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先哲の答え 『全部受け入れよ』

思い出した!


 つい先ほど、ここ十数年思い出せなかった人の名前を思い出した。

エウリビデス・・・昔、私が特にメンタルがキツイ時に毎日見ていた言葉。

『勇気とは、神が賜るものを(躊躇・逡巡無く全て)速やかに受け取ることである』

当時、私は『こんな不幸が私の人生に訪れるものなのか?これらを受け入れる器は私には無いのに。』との心境だった。

 🔵 名古屋地検特捜部 に呼び出される。
 🔵  別件で賠償訴訟3,000万とか。
 🔵  妻の癌死。

仕事もてんてこ舞い。お恥ずかしいが、当時は酒に溺れていた。ご迷惑をたくさんおかけしたのだ。日中はアウリビデス、夜は酒乱。恥ずかちい。


間違えた人生

 とにかく『不足』がいっぱいあった。『足りないなら満たすだけ』とばかりに、それなりに頑張って。
 A地点からB地点に向かって、息も絶え絶えたどりついても。そこにも大きな穴が空いていて。

『A地点にいることが不幸でB地点に着いたら幸せになれる』・・・そういう間違った・・と今なら理論的に断言できる。

 今は、一番重要に思える胸の中の穴は埋まっている・・・ありがたい。

当時は、経済的成功=獲得こそが我々が目指すべき極星と信じてたなぁ。

それが間違っている。そう思い知らされるだけの人生だったなあ。

※間違っているのは「私の価値観の上では』と言う意味で、コア=コードのメインファクターが『意』『知』の方はシンプルに金と名声を追うことに価値を見出せるのだ。それはそれで楽しく正しい。

 先哲のおっしゃったこと

 そわか〔ソハカ〕【×蘇▽婆×訶/×薩▽婆×訶】《(梵)svāhāの音写。円満・成就などと訳す》仏語。幸あれ、祝福あれ、といった意を込めて、陀羅尼・呪文 (じゅもん) などのあとにつけて唱える語。そばか。/グー辞書さん

 小林正観さんの『そわか』はご存知『掃除・笑い・感謝』なのだが、間違いなくここから引いてきたお言葉だろう。ダジャレが効いて、よく出来ている。

 中村天風先生の『絶対積極』「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんだよ。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。けっして張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。」

 ここで言う絶対積極は、積極の強化版ではなく『超越・・どっちでも良いじゃん?』という意味だなあ。欲や嫉妬を持たないと言うか。ヨガでいう心の止滅と同じような。(ヨガはもう一方で『心の促進』も持つ。また別の機会に)

 『そわか』に戻るが、これらは一見生産的・合理的ではない。
この歳になると、そわかが恐るべきパワーを持つと分かるが発達気質の私は整理整頓や掃除が苦手だ。今では『細かく・・毎日』でなんとか凌いでいる。笑いも少なかったが、できるだけ機嫌よく人前では優しい顔をしたいと思っている。これは仏教で言う『貧者の七布施』を意識しているのだ。

 ※人間にしか笑いはないというが、そんなことはない。哺乳類は生きられる=食える時に笑う。餌の匂いを嗅ぐためだ。漫才などで笑うのも『自分はまだ生きられる』認識につながっている。笑いは健康に良いことらしい。また、多く笑うことは笑う癖が付くので積極的に笑おう。

 感謝・・これが問題だ。ありがたい・ありがとうとは言うものの、その質量があまりにも軽い。圧倒的に感謝が足りないのだ。トイレ掃除を頑張る人も、たくさん笑う人も多い。だが、

『感謝』だけはほとんどの人に足りていないと思われる。


 ハッピーハックでは、柱にハッピーカウントという考え方を持つ。感謝というよりは自分の価値観の中で良いことを数える。最低400個を数えられないと『感謝している』とは言えない。

 説明したい。ハッピーカウントは、痛みや苦しみを伴うが意外にも衝撃的な経験を得る。この経験をする者は、100人に一人もいないだろう。これを経験した人には『ホモ・グラティアス』と名付けたいぐらいだ。残念だが『ホモ・エクセレンス』は既に使われている。

 これには、少々の時間とコーチングが必要かも知れない。もしかすると脳や心にダメージがあるかも。超短期間でできることだが、武道の修行のような厳しさ辛さがある。

だが、一度経験してみれば莫大な効果を感じる。

🔵 幸せや物事の良い面を探すセンス・感度が上がる。
🔵 良いことに関するボキャブラリーが増大する。
🔵    どのような事象が起きようとも、そのことによって得られる良い面や幸福を速やかに得られる。

意外に『元の木阿弥』にはならない。

※現状に感謝できない人が、何かを得た(合格する・結婚する・優勝するなど)場合に、もっと不幸になる。それを回避するために不満な現状に対しても感謝をできねばならない。何かを手に入れるということは、瞬間的な達成感・全能感の直後から『持つゆえの辛さや失う・転落する恐怖』を感じるからだ。どこにいてもどんな状況にあっても貴女は感謝そのものでなければならない。

※ある方が、自動車で接触事故を起こした時咄嗟にありがとうと言った。その方はお相手の女性と結婚された。あるいは10万回ありがとうと言う。これらとは少しニュアンスが違う。大事なことは、物事の良い面を探す態度なのだ。

親ガチャは失敗しても、国ガチャは成功している。殊に私のような尿崩症は飲める水が大量に必要なのだ。

因果

 ヨガや仏教では、全ての事象には原因があるという。だから善きことをすれば善きことが帰ってくるとも。ただ、それはいつになるか分からないとも。
 
 でも、過去に何があるにせよ私たちが人生で食らう鉄槌はあまりにもキツイ。善いことをすれば、必ず善い目に遭うとも限るまい。
 地震や津波に襲われる日本で、学童が大勢亡くなった。幼稚園の先生を信じて付いて行った挙句に・・苦しかっただろう。それに対して『漁業という殺生をするからだ。』と高邁なヨガの先生に言われたことがある。

 それも因果応報というのか?『無始無終』というなら円環の中を回り続けるだけか?

哺乳類として生きる

 宗教や哲学を知ったり語ったりするのは楽しい。だが、ハッピーハックでやることは哺乳類としての貴女個人の幸せを希求することだ。
 若い人は、獲得するが宜しかろう。だが40歳を超えたあたりから、それだけでは苦しくなる。50歳ともなれば『公』への貢献がないと辛くて仕方がなくなる。老いれば価値が下がると知っているからだ。
 誰しも『もう自分のためだけでは頑張れない』とのご経験はあるはずだ。

 SNSでもノウハウ流行りだ。『ノウハウコレクター』と言う言葉さえある。さらに矛盾もし、大量のノウハウは生まれてくる。人生は案外短い。何事においても、ある程度絞っていかないと。そして、私たちは哺乳類の域を出ない。哺乳類として与えられた個々の役割と価値観に殉ずるより他に貴女の幸せなどない。そしてそれは、インサイドアウトでしか見つからない。



 最後まで、お読みくださりありがとうございました。



 

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