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第14球 「サマー・タイム・ブルース」(前編)

「もしお前の予定が大丈夫なら、今年の夏にアメリカへ行ってくれないか?」


あの6.15首脳会談の興奮も冷めやらぬ6月後半、俺は留学同の委員長から呼び出され事務所にいた。話があるというのでやってきたが、第一声がこれとは!?


「えっ!?アメリカですか!!?今年の夏はご存知のように予定盛りだくさんなのでちょっと厳しいかと…」


そうなのだ。俺の今年の夏の予定は常軌を逸していた。

まず8月の一週目に全国の大学生・専門学校生が集うマダンが二泊三日(8月2日から4日)である。次に、そのマダン終了後に役員を中心とした講習会がそのまま二泊三日(8月4日から6日)であり、京都へ帰るや否やすぐにサマースクールへ指導員として二泊三日(8月10日から12日)で参加するのだ。

つまり8月の前半は全部埋まってしまっている。しかも、昨年はマダンはもちろんのこと二回目の祖国訪問まで行ってきた(第11球「誇りで生きる」参照)。


「ケンチャナヨ。アメリカへ行くのは8月の三週目からやから。」


俺の予定の空き具合を把握している委員長はサスガだと思ったが、それでもあまりにも唐突な提案に少し戸惑っていた。


「えっと…とりあえず予定自体は大丈夫ではありますが、なんで急にアメリカへ行ってほしいのですか?去年は共和国へ行って、今年はアメリカへ行くって、なかなかないですけど。」


「実は今年初めての試みで超短期の語学留学ツアーを留学同で全国的に企画しててな。そこへ学生として参加してほしいねん。」


委員長はそういうと、俺に一枚のビラを渡した。そこには「マイ・ベスト・サマー!君もこれでネイティブスピーカー!」と書かれており、8月18日から31日までの行程がびっしりと書かれていた。滞在地はカリフォルニア州で、日中は英文法や英会話の講習、そして休日は観光となっていた。


「えらい嘘くさいタイトルですね笑。というか約二週間も行くんですか?ハリウッドとかヨセミテとか行くって書いてあるので正直参加してはみたいですが・・・。」


「何がひっかかってるの?」


「いやぁ、そのぉ、僕、ほとんど英語できないんですよ。受験勉強も英語だけは苦手中の苦手でしたし。」


「まぁ、英語については初級と中級コースがあるので初級を選んでもらえればいい。」


「あぁ、そうなんですね。ならちょっと安心しました。」


「ただ、お前に期待したいのはそこへ参加する学生たちを盛り上げて、また帰ってきてからも留学同や同胞社会とつながれるような関係を作ってもらいたいねん。半分は学生やけど、半分は留学同の役員として意識的に動いてもらえればと思ってな。君のほかに12人ほどの参加者がいる。その中には今までそういった活動や団体と接したことがない学生がいるので、そういった子らとつながっていってほしい。」


「あー、なるほど。まさに留学同活動インUSAですね。」


「まぁそういうことやね。ただ、せっかくなんやから英語もちゃんと学んできてや。」


確かに、高2の修学旅行で行ったハワイ以外はアメリカへ行った事がないので行ってみたい(第4球「ブルーハワイ」参照)。しかも、今回は2週間と旅行としては長期だ。俺の最後の夏が今までで一番忙しい夏になるけど、その分一番アツイ夏になるかもしれない。行くしかない!


「分かりました!ではアメリカ行きます!ドリーム掴んできます!笑」


こうして、俺の熱くてアツイ夏が始まった。

8月に入り、とうとう最後のマダンへ出発となった。一般的な大学生なら、自分の大学の学部又はサークルでの人間関係でそのまま学生生活を終えてしまうだろう。しかし、留学同に関わっている学生は違う。自分の通う大学以外の大学生とも出会えるし、このマダンのような全国規模のイベントに参加する事で、より幅広い人間関係ができるのだ。


「とうとう最後のマダンですね、先輩。今年こそ彼女出来たらいいですね?」


後輩のKがニヤニヤしながら行きの観光バスの車中で俺に話しかけてきた。


「うるさいわ!俺はそんな下心で参加したことないわ!ましてや、今回は最高学年になるから参加者みんなが学び楽しんでもらえるようにする事で頭が一杯じゃ!」


そう答えたが、実はこれは半分本当だが半分はウソだった。マダン参加者に下心ない奴はいない!というのが俺の密かな自論だ。というか多感な大学生なら当然のことだろう。同胞同士で付き合いたくても、普段の学生生活ではまず出会う機会自体がほぼ皆無だ。


ところがマダンのような全国規模の行事には恋愛対象の同胞学生がとてつもなく数多く参加しているのだ。しかも、二泊三日というオプション付きときた!同胞同士で付き合いたいと思っている者にとっては、マダンは千載一遇のチャンスなのだ!


