒家康に次ぐ勢力の持ち主ってことで毛利輝元的な存在感にも見えましたし、戸田広松(西岡徳馬)はガラシャ相当の人の夫の父親(って書くと、どこぞのウェカピポの妹の夫みたいだな)なので細川幽斎相当ですが、主君との付き合いの深さなどを考えると鳥居元忠とか大久保忠隣と言った三河武士たちの象徴にも見えます。雰囲気も、どこか「葵徳川三代での石田太郎に寄せてない?」と思わせるものがありましたし。

 一方、按針ことジョン・ブラックソーンという西洋人を視点人物として、かつ日本描写を可能な限り忠実に再現(という表現がリップサービスでなく本当に)されたことで、逆に「日本という国や社会や、そこに暮らす人々」を客観視する良い機会にもなりました。
 そしてその按針も、「自分が私掠船のクルーという海賊であることから目をそらし、自分自身の野望と偏見に駆られた末に無謀な航海を仲間に強要し、故郷へ帰ることもままならない境遇に自他を追いやった愚かなエゴイスト」であることを当の仲間から突き付けられ、その相手を殴り続けることでその糾弾が真実であると証明されるバランス感覚も良かったです。

「これからは、この作品が、世界のサムライムービーの“基準”になるんだ!」という、気合というより自覚に基づいた仕事を貫徹してました。
 同時に、「生身の生臭さ」というものを恐れることなく出してきてました。立ち回りやラブシーンだけでなく中年武将の入浴シーン、そして作中で展開する策謀や駆け引きにもその生臭さが伝わってきました。

 SHOGUN世界に無垢なる善人は全くいません。
 でも、善ではない道を生きて歩み続けることに幸福もまた存在しません。
 だから、この世界のガラシャである鞠子が、神を求めることも主君の策謀のために自らの命を擲つことにも説得力を感じるわけです。
 それを直接受ける宣教師たちが、傲慢な世界戦略を抱いていると明言されていたとしても。

 さて、SHOGUNの物語はいったん幕を引いたわけですが、この後にもこの世界の歴史は続きます。
 では、その歴史の中に生きていた人々はどんな人生を送るのか。

 例えば、このSHOGUN世界の国姓爺こと鄭成功はどんな人生を送るのか。
 実際、前にもこんな記事を書きました。

 この他にも、SHOGUN世界でも起こるはずの関ヶ原の戦いに参加するであろうあの世界の宮本武蔵はどんな名前と風貌をしているのか。
 同じく関ヶ原の戦いを契機に離散した一族の復活を果たした柳生一族は、この世界ではどんな陰謀に関わっていくのか。
 さらには天草四郎と島原の乱はどのような凄惨な最期を遂げるのか。
 遊女の城としてSHOGUNから与えられた𠮷原はどのような姿になるのか。

 そういったSHOGUN世界の日本史というスピンオフ展開についても思いを馳せてみたくなります。


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