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そんなにCGが好きになったのか、ウルトラマン

シン・ウルトラマン初日の朝から観て参りました。以下盛大にネタバレしながら酷評していきたいと思いますので、未見の方、庵野秀明氏のファンの方はご遠慮下さい。


最初に自己語りを。私はウルトラマンAが放映されている時期に生まれており、リアルタイム世代ではありません。もっぱら朝、夕の再放送に熱中していました。一番好きなのはAですが、レオまでは基本的にほぼ全ての回を観ており、ウルトラマン消しゴムを始めとするグッズの収集、大百科を読みふけるなど筋金入りのウルトラマンオタクでした。10数年前、嫁さんの実家のTV前で団らんしている際、何の番組だったか失念しましたが、ウルトラマンオタクが登場し、そのオタクっぷりを披露するためのクイズが出されたのですが、その問題を瞬殺して全員にドン引きされた程度の知識はあります。ザラブ星人の頭頂部のわずかの部分の切り取り画像が示され、これは何でしょう?という問題でした。そんなレベルのオタクですので、シン・ウルトラマンが制作中であるという特報動画に大興奮したものです。
一方で、エヴァンゲリオンは観たことがなく、シン・ゴジラも観ていないので、特段庵野秀明(以下敬称略)に思い入れはありません。岡田斗司夫の動画はたまによく観ますので、庵野秀明が過去に帰ってきたウルトラマンを自主製作した話しなどは知っておりました。従って、今回の映画鑑賞のスタンスとして
1. ウルトラマンをどう描き直すのか
2. どのような映像に仕上げるつもりなのか
3. オリジナルとの関係性をどう扱うのか
をみせていただこうではないかという気持ちで劇場に足を運びました。

誰をターゲットにするのか

初代ウルトラマンを素材とする以上、客層は限られるに決まっています。基本は私のような回顧厨のおっさんやSF全般のファンなどです。庵野秀明を前面に押し出す感じの広告でしたので、エヴァファンも一定数取り込めるかもしれませんね。あざとくジャニーズをキャスティングしてたけど、JK, JT, JSが金を払ってまで観るくらい人気がある方なのだろうか?
パンフレットにオリジナルのファンだけでなく広い層にリーチする事を意識していたといった趣旨のことが書いてありましたが、確かに映画の作りとしてはそれが節々に感じられました。くどいほどにセリフで説明させ、意味不明な部分は意味不明なままでスルーしても本筋には関係ないため、ウルトラマン未視聴でも話しの内容は理解できるはず。それでいてオリジナルのファンであれば思わずニヤリとしてしまうようなシーンも織り込まれていて、庵野秀明のオタクっぷりが伝わるシナリオはある意味優れていたと思います。逆を返せばどっちつかずで中途半端感は否めないのではないか。ネロンガとガボラが登場することは予告でもグッズでもネタバレしているのでいいのですが、扱いが軽すぎ、怪獣(あえてこう書く)弱すぎでいくらなんでもあっさり倒し過ぎ。この時点でシン・ウルトラマンは怪獣映画じゃない?という疑問が湧き上がってきました。ネタバレしてない怪獣(あいつしかいないと確信はしている)がきっとメインで登場して、きっと大苦戦して・・・という展開を期待してはいたのですが、それはありえない形で裏切られるのです。怪獣が何故存在するのかという誰でも一度は抱く疑問についての答えがあろうことか宇宙人(あえてこう書く)から語られるのですが、あまりにも短絡的で呆気にとられました。じゃあガマクジラは真珠を回収するため、ジラースは魚を回収するための生物兵器だとでも言うのか?怪獣の存在意義なんて謎にしとけよ。絶対的な人気を誇るゴモラを出さず、電気を食うネロンガ、ウランを食うガボラというマニアックなチョイスはこのこじつけのために都合がいいから選ばれたのかと疑ってしまう。岡田斗司夫はこのチョイスについて原発問題に切り込むのではと考察していましたが、そういった思想が練りこまれていなかったのは安心しました。
一方、ザラブ星人が出てきた瞬間にニセウルトラマンが、メフィラス星人が出てきた瞬間に巨大化女性隊員が出てくることは予想通りで、なんのひねりもありません。この予定調和はオタクとしては安心できたのですが、女性隊員が巨大化するくだりはオリジナルを知らない層には完全に意味不明で絶対受けない。全39回の放送の中で異例の事態としてフジ隊員が巨大化させられたからショッキングだったのであり、初見で巨大化した長澤まさみを見せられても困惑するしかない。さらに、長澤まさみの扱いが酷すぎる。巨大化させられたシーンではその(巨大な)胸にフォーカスしたり、スカートの中身見えそうなポーズを取らせたり、子どもには刺激があまりにも強すぎる。さらに、シャワーもしばらく浴びていない状態の長澤まさみの匂いをウルトラマンに必要以上に嗅ぎ回させるという倒錯した性癖まで披露し、一部の層に猛烈な嫉妬を抱かせる始末。そして極め付けが何故か何度も自分の尻を叩く長澤まさみ・・・それいらないよ。総じて、一体誰に観てもらいたい映画なのか、全く理解できない中途半端さばかりが目につくことになりました。

