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自分のあり方を掴むまでの葛藤の話と、集団をまとめるとは?のヒント

こんにちは、らっこです。

仕事はあるけども、ささっと書く。私は書き続けないと具合が悪くなってしまう生き物なのです。

なんだか大げさなタイトルにしてしまいましたが、仕事のことではなく、息子の習い事のことです。でも仕事に通じる大切な気づきなので書いておきたい。

去年の春からスポーツを始めたのですが、これがまあ、大変。私はそんなに参加してない部類の親なんだけど、ザ・日本社会みたいな感じだし、とりまとめる立場の皆さんは大変そうです。頭が上がりません。

1年弱参加して思ったことが大きくふたつあります。それがタイトルの『自分のあり方を掴むまでの葛藤の話と、集団をまとめるとは?のヒント』です。
思うがままに書いていきますね。

自分のあり方を見つけるまでの葛藤

これまでの期間で一番悩んだのは「親の参加は強制ではないけど、コミュニティではある以上、ある程度は参加しておかないと居心地が悪い。我が家はどこまで参加する?」でした。

加入する前は「父親がガッツリ参加すればいいでしょ」と思っていたんだけど、そうではなかった。母には母のコミュニティがあって、私は母として、母たちと人間関係を作らないといけない。

孤高の存在を貫けるほど私のメンタルは強くない。ひとりだけハブられるのはやっぱり辛い。だから会えばそれなりに話をするくらいの関係性は持ちたい。

でももう仲良しグループがある程度は形成されていて、今さらグッと入り込むのも辛いし、別に入りたくもない。

そして物理的にガッツリ参加するのは辛い。私にも私の予定がある。仕事もあるし、娘も見ないといけないし。そもそも体力もない。

ではどれくらいの頻度で参加するのが良いのか?を、ずーっと悩んでいました。

おしゃべり好きな母達が4時間くらいカフェで話しているのを横目で見て、行きたいとは思わないけど、たまには行った方がいいのか、でないとハブられるのか?とかを真剣に悩んでいました。村社会に対する恐れなのかな。生存本能的なやつ。しらんけど。

最終的には「行けるときはたまに行くが、基本は行かない人」になることにしました。

別に彼女たちは私の参加を求めていないし、私も楽しくないわけじゃないんだけど4時間あるなら他のことに使いたいし、今さらガッツリ参加したところで今以上に仲良くなれる気もしない。

なにより娘を付き合わせるのが辛い。娘にも娘の休日があるのだ。3歳とはいえ。関係性を作るためだけの母親のおしゃべりに付き合わされたらたまったもんじゃないだろう、とも思う。

ちなみに、家庭の力関係を作る要素はいくつかある。見えない要素だし誰も口にはしないけど、なんとなくある。

まずは親がコーチをやっているかどうかは大きい。次にチーム歴の長さ、親がそのスポーツを経験しているかどうか(指導できるかどうか)、車が出せるか、審判ができるか、場を盛り上げられるか、などなど。

我が家はどれもないので、より一層、居心地が悪かった。ギブ&テイクでいう、テイクしている側なのがちょっと辛かった。いつもごめんなさいと思っていた。いまも思ってるけど。

でも半年くらい経った頃に、少しずつ自分のペースが掴めてきた。ペースというか、割り切りかもしれない。

ある家庭は父親がフル参加している。
ある家庭は夜勤明けでも父親が参加している。
ある家庭は試合には絶対に家族勢ぞろいで来る。
ある家庭は、父親がほぼ顔を出さない。だから母親がほぼ1人でがんばっている。
ある家庭は、母親がほぼ顔を出さない。だから父親がほぼ1人でがんばっている。
とある家庭はひとり親だったりする。

スタンスは人それぞれ。皆、参加の仕方を悩みながら関わっている。一日は24時間しかない。土日は48時間しかない。

そのなかで、父親が息子のスポーツへのフル参加を選べば、他の兄弟はほぼその父親に接する時間がなくなる。どこまでやるのか。優先順位は家庭による。

自分のなかで「ここまではやる、ここからはやらない」の線引きができて、バランスが掴めてきた。

いまの自分たちができること、息子のサポートに割ける時間、娘と過ごしたい時間、自分のための時間、夫が休むための時間、などなどを総合して、「できるのはここまで。これ以上は無理」みたいなラインができてきたんですね。

我が家は「親が心身ともに倒れないライン」で線を引きました。土日は父親がどちらか片方は行く。母親も顔を出せるときには出す。でも無理はしすぎない。「いつもいるわけじゃないけど、ときどきいる人」くらいの存在を目指してる。今はね。

仕事でもなんでも、すべてはバランス。心地いいバランスがそれぞれあって、そこを見つけるまでは葛藤なんだと思う。

フリーランスとしての働き方もまだ悩んでいるけど、去年の自分よりは割り切りができて、大切にしたいことも見えてきた。ここはまたいつか言葉にして残しておきたい。

ふたつめの気づき。

集団をまとめるときのヒント

何十人という組織をまとめるのは大変。何をやっても誰かは何かを言う。ひとりひとりの意見を吸い上げていたら回らない。でもある程度は開示しないと不満が溜まる。そんなバランスなんだと思う。

息子のチームの団体を見ていて思うのは、「みんなで話して合意を取る」というステップがスーパー大事なんじゃないだろうかということ。

各家庭、各人それぞれの価値観があり、ひとつにまとまることは永遠にない。

そこはわかったうえで、それでも「今年このメンバーはどうやっていきたしょうかね」を話す場を形のうえだけでもやること。それが大事なんじゃないかなって、すごく思う。儀式のようなものでいい。

そこの合意形成はなにより大切で、チャットなどの文章で一方的に送って「読んでおいてください」で済ませてはいけないものなんだと思う。

「決めた場に自分もいた」ことが、納得感を形成するうえで大切なのかもなあ、と。

これは私が今後まとめるときにも意識していきたい。まあ、大きな集団のまとめ役はやりたくないけど。。チームまでにしたい。。

あとね、皆で合意形成する場を作るのと同じくらい「意思決定のプロセスを明確にしておくこと」も大事だなと思いました。

誰がどのような判断に基づいて最終判断を下しているのかを全員がわかっていることは、納得感を高めるために必要だなと。

末端に近い立場の人が違和感を覚えたときに「誰に話せば状況が変わるのか」がわからないと、ストレスがかかるだろうなあとも思いました。

あとは「適度な情報開示」も大事。

「それ、全員が知ってたほうがいいんじゃないの」ってことが知らされてなかったりすると、モヤモヤが溜まっていきやすいかも。

上の方の人たちからすると「知ってたところでなんになるの?」って情報もあえて共有しておくことって大切な気がするんだよな。

「いま、この集団はなにをしていて、どこに向かおうとしているのか」は見えやすい状態にした方がいいと思う。

見えるようにすることで意見も出やすくなるだろうし、めんどくさくなることもあるかもしれない。親たちがボランティアでやっているならなおさら、めんどくさいことは避けたいよね。

でもやっぱり皆が同じ方向を向いていることが見えない団結力になるし、団結してないといざというときにバラバラしちゃうと思うんだよなあ。

そんなわけで、息子のスポーツからの学びは多いなあと思う今日この頃です。

以上、今日の気づきでした。
ここまでお読みくださってありがとうございます!

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