村上裕一 yuichi murakami

書くことでしか埋められない穴を埋めるためのワルツ。

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最近の記事

写真家「中平卓馬 火―氾濫」展がこんなにも活況だったなんて

先日まで近代美術館で行われていた「中平卓馬 火―氾濫」展を見た。それに際して中平の風景論に基づく写真観・批評観に関する小論を書こうとしたら、草稿すらあまりにも肥大しているので、いったんそちらを止めて短文を記したい。そちらは後で公開する。 「火―氾濫」展は中平のほぼ全足跡をたどる大規模なもので、単なる写真展示だけでなく、彼の書いた文章や掲載された当時の雑誌がそのままに展示されていた。なんなら資料展示の存在感の方が大きいとすら思われ、それゆえにこそ、単なる写真家ではなく写真理論

    • 本当に使える「実用性」とは

      結論 実用性を論じた文章だから、最初に結論を書いておく。 ・とにかくすぐに着手できる指針が示されていること ・指針の背景を問わずに済むお膳立てがなされていること 本文 実用書と銘打っていなくても、「実用性」を論ずるのであれば、そのもっとも望ましい形態は即着手できること、いうなれば着手性だ。しばしば即効性と混同されるが、必ずしも同じではなく、即効性というよりは即時性を重視するのが実用性を整理したり求めていく上では大事である。 たとえば料理のレシピ本は具材とその比率と手順

      • 他者がいなければ承認されない

        『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』(奥村隆)を少し読んだ。いい本で、ゴフマンやレイン、ベイトソン、それからシュッツといった面白い(社会)学者たちのエッセンス的な部分を実践的記述の中で味わうことができる。 扠て、社会学は社会の学だから、二人以上の人が存在する中で起きるもろもろを問題にする。とりわけ「コミュニケーションの社会学」をサブタイトルに持つ本書は、社会の最小単位としての二者関係(私とあなた)を重視していることは明らかだが、そこでレインやゴフマンを引きながら「

        • 転生的想像力について

           これはほんの思いつきを語ることに過ぎないが、可能世界的想像力というものがあるのに対し、今の世界では転生的想像力というものが軸になっているのではないか。  可能世界的想像力は素朴にいえば「こうでないこと(自分)もありえた」と考えることであり、分析哲学以外に起源を求めれば虚構に関連する様々な思考と紐づけることができるから、おそらくギリシャまで遡ることができそうだ。とはいえ、ゲームのような全ての人間がプレイヤーとして「別の生」を体験できる営みが発達した現代において理解しやすくな

        写真家「中平卓馬 火―氾濫」展がこんなにも活況だったなんて

          滋養にしたいなら紙の本を選ぶべき

           本は情報の塊だが、脳を本とケーブル接続してファイル移動するわけでもないから、その情報をありのままに受け取れるわけではない。  電子書籍の本当の利点は、品切れを回避できるというところだ。物理的な本は、書店になくなったらもう買うことはできない。電子データは容易にコピーできるから品切れということがない。携帯性とか収納性といった利点よりもこちらの方が重要だ。買えるか買えないかは1か0の問題。  最近は書店を何件か回ってもほしい本が手に入らないという事態によく直面する。たとえば先

          滋養にしたいなら紙の本を選ぶべき

          ヘーゲルの真理観と哲学の限界

          弁証法を主要に扱ったヘーゲル『精神現象学』序言の重要問題として真理の問題がある。ヘーゲルは真理を「史的真理」「数学的真理」「哲学的真理」に分け、後者に行くほど「高い」とする。すでにこの段階でヘーゲルの真理認識が数学的でないことは明らかだが、となるとそもそも真理とは何か。

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          ヘーゲルの真理観と哲学の限界

          昨年買って後悔したもの第一位

          前置き 僕は日々、ガジェット系YouTuberが「今月のベストバイ」とか「今年買ってよかったもの」「今年買って悪かったもの」を並べたりランキング化したりした企画の動画を出しているのを見て、うらやましいと思っていた。楽しそう。俺もやりたい。そういうことである。 しかしそういうことをやろうと思ってもそう簡単にはいかないのであった。そもそも自分が何を買っていたのか思い出せないし、ガジェットブロガーやYouTuberのようにバカスカと最新家電を買っては売るみたいなことはしない。ガ

          昨年買って後悔したもの第一位

          自分の中に制約を設ける

          自分の中の制約を取り外そうと言っておきながら、今度は反対の話だ。 無自覚な制限は自己を袋小路に追い込むが、逆説的に、自分が与えた自覚的な制限は、現状を打破したり、思わぬ成果を呼び込んだりする。 これはいくつかの切り口で言えることだが、たとえば制限とは「問題設定」のことであって、問いがなければ解答はできない。しかし、一般に、問題に答えるよりも問題を作ることの方が難しい。コミュニケーションのレベルにおいて、解答には問いという手がかりがあるが、設問のための手がかりは別なところに

