見出し画像

第13球 「ハナ」

「祖国って別に統一しなくてもいいんじゃないですか?なにか私たちの生活が変わるんですか?」

大学4回生になったばかりの4月、とある大学の教室での講義後、新入生であるMからこのような質問が出た。

「北朝鮮の人たちってしょっちゅう軍事パレードしてるんでしょ?」
「朝鮮学校って洗脳教育なんでしょ?」
などと並んで、日本学校出身の学生から毎回受ける質問だ。

朝鮮的なるものに接する機会が少ない日本人からそのように質問されるならまだしも、同胞の学生にまで毎回このように質問されるのはなかなか精神的にくるものがある。

留学同では月に2回ほど毎週土曜日の午前中に大学の教室を借りて「土曜学習」というものを行う。そして、講義のあとは必ず認識討論を行い、お互いの理解や考えを深め合うのだ。

この日のテーマは「在日朝鮮人形成史」というものだった。自分が朝鮮人だということを知っていたとしても、「ではなぜこの日本に住んでいるのか?」というルーツを知る学生は実はあまり多くない。
自分がなぜここにいるのか、ということを説明できないということは、結局自分が何者であるのかを説明できないことであり、自分の生き方も定まりにくい。
また、日本の学校ではそのような事を学ぶ機会など皆無なので、この形成史を学ぶことは非常に重要であった。

「今日の講義で在日一世たちがどのように日本へやってきたのか?なぜやってきたのか?ということはある程度分かりましたし勉強になりました。
歴史的存在であり、ほかの定住外国人とは少し経緯が異なるということも理解できました。」

「おお!素晴らしい!もちろん個々人の渡ってきた経緯は違うんやけど、それが果たして自由意志だったのか?そうせざるを得なくさせた原因は何なのか?っていうのを気づいてほしかったんやね。
在日朝鮮人はほんまに歴史に左右されて今ここにいるねん。」

俺はMの聡明さに驚くとともに、講義の意図に沿って理解してくれたことに嬉しく思った。

「ただ、それは分かるんですが…。」

Mは少し言葉に詰まった。そして少し間を置き、意を決したように話し始めた。

「…だからといって今の朝鮮半島の情勢が自分と密接に関係しているとは思えないんですよね。
よく同胞社会などでは「祖国統一」「われらの願いは統一」とか声高に叫ばれていますが、僕にはどうも実感がないというか、そこまで自分の問題として捉えられていないというか…」

先輩たちからの反論を覚悟で、あえて言いにくい意見を話したのであろう。彼の顔は少しこわばっていた。

「うーん、確かに情勢って大きすぎて、俺らの身近な生活に直接的に影響が出てくることって具体的に思い浮かべにくいよなぁ。ただ、今の俺らが朝鮮人やのに朝鮮語を話せなかったり、文化も知らなかったり、名前も日本名で過ごしてる状態が本来は矛盾してるよな。それが今も解決されず残っているのは、日本における同胞社会のネットワークの弱さが一つの原因やと思うねん。
そして、その弱さはやはり祖国の分断であり、同胞組織の分断からきてるんじゃないかなぁ。総連と民団が一つであれば、発言力ももっと強力だったろうし、同胞たちの連携や団結力も格段に優れていたと思う。」

俺は、彼の勇気ある発言を尊重しつつも、自分なりの意見を話した。

「でも、なんか、その祖国に対する愛着がないんですよねぇ。祖国が統一してもしなくても、日本社会で生まれた僕は日本での生活が大切ですし。それに、ドイツが統一した時、僕らの生活が何か変わったでしょうか?良かったね、で終わってたと思うんですよ。僕にとってはそれと同じ感覚なんですよねぇ、朝鮮半島の統一も。」

論理ではなく、Mは感覚的なものとして祖国というものをとらえていたのであろう。こちらがいくら論理的に話したとしても、今の彼には無駄なように感じた。他の討論メンバーもおそらく似たような事を感じたのか、Mにさらに反論する者はいなかった。