これが邦画の限界なのか

今見返してみれば、オリジナルのウルトラマンの特撮はちゃちいの一言です。時代が時代ですから、あれでも当時は熱狂できたし、現実ではないとわかっているのでピアノ線が見えたからって誰も大騒ぎしませんでした。ハリウッド映画に慣れ親しんでしまったので、ちょっと目が肥え過ぎたかもしれませんが、シン・ウルトラマンがどんな映像でわくわくさせてくれるのか楽しみにしていました。予告編で観たスペシウム光線を放つシーンはオリジナルの表現を踏襲しつつ、めちゃくちゃかっこよかったので期待大です。そして実際そのシーンは大迫力で満足はしました。でも、これがシン・ウルトラマン最大の見せ場になるなんて誰が予想したでしょうか?
ガボラの造形は無機的な感じも含めて大好きです。でも投げ飛ばして地面が崩れるシーンのCGのちゃちいこと。リアル感を出したいのか、ちゃちなオリジナルの特撮テイストを盛り込みたいのか、どっちつかずでこれも中途半端。
シン・ウルトラマンが飛ぶシーンやクルクル回転するシーンはオリジナルを思わせるどうみても人形使ってますという特撮丸出しでしたが、オリジナル知らない層にしてみればあまりに不自然な映像に驚いたのではないでしょうか。
一番がっかりしたのが巨大化長澤まさみです。どうみてもグリーンバックの合成ですよねという下手くそなCG処理で、これならいっそのことミニチュアセットにした方がましなのではないかと思いました。そりゃあ最近のSF映画はCG全盛ですし、ハリウッド並みの莫大な金をかければもっとすごい映像に仕上がったのでしょうが、B級映画のようなCGは興ざめするだけです。
さらに呆れ返ったのは物理学者の隊員が国際会議に参加するシーンです。今時VRゴーグル?いくら制作が数年前から始まってるとは言ってもその時点でVRなんてオワコンだったでしょ?あれは何かの羞恥プレイだったのでしょうか?まあ最近はコロナの影響でZoomとかのweb会議が当たり前になりましたので、より一層VRゴーグルというのが滑稽に思えました。最高峰エリートなはずの科特隊員(あえてこう書く)がど下手くその英語ってのもふざけるなと怒り心頭ですよ。だったら日本語でしゃべったのが同時に翻訳される機械でも登場させればいいじゃない?ザラブ星人はアプリ使ってたよね?パンフレットにその役者と英語の先生のエピソードが書いてあったんだけど、美談ぽくするにはあまりにおそまつすぎて噴飯ものです。
ゼットンは形成されるところだけはカッコ良かったです。ただそれだけです。

ウルトラマンという素材を抜きにしても、CGを含めて映像作品としての出来栄えは必ずしも高いとは言い難く、中途半端感が否めないと感じました。事前の情報でiPhoneを役者さんが手持ちして撮影したシーンがあると知っていたので、ひどい映像のところでああここかとスルーできましたが、知らなかった方は相当イラついたのではないでしょうか?手持ちカメラの臨場感と言えば聞こえはいいですが、いくらなんでも荒過ぎます。私はあえてIMAXではない回を選びましたが、この映像をIMAXにアプコンするなんてどんな仕上がりだったんでしょうか?IMAXではなくTCXのスクリーンを選んだのですが、Dolby-Atmosじゃなかったんですよね。案の定サウンドの臨場感もいまいちでした。その点は次回IMAXで確かめたいと思います。ハリウッドのようにお金をかけられないのは理解できるのですが、できる範囲で頑張りました感が漂う努力賞レベルの映画にわざわざお金払って劇場に足を運ぶなんて(私のような)よっぽどの物好きしかいないでしょう。だとしたら脚本を含めた作品全体としての魅力が必要だと思いますが、残念ながらありきたりな薄っぺらいメッセージとしか感じませんでした。それはウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンAと続いた強烈なドラマで嫌という程見せられたメッセージの焼き直しだからだとすれば、オリジナルを知らない層にはある程度響いたのかもしれません。

