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写真家「中平卓馬 火―氾濫」展がこんなにも活況だったなんて

先日まで近代美術館で行われていた「中平卓馬 火―氾濫」展を見た。それに際して中平の風景論に基づく写真観・批評観に関する小論を書こうとしたら、草稿すらあまりにも肥大しているので、いったんそちらを止めて短文を記したい。そちらは後で公開する。

「火―氾濫」展は中平のほぼ全足跡をたどる大規模なもので、単なる写真展示だけでなく、彼の書いた文章や掲載された当時の雑誌がそのままに展示されていた。なんなら資料展示の存在感の方が大きいとすら思われ、それゆえにこそ、単なる写真家ではなく写真理論家・写真活動家としての中平の姿がよく現れたまさに「中平卓馬」展になっていたように思える。しいて言えば森山大道の存在感が非常に薄く、それはベクトル的に言って真実的とも思えるが、他方で重要な比較対象が欠如しているという面もあるように思った。とはいえその比較は別な機会にしておく。

最終日に行ったこともあり展示は賑わっていて、古参のファン、海外勢、そして若い女性の姿がかなり多く見られた。そんな興味関心を現在においても惹き付ける対象なのかと率直に驚いた。だとすればそれはなぜなのだろうか。それは僕にはわからない。純粋に中平の写真が今なおカッコいいから、というのはあるのかもしれない。

時系列を追う形で展開する本展示は、ごく簡単に言えば、白黒写真からカラー写真へ移行していくという流れをたどっており、同時にそれは、政治の時代から無関心の時代への移行と同期していたと言える。実際、ほぼ中平が記憶喪失する前に当たる一九七七年以前は、白黒写真と政治の時代であり、その展示は過剰に歴史的で現代と隔絶しているように見える。一方、カラー写真へと写っていったそれ以降の写真は、一九八九年の『ADIEU A X』こそ白黒だったが、それ以外のものを中平の作品だと思って見なければ、ある意味で普通の写真である。展示では処女作である『来たるべき言葉のために』のスライドムービーが観衆を集めていたが、映像形式の展示だったため、その光景における観客は、どちらかといえば写真ではなく映像を見ているように思えた。他方、カラー写真を見る観客はまじまじと写真を見ていたように思えた。

しかし、いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」時代の中平を無視するのであれば、わざわざ中平のカラー写真を見る意味はあまりないのではないか、とも思ってしまう。それが仮に鮮明で臨場感に富む”いい写真”であったとしても、それは中平の作品である必要を持たないのではないか。カラー写真にスマートフォンを向けて撮影保存しようとする若い女性客の姿を見て、恐らくは克明に描写されたこの写真を保存しようとしているのだろうなと予想したところ、やはりそれがターゲットだった。そうかと思うと、後ろを足早に巡回していた中年の男性客は「意図がわからん」とぼやきながら作品群を眺めていた。とはいえこの人たちも順路に沿って中平が雑誌等に残した大量の理論的資料を見学してからそこに来たのは確かだと思うのだが。

とりわけ後期・晩年に当たる中平の写真を理解するためには必然的に中平がどんな足跡を辿ってきたかを追う必要があると思う一方で、もしそれが背景を知る必要なく魅力的な作品であるのだとすれば、それは実に素晴らしいことだ。たとえば後期にあたる『原点復帰-横浜』や『Documentary』の写真をどう思うかといえば、それは、良いのである。しかしそれは、事物そのものが現れているというよりかは、中平が「植物図鑑」を目指して排除した「詩」「夜」性が、カラーになってなお感じられるからだと言わざるを得ない。中平は事物を目指して意味を排除しようと目指したはずなのに、そこに何か「秘密」を感じてならないのである。

一方で、現代における「アレ・ブレ・ボケ」とは何かという問いについて僕はよく考えていた。あれは、あの時代に対応するために求められた中平の必然的反応だった。だから現代でそのまま「アレ・ブレ・ボケ」写真を撮っても同じことにはならない。であれば、現代における「アレ・ブレ・ボケ」とは一体何なのだろうか。そのような問いも当然のように二重化されている。それは現代における表現と政治の関係がなんであるかを問うことであり、そして、そのような鮮烈さを現代において持ち得るものだろうか、と問うことでもある。中平や森山がヒステリック・グラマーとコラボしたことの意味は決して小さくない。

「火―氾濫」展を見ることは、時代に相対した中平が、しかし記憶喪失という都合のよい挿絵のような事件を経由しながら、自らの身体性(あるいは人生)において写真を私的に再構成するという流れを辿った様子を経験することである。とすれば我々がその展示や作品を見る経験は、我々の私的な実感を通じて消化され、再び現代という時代へと還っていくのではないか。そうであるべきと求められねばならないのではないだろうか。

とはいえ、その出口は我々が完全にフリーハンドで考えねばならないものである。言うなれば中平は昭和の連続において平成を記述していた。記憶喪失という断絶あってなおそれは変わらない。しかし、記憶喪失という挿話は、中平的写真史における断絶と飛躍の必要(然)性をこれ以上なく明示的に、しかしそれゆえに隠喩的に示しているようである。

もしも中平がその理論的指標通りに「写真の零度」を目指していたとしたら、スマートフォンやインスタグラムの隆盛による汎写真化、生成AIによるディープフェイクの一般化、そしてそれらすべてを含めたデジタルネイチャーのような世界が顕現しつつある令和はそれを達成しつつあるのかもしれない。しかしそれは恐らく中平の敷いたレール上にあるものではなく、別な言語ゲームなのではなかろうか。そしてもしかしたら、それこそが真の零度であるような事態がありうるのではないか。

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