その日はお互いが消化不良のまま班討論を終えることとなった。

その翌日の朝、R大学のボックスで後輩たちと話している時に、同級生のSから「おい!今すぐテレビ見てみろっ!!」と連絡がきた。

すぐにテレビをつけると「速報です!朝鮮半島で6月に南北首脳会談が行われることになりました!」とキャスターが伝えていた。報道される内容は耳に入るのだが、あまりの衝撃に頭に最初は入ってこなかった。
夢ではないだろうか?と何度も疑ったが、だんだん実感が湧いてきた。

2000年の6月13日から15日に金大中大統領が平壌を訪問し、金正日総書記を会談するという。とりあえず、知り合いに片っ端から電話をかけようと携帯を取り出した。

が、いきなり見知らぬ番号から連絡が来た。誰やねん!この喜びを分かち合おうとしている時にっ!と思いながらも俺は電話に出た。

「はい、もしもし?」

「あっ!朴さんでしょうか?私はA新聞のTと申します。覚えていらっしゃいますか?」

以前、何かの講演会の懇親会時に隣同士になって知り合った大手新聞社の記者であるTだった。

「あーはいはい!覚えていますよ。あの時はどうも。お元気ですか?」

「はい!で、いきなりで申し訳ないのですが、実は本日の夕刊に在日の若者たちの喜びの声を記事として掲載したいと思いまして、依然知り合った朴さんからもお話を聞ければと思い連絡させてもらいました。」

なんてタイミングのいい記者なのだ、と思いつつもこっちはうれしさで気分上々なので取材を受けることにした。

そして、その日の夕方には本当に記事になっていた。

在日三世の朴さん(二一)は 「朝鮮文化研究会」のサークル活動でR大学のキャンパスにいるとき、知人から 携帯電話でニュースを聞き、「うれしい」と声をあげた。大学では本名を名乗っているが、友人の中には通名(日本名)を通している人も少なくない。朴さんは「祖国が仲の悪いままということが、民団、総連という形で在日 社会にも影を落とし、在日であることを名乗りにくくしていると思う。『北』『南』 という概念がなくなれば、在日が、日本社会で『コリアン』であることにもっと誇り を持てるし、堂々と本名を名乗れると思う」と、首脳会談成功に期待を込めた。(2000年4月10日A新聞夕刊)

今まで祖国統一について学び、その意義も頭で分かっていたつもりだが、やはりこうやって統一の決定的な機運を肌で感じるというのとは訳が違った。

それからというもの、来たるべき6月13日が待ち遠しくて待ち遠しくてたまらなかった。

そして、とうとうその日がやってきた。平日にもかかわらず学生という「特権」で授業をさぼり、俺は仲間らと一緒に留学同の事務所でテレビにくぎ付けになった。
この日は、日本のマスコミも取材のために平壌へ入っていたので生中継がされていたのだ。空港に大韓民国の飛行機が到着した時はみんなで拍手をした。

と思いきや、なんと飛行場に見慣れた人物が!
そう金正日総書記が出迎えに来ているではないかっ!
迎賓館で迎えるのかと思いきや、空港にまで来て南のトップを手厚く迎えるという粋な計らい。またまたみんなで拍手喝采である。
タラップから金大中大統領が夫婦で降りてきて、金大統領が金総書記の下へ進み、赤い絨毯の上で二人が握手し抱き合った。

おお!熱い!熱いぞっ!朝鮮人でよかった!!と心底思えた。
仲間たちもみな笑顔で、喜びを大いに分かち合った。
そんな時、俺の携帯に見知らぬ番号から連絡が来た。
誰やねん!この貴重な時間を満喫している時にっ!と思いながらも俺は電話に出た。

「はい、もしもし?」

「あっ!朴さんでしょうか?A新聞のTです!」

またかいっ!いつもこの人タイミング良すぎるなっ!

