パンプキンパイとシナモンティの味①ーマスターはなぜ感謝しかできない?ー


懐かしい記憶

 最近買ったパンプキンパイがやけに美味かった。どこで買ったかは忘れたが、パンプキンパイを食べながら、さだまさしの「パンプキンパイとシナモンティ」を思い出した。私が子どもの頃、母親がもっているCDの中から発見した一曲だ。「精霊流し」、「防人の詩」や「秋桜」といった曲に比べ、子どもが想像しやすい歌詞、乗りやすい曲調だったので、すぐに口ずさむようになった。友人らとカラオケに行くと、よく歌っていた。彼らがポケモンやデジモンのテーマソングを歌うなか、一人明らかに周囲と異なる雰囲気で歌い、友人らが困惑したり、苦笑したりする顔を見るのが好きだったなぁなんて。「関白宣言」を歌うときも、同じ反応だったように記憶している。

4分半に盛り込まれたストーリー

 さて、「パンプキンパイとシナモンティ」では、お人好しの喫茶店マスターが1人のお客さんに抱く恋心と、マスターの恋を見守りながら気をもむ男子学生(僕ら)の心情が謳われている。
 喫茶店に通うマドンナ(ミス・パンプキン)、ミス・パンプキンに恋をしたマスターと、その二人を見守る僕ら。ミス・パンプキンに「毎度ありがとう」しか言えないマスターにしびれを切らして、僕らはシナモンの枝でガラスにラブレターを代筆する(良かれと思ったのかな)。ラブレターを見たミス・パンプキンは店を飛び出し、マスターは半べそをかき、僕らはうろたえてしまう(そりゃ当然だ)。ところが、最終的にはマスターは(ミス・パンプキンが相手かは不明だけど)嫁さんをもらい、なぜだか僕らの待遇が良くなり、次第に僕らはパンプキンパイとシナモンティの味をわかってくる。「パンプキンパイとシナモンティに バラの形の角砂糖二つ シナモンの枝でガラスに三度 恋しい人の名を書けば 愛が叶えられる」と信じる人が増えるのであった。

気軽に解ける読解問題!

 パンプキンパイを食べながら、久々に聴いてみると、4分半の間にうまくお話が込められている。と、子どもの頃から聞いていた私はそう思うのだけど、今の子どもたちはどう思うんだろう?4分半くらいなら、国語が苦手な生徒も考えてくれそうだ。よし、試しにみんなに聞いてもらおうということで、小学5年生4人に「パンプキンパイとシナモンティ」を聴いてきてもらった。その際、以下の2つに気を付けて歌を聴いてみてと伝えてみた。

  1. なぜマスターは36歳独身なの?

  2. マスターは、(好きな)ミス・パンプキンに対して、なぜ「毎度ありがとう」しか言えなかったの?

気軽に解ける読解問題!のはずだったけど…

 1週間後、4人の感想や答えを確認してみると、意外や意外。見えてこないらしい、歌の全貌が。全貌どころか、登場人物の整理ができていない生徒もいた(マドンナ=ミス・パンプキン=彼女なんだよ)。特に最後の問題は自信ありげに答えてくれるのだけど、4人中2人が「感謝しているから」という答えだった。うーん。私が慣れ親しんでいる歌なので、わかって欲しいという思いが強く働きすぎていることはわかる。だけど…😓
 出題者と解答者とのずれには、多数の原因が考えらえる。まず思いつくのは、次のような推論だろうか。


出題者の意図・想定
①マスターが引っ込み思案で照れ屋だ。
②引っ込み思案で照れ屋な人は、好きな人を前にすると緊張して口ごもり、会話を弾ませることができない。
③だから、マスターは言い慣れた「毎度ありがとう」しか言えない。

解答者の解答・思考(予想)
①マスターは喫茶店の店長だ。
②店長はお客に対してお礼を言う。
③だから、マスターはお客であるミス・パンプキンに「毎度ありがとう」と言う。


すごく単純な論理展開ではあるものの、仮にこの予想が当たっている場合、店長の属性・性格どの部分を用いて解答すれば良いかという点で、出題者と解答者との間にずれが生じていることになる。①の段階でずれてしまえば、②・③以降のずれは当然の帰結である。
 では、どうして①のずれは生じるのか?出題者である私が、「マスターは、(好きな)ミス・パンプキンに対して、なぜ『毎度ありがとう』しか言えなかったの?」を出すにあたっては、マスターがミス・パンプキンを好きだという文脈(「恋の文脈」としよう)をおそらく当然の前提としている。「『毎度ありがとう』しか言えなかった」の「しか」が、それを表している。しかし、恋の文脈を読めていない場合には、私と同じ想定をすることが難しいかもしれない。または、マスターは喫茶店の店長であるのように、恋の文脈よりも強調されるべき文脈があるとみなした場合には、やはり出題者と同じ想定はし難い。あるいは、別の要因だということも大いにありえる。
 

さだまさしを「聴ける」子を育てるために

 登場人物(ここではマスター)のどういった属性・正確を重視して欲しいと設問が求めているかを理解する訓練を積めば、こうしたずれは幾分減るかもしれない。とはいえ、今回は、私が知って欲しい曲のために聴いてもらったので、次回を想定した訓練は不要なのだけれども。
 今回の出題は、歌詞を見ながら曲を聴き、2つの質問に対する答えを探すというものであった。学習と言えば学習だが、いわゆる「お勉強」とは異なる。実生活の中での学びに近くなるように設定した(と言えばかっこいいが、きっかけは美味しいパンプキンパイとの出会い…)。抵抗感なく取り組んでもらえたものの、理解に関してはもう一つだった。以前Paul Kei matsuda先生のライティング・フォーラム(もう9年も前!衝撃!)に参加した際に、意欲をそぎ落とさない課題づくりが紹介されていたことを思い出す。今回の出題は、ライティング学習といえる高度なものではない。とはいえ、意欲をそぎ落とさない課題づくり、出題者と解答者との考えにずれが生じにくい課題づくりは今後も目指したい。何より、さだまさしを聴き継ぐ者(?)としては、後継者をより多く残しておきたい。

#さだまさし #パンプキンパイとシナモンティ #読解問題

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