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吉田拓郎の「春だったね」#49

rakuda
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今回は吉田拓郎さんの「春だったね」を叩きました。
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高校時代Hさんとつきあっていた。
当時のこの地域では、成績がトップクラスの女子は(男子もだが)M高。
次に成績がいいとK高、続いてN高、H女子校と続いた。
彼女は、K高に通っていて、中学校の時、同じクラスだった事もあった。
なんで、つきあうことになったかは記憶にない。

「お嫁さんにするならK高の生徒がいい」という今なら不適切な発言が飛び交っていた時代、つまりお高くとまっているわけでもないし、素行が悪いわけでもないという、そんな偏見めいた言葉がまかり通っていた。
が、Hさんはよく笑うし、笑った時に見える八重歯が可愛かったし、悪ふざけをする中坊にも寛容さはもちつつも注意したりする男子からも女子からも人気がある女性だった。
まさにお嫁さんにするなら・・・のタイプ。
僕はそんな彼女に夢中だった。

しかし、高校3年になるとふたりとも進路という「この先どうするんだ」という現実を突きつけられる。
Hさんには「看護師になりたい」という夢があった。
僕は、進学せず家業を継ぐつもりでいたし、そのことは話していた。
Hさんが「これからどうするんだろう?」ということが頭に浮かんだが、ふたりでいるときはあまり触れないようにしていた。
ある日、彼女は涙を浮かべながら「東京の看護学校に行こうと思う」と言った。
まるで悪いことをするように…
でも、それで別れるという話ではなく、遠距離恋愛になっただけだ。
だからHさんが、東京の女子寮に入る時もふたりで行った。
帰りの新幹線のホームでは季節外れの雪が降っていた…
いかん、いかん、これでは「なごり雪」の世界になってしまう。

しかし、その後僕は広島に行くことになる。
そして、広島での生活が始まると、何故か「彼女がいる」ということが面倒くさくなってしまうのだった。
なんとなく、背中を鎖を繫がれているような。
Hさんは、勿論そんな束縛するような女性ではなかったし、まったくもって僕の勝手な思い込みである。
親元を離れ、「自由だぁ~~」と自由を満喫したいのに彼女が邪魔してる。
実際は邪魔なんかなにもしていないのに。

そして、僕はそんな気持ちを書いた別れの手紙を出した。春だった、
僕を忘れた頃に君を忘れられないという手紙とどちらがいいだろうか?

う~~ん、書いていて「このク〇ヤロー」と思った。
Hさんあの時はごめんなさい。
数少ないフォローして頂いている皆さん、フォロー外さないで下さいね。
よかったらお時間がある時にでも聴いてください。