結局シン・ウルトラマンで何がしたかったのか

朝っぱらからグッズ売り場に殺到してレジに大行列する私を含めたオタクどもが大勢いましたが、StarWarsの時に比べると圧倒的に少ないです。平日の朝だから無理はないとも言えますが、熱狂は感じませんでした。それでも完売するアイテムも結構ありましたので、転売屋の買い占めでないとするならば、根強いファンがいることは確かです。とすると、あそこにいた多くの方はオリジナルとシン・ウルトラマンとの関係性が気になっていたのではないでしょうか?
カラータイマーがついてないウルトラマンですから、あの世界線の延長ではないことは明らかです。登場時の色が全身銀なのに、次の登場では赤い部分ができていることに説明はあったのか?
それでもなお、ウルトラマンが何故地球に来たのか?何故地球人の味方をしてくれるのか?そしてどのような結末が待っているのか?は描かれるものと期待していたはずです。私の見逃しでなければ、何故地球に来たのかは語られなかったように思います。ネロンガが現れて、かなり困ったことにはなったけど、地球が大ピンチという状況ではないにも関わらず何故か落ちてきてくれました。その際アホなガキがうろついてたせいで科特隊員が死ぬことになり、「死なせたことに罪悪感を持った」のではく、「死ぬ気で子どもを守ったことに興味をもった」のでとりあえずのり移るという邪なウルトラマンには全く共感できませんでした。最後に登場する異星人のゾフィも地球人全員が生物兵器になるのは面倒臭いから太陽系ぶっとばすわとか言い放つという、ウルトラの星人鬼畜すぎるでしょ。特に兄貴分的役割で好感度も高いゾフィを貶めるとはちょっとやり過ぎだと思います。アストラくらいが適任ではないでしょうか。まあ最後のオマージュシーンのためにはゾフィが必要なんですけども。
そしてこの映画がクソ中のクソだと断言できるのが結末です。まず、そもそも地球にとっての最後の敵がゾフィだという設定は受け入れられないし、ラスボスの「ゼットン」が機械!!!!!!ふざけるのもいい加減にしろよ。こんなところでエヴァンゲリオン持ってくるなっての。1兆度というキーワードは保存されていたので全員ニヤリとしたけど(初見さんは意味不明)、なんで兵器を壊すっていうのが結末になるの?で、1 msがどうのこうのとかいう式を導き出したらしいんだけど、結局ウルトラマンにベータカプセル連打してその後1 msでゼットンをぶん殴ってきてというのが人類の結論ってなんなんだよそれ。知恵もクソもないだろう。マルス133みたいなの出てくるのかと思ったよ(そんなの作る時間ないと思うけど)。そんでゼットンの攻撃が始まるの遅過ぎない?なにをちんたら用意してんの?
あーイライラする。結局のところ庵野秀明が描きたかったのは「地球人無能乙」ということだけで、何一つ溜飲が下がるものがありません。たかだか2時間の間に少なくとも科特隊のメンバーの誰かに感情移入でもできればよかったのですが、あれもこれもと詰め込もうとしたことによってその暇がありません。斉藤工はいい役者で、シン・ウルトラマンを演じきったと思いますが、融合している時間がほぼ全てであり、その無感情な演技によってヒーローにはなりえませんでした。ウルトラセブンの苦悩を知っている層にしてみれば、あまりに薄っぺらい理由で地球にこだわるシン・ウルトラマンに感じてしまい、2つの命を持ってこないゾフィへのイラつきもあいまってクライマックスが盛り上がることはありませんでした。

最後に

エンドロールが流れスーツアクターに庵野秀明の名が入っていることを確認し、やっぱりなと思いました。あの帰ってきたウルトラマンを演じたんだもんね。パンフレットは帰りの電車で読み始めましたが、読み終わって違和感が・・庵野秀明のコメントが無い・・。そうか脚本を含めて庵野テイストがあるにも関わらず、ちぐはぐさを感じた原因はこれか。監督さんと庵野秀明とのギャップが大き過ぎたのかもしれません。ひょっとして庵野秀明はこの作品のことを気に入ってないのでは?たんなるオタク趣味で作ろうとしたんだけど放り投げちゃったのか、単に人前に出ることをよしとしないだけの人物なのか。その辺りは詳しくないのでわからずじまいです。
エンディングテーマは米津玄師の「M87」?なんで87?M78は商標でも取られてたんかね?思い返せば映画の最初に「シン・ゴジラ」って出てきて???ってなったんだけど(いまだに寒いギャグだったとしか思えない)
、M87というタイトルの曲から最後まで逆張りした中二病の集まりが己のオタク度をひけらかしたいだけで作り上げた映画だったのか?という虚しさだけが残りました。もう一回は観ますけどあまり期待しないで観たらどうなるのでしょうか。

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