宿泊施設に着き、班員が発表された。当然というか、最高学年ということもあり俺は班長となった。俺の班は一回生が3人、二回生が2人、三回生が2人、そして四回生の俺という計8人で構成された。


恒例の自己紹介が始まった。みんなが緊張しながらも自己紹介していく中、一人の一回生の男子学生がみんなと目を合わすことなくずっと下を向いていた。


「あの、どうしたんかな?体調でも悪い?俺は性格悪いけど笑」


俺は彼が緊張しているのを見越し、リラックスさせるためにあえてふざけてみた。


「あ、いや、その・・・、実はこんなにたくさんの在日の人に会ったことがなくって・・・。自分の本名も今日初めて知ったし。どうやって自己紹介すればいいか分からなくて・・・。」


彼は目を伏せつつも、振り絞るように声を出していた。


「なるほど。自分がしやすいようにでいいよ。名前は日本名で言ってくれてもいいし。ただ、この二泊三日はハングルの発音で呼ぶから、なんとか慣れてほしいな。」


俺がそう言うと、彼は少し間を置いてゆっくりと話しはじめた。


「えっと、名前はTといいます。青森出身です。住んでいるところには親以外在日の人がいなくて、今日初めて同世代の在日に出会いました。仲良くなれればと思います。よろしくお願いします。」


Tが話し終えた後、俺を含めたほかのメンバーは少し黙ってしまった。驚いたのだ。ここにいるメンバーのほとんどが朝鮮学校出身者であったり、日本学校出身者でも同世代の在日同胞とはすでに見知っている者がほとんどだった。しかし、彼は違った。このマダンに参加して生まれて初めて同世代の同胞学生と出会ったという稀有な存在なのだ。


「そうかぁ!Tは同世代の同胞学生と出会うのが初めてなんやな!もう出会った時点で俺らは親戚みたいなもんやし、二泊三日やけど仲良くしていこうな!」


俺はそういってTの緊張をほぐそうとより明るい声で呼びかけた。自己紹介を終えた後は、在日朝鮮人の形成史の講義を受けたり、翌日はスポーツ大会やら、夜にはキャンプファイヤー&統一列車などで大いに盛り上がりを見せた。緊張して口数の少なかったTも徐々に笑顔が見えるようになり、キャンプファイヤーでは楽し気に踊るようにまでなっていた。


そして、とうとうマダン最終日を迎えた。この日の午前中は参加者みんなが感想文を書くのだが、たいていの参加者はめんどうくさがって適当に書いて終わらせる場合が多い。ところがTはそうではなかった。黙々と描き続け、原稿用紙10枚もの感想文を書き上げたのだ。最後の班討論となり、班員が一人ひとり自分の感想文を読み上げていく。

「はじめは楽しんでいただけでしたが、もっと勉強しなければダメだと自覚するようになりました。」

「ほかの地域がすごく活発に留学同活動を行っているのを聞いて、自分たちも負けてられないなと思いました。」

など、それぞれの率直な感想を述べていった。俺も最後ということで堅いながらも自分の集大成として直球の内容のものを読み上げた。

「マダンは帰ってからも続く!夏は終わっても、マダンは終わらないのだ!」と名(迷)言も残した。


そして、最後にTの感想文の発表となった。みんなは、Tが黙々と書き、一番多い枚数を仕上げたことを知っていたせいか、彼の話す内容に興味津々であった。Tは気恥ずかしそうにしながらも、読み上げ始めた。


「僕は、このマダンにきて心の底から良かったと思っています。僕の住む地域は、ほとんど在日同胞がおらず、ましてや同世代の若者など皆無でした。親以外の在日朝鮮人と出会ったことがありませんでした。だから、このマダンで出会った仲間が僕の人生における初めての同胞学生です。」


Tの手はかすかに震えていたが、読み上げる声は力強く聞き取りやすいものだった。初日の彼の声とは全く異なっていた。


「一人っ子で兄弟もおらず、自分と同じ境遇の人と会うこともありませんでした。日本の学校へ通っていたので、当然自分が朝鮮人だと気づく機会もなかったし、そういった民族的なものに触れることもありませんでした。あったのは唯一チェサという法事の時ぐらいでした。


親はいつも「在日だということを隠しておきなさい」「学校でも友達に言わないようにしなさい」と僕に言っていました。」


Tは言葉に詰まることなく淡々と読み上げていった。


彼の話を聞いているとまるでオモニ達のような在日同胞2世の時代の事のように思えてきた。


「隠していたことで、罵声を浴びせられたりなどの露骨な差別を今まで受けてきませんでした。しかし、誰にも言ってはならないことを自分の胸の内に収め続けるというのはとてもしんどかったです。常に誰かにばれないか怯え、かといってそれを話せる友人もいない。本当に辛かったです。」


それまで淡々と読み上げていた彼だが、徐々に声が震えはじめた。聞いていた班員たちも同情や共感が入り混じった複雑な気持ちを抱えながら、それでも彼に少しでも寄り添おうと耳を傾けていた。


