3年振りの『表現者の為のアレクサンダーテクニーク』

3年振りくらいに、
表現者の為のアレクサンダーテクニークのワークに行きました。


最近、自分が何処へ向かいたいのか、
何を目指していきたいのか、という事が漠然としていた。 
目標はあるけれど、
具体的にそこに向かっていく為の、小さな通過点みたいなものが全く見出せていなかった。

僕は感覚だけでやっている節がある。
物事を、感覚と直感力で捉えすぎている。

感覚と直感力は、自分の肉体が今まで経てきた歴史の蓄積であると思うから、それは決して悪いということではない。 

しかし、修正能力の欠如。
これからの僕に必要な事は、微々たる調整の繰り返しだと思う。
明確に肉体の微調整や、身体の構造について向き合っていきたいと思った。
その細部を突き詰めて、ロジカルにロジカルに。
感覚でやっている事を、全てを把握した上で俯瞰的な目線で物事に向き合っていきたい。

無意識下での小さな選択。
些細な選択が積み重なる事、で良い方向にも悪い方向にも変容していく。
日々の過ごし方、人生に対しての向き合い方が自分という人間を形成していく。
良くと悪くも。

僕は『立つ』という行為すら出来ていない。

そう言った意味では、自分の身体の可能性には伸び代しかないなと思いました。
立つ歩くを感覚、習慣でやっていてその自分の習慣について向き合いたい。

立つという行為を現象として捉えていきたい。

行動は現象なのかとしれない。
とふと思った。
まだ、全然何が何だか分からないが。

もっとロジカルに自分の肉体や、他者との距離感を持って生きていきたい。


1つの場所で研鑽することも大切な事だと思う。
けれど、
自分が壊れそうになった時に、物事への向き合い方を多角的に持っていたい。
自分の中にオルタナティブな部分を持つことはとても大切な事だと感じた。

初めてアレクサンダーのワークに参加した時は頭が爆発しそうだったし、爆発した。
22歳くらいだったのかな。
3時間から4時間のワークで頭が疲弊して、その日は帰宅してすぐに寝た。
そのくらい脳への情報量で揺さぶられたし、未知の領域への扉が開かれたという感覚だった。

今日は微かに理解が追いつき、身体的な感覚があの頃と比べると追いついているように感じた。
ぼんやりと頭の片隅にあった事や、肉体に蓄積されたものが少し繋がったような感覚があった。

今の僕の生き方や思考が、3年前とは変容していることに気がつけた。
という大きな発見の喜びだと思う。

改めて再スタート、だと思う。
過去とか未来ではなくて、
今を常に向き合いたい。
そしてその今をすぐに手離し固執はしない。
その連続だと思う。

なんだろう。
難しいけど、楽しいと思う。

少しだけ希望が見出せた。

ワークの中で、肉体を通して色んな気づきがあった。
とても有意義な時間を過ごせたと感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?