スーツと自転車と豪雨

「色々なことがどうでもよくなってからが始まりだ。」なんて言葉を昔見かけた。

当時はまだ高校生か、卒業して間もないくらいだったように思う。確か見かけたのはTwitterで、たくさんの名言をコピーしているbotアカウントだった。そのアカウントは健在なので、今も時々その投稿を見かける。

「色々なことがどうでもよくなってからが始まりだ。」

今朝、寝坊をして1限目を欠席した。2限目も少し遅刻。午後の授業は全部休んで地元へ帰り面接を受けた。終わって高校時代の友人と合流し、県の中心部へ出てしばらく歩き回り、お酒を飲んで終電間際に帰ってきた。途中、志望度の高い企業からのお祈りメールを読んだ。豪雨の中、スーツで、自転車で。

「色々なことがどうでもよくなってからが始まりだ。」

帰ると、使用済みのものと交換制の宅配が扉の前に置かれてあった。回収してもらう予定のものを出しそびれていた。次の回収日はいつだっけ。

「これは自分との戦いなのか」

私が朝寝坊するのは自己管理の甘さもあるし、体質(持病)も理由のひとつだ。それでも社会には合わせなければいけないのが今の日本なのだ。苦しいから、身体的に無理はしたくない。という形で自分が幸せを求めることは、社会としては悪となる。甘えだとずっと思っていたけれど、私は誰に迷惑をかけただろうか。
うまく言葉にできないけれど、社会に求められるものって、私には窮屈だ。上手く生きられない。

欠席をしたことを報告して、恋人に叱られた。

「就職するって何?」

組織に属すること。お金を稼ぐこと。自己成長。その他。

「じゃあ、就職しなかったら?」

組織に属さない。フリー○○(職業名)。フリーター。ニート。

「じゃあ、私は?」

組織に属しようがしまいが、社会に貢献するという点においてはどちらを取っても可能である。(ニートについては分からない)

何のために生きてるの?と問われたら
楽しむため、幸せになるため、なんてことを思う。

幸せになるため?じゃあ、今は不幸せなのか。
それは違う。常に物事は動いているのだ。

「結局何がしたいのか」

幸せでいたいよね。形は変われど、この先もずうっと。仕事と型にはめてしまうと、もうよく分からない。

「色々なことがどうでもよくなってからが始まりだ。」

雨合羽を着て坂道を進む。言葉にできない気持ちを抱えて。
この記事を読んで、私の心境を理解できる人がいったいどれ程居るのか。

どこにでもいるような大学生。少し頭が悪い。要領も。身体も。
(ちなみに普段はお酒を飲まない)
目的地の見えない就職活動中。内々定は1社。この先一年足らずの間、実習や、国家試験を控える。

色んなことがどうでもよくなってからが始まり。
どうでもよくなってからが始まり。

本当にそんな気分だ。

今やっと、スタートラインに立てたのかもしれない。長く休止していたようだ。
頑張ろうな。


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