死ねないから生きている、死ぬために生きている

急に重いタイトルにしちゃったけど、今死のうとしているとかじゃない。
 
なんか僕は物心ついたときには消えたい、死にたいという願望があった。
「希死念慮」ってやつらしい。
 

それはいつも僕の体に纏わりついていて、逃れられなかった。
 
別に黒いモヤが見えるとか、何かの声が聞こえるとか、そんなスピリチュアルな話じゃなくて、人間が呼吸するのと同じくらいの自然さで僕と共に存在していただけ。
 
家庭環境はあまりよくはなかったが、事件になるほどのヤバイ家ではなかったし、原因はわからない。
いや、原因なんてものがあるものなのかすら、わからない。
今となってはどうでもいい。
 

ただ、僕の存在ごと消し去ってくれと強く願っていた時期があった。

 
今も不定期でそんな気持ちに襲われる。
 
けれども世の中はままならないので、早く抹消されたらいいのにと考えいる僕みたいな人は死ぬことは許されず、もっと生きられたらいいのにと祈る人たちには容赦なく運命を突き付ける。
 
呼吸するみたいに死を願う人間は、そうして死に直面した人やその家族からはたいそう嫌われることだと思うし、僕自身も希死念慮を抱く自分をどうにかできないものかと苦しんでいた。
 
僕だってできれば、死にたいと考えたことがない「健全な人間」として生まれて育ちたかった。
 

悩みぬいた結論としては「仕方がない」だった。
死を願うのは仕方がない。僕の持つ特性だと考えて諦めて、受け入れる。
そうしないと、抵抗すればするほど希死念慮は強い力で攻撃してくる。
 
ずっと死にたかった僕は、中学生の時に自殺未遂をしている。
これは失敗に終わって、あとで殺してくれってくらいの体に悪影響が出たんだけど、これがまたしんどかった。死んだ方がマシなくらいしんどかった。

この経験のおかげで、確実で死ねる方法以外で自殺はしちゃだめっていうのを身をもって学習したので、実際に自殺するまでに準備が必要になってしまい、結果的にその後も衝動で死にかけるということはなくなった。
 
長年かけて向き合ってきたことで、希死念慮に負ける確立はかなり下げられたと思う。
 

だけど、死にたい気持ち、消えたい気持ちは相変わらずやってくる。
 
そんな時は期限を設ける。
あと少し生きてみようって。
 
3日間だけ生きてみる。

そしてその3日後には、またあと少しって言い聞かせる。

その小さなステップを繰り返して、ギリギリなんとか生きている。
 
自殺はどうせうまくいかないし、死ねないから生きているだけだ。
目的。そんなものはない。
生きる理由もないが、よく考えてみたら死ななくてはならない絶対的な理由もない。
早く人生終わってくれたらいいなと、心の中でずっと思っている自分がいるだけで。
 
僕はのゴールはいつなんだ?
どこまで頑張れば終われるんだ?
 
そんな自問自答を、何十年も飽きずに繰り返している。

 
首をじわじわと締められるような苦しさを、
何かが体にまとわりついて離れない不快感を、
予告もなく殴られたような強烈な感情を、
いつまで抱えていなければならないのか。
 
今も僕は、解放の日をずっと待っている。

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