「こういうことを書くとあまり信じてもらえないかもしれませんが、実はつい最近まで自殺を考えていました。自分は何も悪いことをしたわけではない。後ろめたいことなどない。でも隠さなければならないといわれる。そして、僕自身も隠さなければならないと思うようになってしまっている。僕の存在自体がこの世にあってはならないものなのだ。そう思うようになっていました。」


彼は声を震わせながらもしっかりと読んでいた。班員の中にはすすり泣く子も出てきた。俺は、彼のこの感想文を一言一句聞き逃してはならないとさらに集中して聞くようにした。


「でも、このマダンに来てそういった考えがなくなりました。この二泊三日で多くの事を学びました。どうやって僕らの祖父たちが日本にわたり、僕ら在日朝鮮人が今も住んでいるのか?祖国が分断している事と在日同胞の生活はどのような関係にあるのか?また、法的地位、その他制度的な問題を学ぶことができました。19年間生きてきて初めて学ぶことばかりでした。
そして、多くの在日同胞学生と知り合えました。みんなに初めて会ったはずなのに、どこか懐かしい感じがするのがとても不思議でした。運動会をしたり、一緒にお風呂に入ったり、キャンプファイヤーで歌って踊ったりしました。同胞学生と一緒になにげなく時間を過ごすだけで、こんなにも楽しくて解放感があるのかと思いました。」


Tの読上げる声に明るさが出てきた。それと同時に聞いている俺らまで笑顔になってきた。みんながこの二泊三日を振り返り始めた。


「人は一人では決して生きられないし、ましてや在日朝鮮人はなおさら無理だと思います。だからこそ、同じ境遇の同胞学生が集まる必要があるし、互いに励まし合い、悩みを共有し、立ち向かっていく団結が必要なのだ。そういったことを今回のマダンで一番学ぶことができました。結局、僕は今まで自分で自分を差別していたのだと思います。人からの差別におびえることで、結果自分自身まで差別してしまっていました。そこから抜け出すことができたのはやはりこの二泊三日のマダンでした。
僕が断っても、東京から何度も足を運び僕を誘ってくれた専任の人に感謝しています。そして出会えた同胞学生のみんなに感謝しています。本当に来てよかったです。コマッスミダ!」


Tの感想文の読上げが終わると、みんなが一斉に拍手した。それは隣の部屋の班にも聞こえるほどだった。Tは顔を紅潮させながらも、満足げな表情をしていた。事前に班長会議で、閉講式での討論で班から一人代表者を出してほしいと言われていたのだが、文句なしに俺はTに決定した。

閉講式で彼はもう一度自分の感想文を読み上げた。二度目なので幾分か余裕が感じられたが、それでもその真剣さは聞いている者に嫌というほど伝わったし、聞き終えた者はみな熱い感情で満ち溢れていた。


開校式も終わり、最後に班ごとで写真を撮っている時、Tが俺に話しかけてきた。


「先輩!本当にコマッスミダ!先輩のおかげで楽しかったです。京都と東北でだいぶ距離がありますが、また会えるといいですね。」


「そうやな!なかなか東北で同胞学生と会う機会はふだん少ないと思うけど、人とのつながりって会う回数に比例するんじゃない。短期間でもどれだけ濃い関係を築けたかが重要やしな。そういった意味では俺はほんまに濃い関係を気づけたわ。一生お前の事は忘れへんぞ!
お前のおかげで俺が今までやってきた、そしてやっていくことが間違っていないと確信できたよ!こちらこそコマッスミダ!」


そういってお互い笑顔で握手して別れた。


帰りの車中で、後輩のKがにやにやしながら話しかけてきた。


「あの、最後のマダンでしたが、マダン・ラブはありましたか?また可能性はありそうですか?」


なんて面倒くさい奴だ、殴ってしまおうかと思ったが、とりあえずこらえてこう言った。


「まぁ残念ながら今年もマダン・ラブはなかったし、可能性もたぶん無いわぁ。ただ、ジブン・ラブの重要性を再確認できたな、うん。Kくん、自分で自分を差別することほどきつくて辛いことはないのだよ。自分を愛さなきゃね。」


「ジブン・ラブですかぁ?はぁ、まぁなんというか分かるようで分からないような。」


Kはこの人大丈夫か?と言いたげな憐みの目で俺を見ていたが、俺は上手く韻まで踏んで言えたとひとり満足して窓の外を眺めていた。

俺は途中で下車し予定通り役員講習会に参加した。


その後京都へ帰るや否や、すぐにサマースクールへ指導員として参加し、アツイ夏を爆走した。


そして、とうとうアメリカへ旅立つ日がやってきた。マイ・ベスト・サマーだ。


しかし、ベストどころか俺はその地である人の誇りを傷つけることになるのだが、この時はまだ知る由もなかった。

今日もコリアンボールを探し求める。

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