「はいはい!前の記事見ましたよ。うまくまとめてもらえて良かったです。で、次はどんな取材なんですか?」

「あ、さすが!話が早いです!実は今日の夕刊にですね、今度は在日の若者たちが統一したらやってみたいことなどを記事として掲載したいと思いまして。
朴さん、もし統一したらどんなことをしてみたいですか?できれば若者らしい意見をお願いします!」

若者らしい意見、というものに一瞬戸惑ったが、とりあえず思いつくままにひねり出した。

「なるほどねぇ、これはどうですか?北と南の若者だけではなく、在日同胞の若者も加えた合同焼肉大コンパ!場所は38度線!分断線を跨いで行うんです!店はもちろん<板門店>!!笑」

人間はテンションが究極まで来るとこんなにまで頭が冴えるのか!と思えるぐらいの会心の返答だった。

「おぉ!それいいですね!ぜひ記事にさせていただきます!ありがとうございました!」

「いえいえ、こんなんでよければいつでもどうぞ。記事期待してますよ!」

数時間後、俺の夕刊記事は南北首脳の抱擁シーンとともに本当に載っていた。

在日三世の朴さん(二一)は 「祖国が統一したら、分断の象徴である38度線において、南北、そして在日の若者を集めて交流焼肉大会をしたい」と若者らしい意見を述べた。
(2000年6月13日A新聞夕刊)

だいぶ省略されて、今度はほんの数行の記事であったが、俺はあまりの嬉しさに記事を写真とともに切り取ったのだった。

この南北首脳会談以降、俺たちの活動は一気にボルテージが上がり、学習会にもより熱が入っていった。
もう一度なぜ分断したのか学びなおそう、なぜ分断が固定化されているのか考えよう、など、学生たちの学ぼうとする意欲が一気に盛り上がり始めた。

そんな時、俺に相談があるとMが連絡してきた。俺たちはR大学のボックスで落ち合うことにした。

「ミアナミダ。急に呼び出したりして。」

「いや、全然ケンチャナヨ。後輩に呼ばれたら駆けつけるのが先輩の仕事です笑。で、相談って何かな?」

「実は、前に先輩と一緒に祖国統一の事で討論したと思うんですけど、あの時に僕は祖国統一を身近に感じることができないといった事を言ってましたよね?」

「あ、うん、そうやったかな?」

俺は少しとぼけたふりをしたが、Mの話した内容は確かに覚えていた。

「正直今でもまだ感じられていない部分はあるんですが、先日あった南北首脳会談の時から少し自分でもよくわからない感覚に襲われていまして。」

「ほう。それは非常に興味深いなぁ。嬉しいとか興奮するとかではないまた別の何かということなんかな?」

「そうなんです。実は、あの時僕はたまたまハルモニの家にいたんです。僕も一緒にテレビ見てたんですが、ふとハルモニの顔を除くと涙を流して喜んでたんです。号泣しながらも笑ってたんですね。同じニュースをテレビで見てたんですよ。でも僕は普通に見てたのに、ハルモニは泣きながら喜んでるんですね。自分はそこまで泣けない。同じ民族なのになぜにこうも違うのか?そんな疑問が今もずっとあるんです。そして、また不思議なのが、ハルモニが喜んでる姿は僕を嬉しくもさせるんです!」

彼は誰かにずっと言いたかったであろう。話し終えた彼の顔は、少し紅潮していた。

「へぇー!そんな事があったんやな!そりゃ、ハルモニは嬉しいと思うで!俺みたいな三世でさえ興奮して喜んでるのに、分断の歴史が自分の人生とほとんど重なっている一世たちからすれば、それはとてつもない希望であり喜びやと思うわ。」

「僕も正直、ハルモニたちがどうやって日本に渡って来たのか、どんな苦労をしてきたのか等、最近になって知るようになりましたけど、祖国が分断していることによって苦労したことや祖国統一についての考えなんて聞いたことなかったんですよね。
でも、泣きながらめちゃくちゃ喜んでるあの姿を見て、ハルモニにとっては祖国統一が何よりも自分の身近にあるし、切に願っているんだと思ったんです。」

