「リアル車将棋」における人間

 2月8日、ついに「リアル車将棋」が行われる。将棋の駒の代わりに自動車を使うという何ともヘンテコ……大胆な企画である。これまでも「人間将棋」というものがあり、駒を何かに置き換えるというイベントは存在した。また、「どうぶつしょうぎ」もヒットした。これは動物のイラストを使った駒だが、やはり駒を何かに置き換えている。
 車に置き換える、という発想も抱いた人はいるかもしれない。しかし実現できるとは思わなかったのではないか。何せ将棋の駒は40枚ある。それを用意するのも大変だし、動かすための場所も必要となる。ドライバーもいる。かつての将棋界にはそこまでのことを実現してくれるスポンサーはいなかったはずだ。
 で、ドワンゴという何とも自由で挑戦的な企業の協力のおかげで、車将棋は実際に企画された。ドワンゴは将棋を重要なコンテンツとしてみているが、一貫して「楽しさ」を大切にしているように感じる。人間対ソフトというある種人類の歴史にとってもターニングポイントであるかもしれない「電王戦」においても、それは変わらない。派手な演出、予想外の会場、華やかなゲスト、斬新なロボットの登場。伝統的なものに新しいエッセンスを加えることで、より多くの人が楽しめるように工夫しているのがわかる。
 どうしても「勝負こそ大事」と思ってしまうものだが、皆が皆そこに注目しているわけではない。棋士のファッション、食事、エピソード、交友関係。様々なものが「楽しみ」の対象になっている。強いだけでは人を惹きつけられないかもしれないのだ。幸いにも現在強いプロ棋士は皆面白い。だが、時代はそこに難問を突き付けてくる。プロよりも強い者が現れたら?
 電王戦は人間対ソフトの戦いを見せてくれる。そこで、「お金が動く」。しかし、ソフトの強さが周知されてきたからと言って、ソフト対ソフトの戦いへと人々の興味が一気に移る……ということはなかった。ソフト同士の戦いもイベントとして成立してきてはいるが、単発である。プロに勝ち越すような状況になっても、人々の興味は人間に向いている。もっと言えば、将棋ファン以外にとっては、活躍しているのは「将棋ソフトというもの」であって、「個々の将棋ソフト」ではなさそうである。プロ棋士の個性に興味を持って将棋ファンになるように、将棋ソフトの個性が将棋ファンへの入り口となることは難しそうだ。
 これからの将棋界は、多くの固定ファンを持たない「強い者」が存在する世界になるかもしれない。相変わらず人間の戦いに対して興味が持たれているにもかかわらず、「でもソフトが強いんだよね」と言われ、だからと言ってソフト同士の戦いが楽しまれるわけではない未来。それは、もうすぐそこまで来ているかもしれない世界だ。もちろん、ソフト同士の戦いをもっとプロデュースしていく、という可能性はある。しかしなんとなく、それが大成功するという未来は今のところあまり想像できない。
 思い起こすのは、「リアル・スティール」という映画だ。この映画の世界ではロボットが格闘技をしており、ある親子が旧式のロボットを鍛えて戦いを挑んでいく。格闘技をするのがロボットである以外、普通の世界である。そして面白いのは、このロボットは人間が介入する要素が増えるにつれ強くなっていくのだ。リングに上がっても、このロボットはほったらかしで戦うわけではない。背後で戦う親子の姿がはっきりと見え、それが面白さにつながっている。
 実は私もロボット格闘技を題材にした小説を書いたことがあるのだが、そこで悩んだのが「制限」の問題だった。ロボットはどこまでも大きくできるし、人間の何倍の力も出せるし、丈夫にできるし、車輪や翼、クレーンだってつけられる。しかし無制限に「強いロボット」を探求すると、興業として成立しなくなるだろうと考えた。どでかい見たこともないものがよくわからない手法で戦っているところは、一部のマニア以外には楽しみ方も分からないだろう。そこで人間の姿かたち、能力を参考に限界が決められるはずだ、と考えた。最初はいかに人間に近づけるかが重要となり、その次に制限内でいかに新しいことができるのかが探究されるはずだ、と。
 まさに将棋も、このような時代に入りつつあるのかもしれないと思った。先日行われた森下九段とツツカナのリベンジマッチにおいても、人間とソフトの間での「差異」が問題となっていた。決して疲れず、睡眠欲も食欲もなく、目の前のことに惑わされないソフト。それらは全て強さの要因だが、そのような要因で人間に勝つのはどこかで「面白さを損なっている」かもしれない。その差異を少しでもなくし、ソフトの機械らしさを制限する、それがリベンジマッチの「秒読みの時間を長くする」というルールの意図だったのではないかと考える。
 そしてリアル車将棋も、「人間らしさ」という制限をうまく取り入れていると感じた。単に駒を車で代用するのではなく、いかに車を動かすか、という要素を取り入れてきたのだ。事前のCMでは、ドライバーたちにも焦点を当てている。トヨタの職人や、自動車を愛する大学生たち。彼らの車に対する愛情が、当日のドライブテクニックに対する興味を抱かせてくれる。単に将棋の強さを競うのではなく、車やドライバーの技術、それらも勝負に関わるのだ。ドライバーの移動を考えた上での指し手や、特定ドライバーのテクニックを頼りにした指し手が現れるかもしれない。
 「トヨタが「リアル車将棋」に本気で挑む理由」という記事には、トヨタ側の言葉が以下のように書かれている。

 「トヨタとしてはただクルマを使うだけではもったいなく、企画にかかわらせてもらうからには、もっといいクルマをつくるために人を鍛えたい。トヨタがまじめにクルマをつくっていることも知ってもらいたい。有名なレーシングドライバーなどではなく、テストドライバーを人選したワケはそこにある」

 トヨタは車だけではなく、人を見せようとしている。ある意味将棋界は、トヨタとも勝負しなければならない。何台もの車が並び、どんどん移動していく中で、いかにプロ棋士の魅力を見せるのか。今回のイベントでは、そのような点も課題となっているのではないか。
 リアル車将棋が成功すれば、将棋を楽しむ可能性はもっと開けていくだろう。何となくこのイベントは成功しそうな気がしているのだが、予想外のことも起こってほしい。とにかく、楽しみである。

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