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家庭のこと。離婚した理由。

こんにちは。pinoです。
最近、季節の変わり目だからか歳なのか、夕方になると肩と腕が痛くなって急激に眠くなります。歩かなきゃー。動かなきゃー。基礎体力作りをルーティンにしたい!と思う今日この頃です。

さて。家庭のこと。
前兆から実際別れようと決心するまで。ざっくりで私目線ではありますが冷静に書き出してみようと思います。

一応最初は仲良しだったと思う。

就職して3年目の職場結婚。付き合ってから1年後には結婚式を挙げておりました。そしてデキ婚ではないけれど結婚してすぐに子宝に恵まれ、ポンポンポンと3人の子供ができました。

子供達が5,3,2歳の時の浮気。

子育てに追われてバタバタな毎日。そんな時に当時流行りの出会い系サイトでの浮気。
はっきり言ってこんな子育て真っ最中に旦那の不祥事で家庭をどうこうできる余裕などあるわけがないじゃないですか!
この時は大きな傷を負ってもグッと堪えるのみ。仕方がないと自分に言い聞かせて、感情は心にしまい、時が過ぎるのを待つしかなかったのでした。

それでも、1回目の浮気の時にはやるだけのことはやりましたよ。
どうすれば1番堪えるのか…考えた末に出した答えは、旦那の両親になんとかしてもらおうと旦那の実家へかけこむことでした。

しかし行ってみたら予想外!!

まず義理母にかけられた言葉が、「うちのお父さんもおんなじ事やったから。うちなんて女が怒鳴り込んできたんだよ。でも別れなくて良かったから、あんた達も別れない方が良いよ。」でした。

いやいや相手間違えた!
って思ったのを、まだはっきり覚えてます。

もうこの時に別れることを決めてたのかも。

それから何度かの浮気。
まぁ私も子育てに必死だったからしょうがないかな、と自分に言い聞かせて黙って許したふりをしてました。

子供達の卒業などの節目に旅行を企画したり、マイホームを買えばなんとかなるかな…と購入してみたり、この家族のカタチを保とうと自分なりに必死でした。

会話が無くなって5年。顔を見なくなって更に3年。

1人であれこれやろうとするのにも限界が…。何かがプツンと切れた瞬間から、旦那のことはまぁ いいかと、成り行きでやり過ごす毎日になりました。
私は、少々働いて趣味の木工やって、毎日忙しく楽しく過ごしてました。子供達はそんな私の背中を見て好きなことを見つけて何かに一生懸命になってくれたらいいなぁなんて思い、小さくても子供達というより同志という感覚で、呑気な子育てをしていました。

そして気が付いた時には旦那との接点ないことに気付いてしまい、会話もなくなっておりました。

そのうち夕飯を作り置きして夕方から夜にかけてバイトに行くようになり、私の方から顔を合わせなくなるような生活を選択していました。この時にはもう他人にしか見えなかったのです。

そんな風に過ごして3年経とうとした頃でした。高校の進路をどうしようかと息子と話している時に言われた言葉「母ちゃんの実家から通いたい!」にハッとして、離婚を決めたのでした。

子供達が私立の高校生2人と専門学校生1人というお金がかかる時期にさしかかるところ。
どうにか子供達には金銭的な苦労をかけたくないと思い、金銭面での約束事をきちんとしようと思い、家庭裁判所での調停を選んだのでした。しかも弁護士立てずに自力で。頑張りましたよー!(そんなやりとりはまた改めて。)

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