「でも、そういったものが自分にはない、なぜなんだろうか?そう君は疑問に思ったわけやね?」

「はい、そうなんです…。」

俺はぼんやりとした答えがあったが、少し間を置いて考えた。そして、自信はなかったが、それでも真剣に向き合っている彼に言うべきだと思い話し始めた。

「あの、うまく言えるか分からないんやけど、ハルモニと俺らの違いは何やろうか?世代とかいろいろあると思うんやけど、それはやはり経験やと思う。分断の悲劇を体験している量や質が決定的に異なる。俺らはあくまで書籍や体験談でしか当時の悲しみや嘆きを知ることができないけど、ハルモニたち在日一世はそれをまさに人生の一部として持っている。原体験として持ってると思うねん。南北の首脳二人が抱き合ったのを見たとき、ハルモニの視線の先には今までの苦しみや悲しみ、様々な人々の表情が浮かび、それらが走馬灯のように流れていたんじゃないかな?」

「原体験ですか。」

「そう。知識とか理屈ではないハルモニにしかない原体験がその首脳会談という民族的慶事の意味を倍増させてたんやと思う。ほら、よく「恨(ハン)500年」とか俺らの民族って言うやんか?あれは字の恨みって意味ではなく、解消されない悲しみや嘆きって意味なんやけど、ハルモニはその恨がその時に部分的かもしれないけど解消されたんじゃないかな?」

「なるほど。でも、そうなると僕らにはその原体験がないですよね?いやあるとしてもそれはつい最近のものでしかなく、ハルモニたちのような量も質もそんなにない。だから泣くぐらいまで喜べないということですか?」

もはや禅問答のようになってきて、俺も頭がこんがらがってきたのだが、それでもこの対話は非常に大事だと思いなんとかひねり出そうと考えた。

「うーん、そうやなぁ。確かに原体験はない。でも、それだけじゃないと思うねんなぁ。原体験ってその人しか持てないんやけど…」

その時、俺の頭に稲妻が走った。

「それでもその涙の意味に寄り添うことはできる!そうか!分かったぞ!俺らは、その悲しみや嘆きを共有するという連帯感を持つことはできるじゃないか!分断した歴史を知る。朝鮮半島情勢を知る。そして、個々人が抱える分断の悲劇を知り共有し、ともに克服しようとすることはできるんじゃないか?」

「なるほど!そうすると自分の問題として考えやすいし、祖国統一が身近になってきますね。一個人として捉えた場合はそこに格差は出てきますが、集団として、同じ歴史を抱える者として捉えると自分の問題になりますね。」

「おお!いいこと言うな!そういうことや!そして、それこそが民族であるということなんやと思うわ!また、さらに俺らの世代は未来を語ることもできる!それを作ることもできる!統一すれば確実に同胞の意識が変わる。プラスイメージが芽生え、民族性を守ることへの補強となるはず!」

俺たち二人は一気にテンションが最高潮に達していた。
当初はたった二人でなんとなく話していたのだが、最終的にはとてつもない高尚な内容に到達したことに興奮していた。

「祖国が分断しているということは、実は在日朝鮮人の意識や感受性までもが分断してしまっているんですね。
先輩、コマッスミダ!おかげでなんとなくですが祖国統一が身近なものに感じられるようになりました。」

「お、おう!俺も良かったわ!(本当は俺もあまりよくわかってなかったけどね笑)」

俺たちの小さくも意義のある対話は、とんでもない気づきをお互いに与えつつひとまず終わった。

こんなに悩むのも在日朝鮮人だからだが、こんなに考えられるのも在日朝鮮人だからなんだなと、俺は一人ボックスで感慨に浸っていた。

♪私が生まれた時から
祖国は二つでした
悲しい歴史がこの地を引き裂こうとも
互いに求めあった

初めて会えた時どうしよう
そんな夢に心躍らせ
どこか懐かしいその笑顔
全てを解き放とう

一緒に歌おう 一緒に歌おう
この喜びを誰に伝えよう
この日を待ちわびた
私たちに♪
(尹英蘭/「ハナ」)


そして、数か月後、俺もとうとう学生最後の夏を迎える。

ただ、その夏が今までで一番「熱い」夏になるとはこの時はまだ知る由もなかった。

今日もコリアンボールを探し求める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?