          自分の中に制約を設ける

          自分の中の制約を取り払う

          確か『壁』というタイトルの本ーーいくらネットやAmazonを探してみてもなぜか見つからなくないーーが、そういう趣旨のことを言っていた気もするし、今となってはこういうことは誰もが言っていることだと思うが、我々は心や習慣の中に壁を作っている。 走る速度や持ち上げられる重量の上限といった物理的限界、人の権利を侵害する法的限界がある一方で、その壁というのはもっぱら心理的な壁である。そして心理的な壁は、無自覚な壁であったり、道徳的な壁だったりする。 無自覚な壁というのは、本当はもっ

          自分の中の制約を取り払う

          本は孤独なメディア

          紙がいいか、電子がいいか。これはずーっと言われてきている話だ。現代では、スマホでものを読んだり見るようになったりした子供たちが増えたから、この問題設定も古びてきたかなと思ったりもするが、そういう子たちも教科書は紙だから、この雰囲気はまあ後五〇年くらいは残るだろう。 僕は「本はやっぱり紙がいい」的なことを書こうとしていたのだが、そのとき、急に深夜の駅チカでしゃがみこんでスマホを見ている女の子とかの姿が想起された。トー横にいそうな居場所なさげな女子を想起されたいが、そういう子が

          本は孤独なメディア

          絶対にしてはいけない「頭の悪い」話し方

          こういう刺激的なタイトルをつけるのもいかがなものかと思ったが、しかし、これが一番伝わりやすいと判断してこうすることにした。 1+1が難しい 日常生活において用いているからといって日本語が上手に使えているとは限らない。これは比喩が上手いとかそういうレベルの話ではなく、そもそも人は「1+1=2」レベルの計算に相当するような日本語会話でも意外とちゃんとすることができない。生活においてそうだということは、仕事などにおいてもそうだということになる。 成功談を真似しても同じように成

          絶対にしてはいけない「頭の悪い」話し方

          RIZIN45感想+答え合わせ

           最高の大晦日でした。歴代最高のRIZIN大晦日だったんじゃないでしょうか。KOもめちゃくちゃ多く、そうじゃない試合も退屈じゃなかったです。ほぼ全ての試合でエキサイトした気がします。こんな興行あっただろうか…。  今回の勝敗予想の結果は12勝5敗! だいぶ当たったぞ! ✗ 第1試合/YUSHI vs. 平本丈>僕はYUSHI選手の判定勝ちを予想します。 平本丈選手が3-0で勝利しました。ほぼ全局面で圧倒していました。素晴らしい。平本家の格闘遺伝子もさることながら、やはり

          RIZIN45感想+答え合わせ

          RIZIN45、勝敗予想

           大晦日は格闘技である。  大晦日に開催されるRIZIN45のカードが出揃い、本日試合順が発表されたので、今回はその試合予想をしていく。あまり物書きの仕事で格闘技に触れることはないが、とても面白い一夜になるので、もしも僕の記事で興味が湧いた人は、大晦日に冒頭4試合だけ無料YouTube配信されるので、それだけでも見てほしい。それ以降は有料配信になる。フジテレビでの地上波がなくなったのは、なんだかんだで悲しい。興味がない友人たちも、かつてはチャンネルを回すだけで見てみることはで

          今回の撮影の正解装備は?

          先日取材にて撮影機材を持参のもと数泊の飛行機移動に臨んだのだが、次のことを考えて反省をまとめておこうと思う。 機材持参の飛行機移動は数年ぶりだったのだが、前は完全にバックパックに無理やりレンズを三本とボディを二個で臨んだ。そのときは写真はそれほど必須ではなかったのと、ムービーを取る予定は完全になかったことによって相対的に気楽だったのだが、確か1635f2.8、2470f2.8、135mmf1.8の三本で臨んだように思われる。望遠が単焦点のみなのは結構攻めている。それ以上に重

          今回の撮影の正解装備は?

          「まず書いてみる」のに向いているnote

          文章を人に習う機会というのはそうはないもので、一番典型的なのは大学の卒論指導や院進してからのことだと思いますが、そもそも院進する人でしかも文系はとなるとたいへん少数派でしょうし、近年は卒論無しで卒業できるケースもけっこうあるようです。ということは文章を人から習うという機会はあまり人生にはないということがわかってきます。例えば報告書のようなちょっとした形式の文章について習うことはあるかもしれませんが、そういう業務に特化していないところで体系的に作文を学ぶみたいなことはまあやはり

          「まず書いてみる」のに向いているnote

          何もできないときに文章に向き合う意味

          批評性というのは精神なので、どんな表現にも宿ります。しかし、批評をするということであれば、それは文章を書くことでなければなりません。批評とは文章のことであって、ちょっとしたコメントやトークが批評的であってもそれは批評そのものではない。批評的な作品があっても、批評の身体たる幹は文章なのであって、それも一定の分量がなくてはならない。どれくらい短い散文が(詩ではなく)批評として成立するかはわかりませんが、批評は文章芸術です。なんで文章でなければならないかというと、文章以外の芸術形式

          何もできないときに文章に向き合う意味