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践祚大嘗祭の麁服調進、御殿人(みあらかんど)とは

国体護持の為、間違った論説は排除されなければならない。
御殿人は、天忍穗耳命の末である!


徳島県でこそ、そこそこの認知度はあるが、全国的に見れば全く知られていないのが、御殿人であろう。そもそも御殿人とは何か、明治の国学者・島田泉山先生の著によれば、中世において「みあらかんど」なる発音は失われていたので、「御殿人」の発音は、「みどのびと」と言われていたのではないかと、している。これは、検証の価値があると思う。


麁服輸送用のかご



さて、中世阿波における御殿人とは、御衣御殿人(みぞみあらかんど)と一くくりにして言われている。三木家当主、三木信夫氏にその点を質問すると、麁服調進をする時、具体的に作業をする人々を御衣人というのだそうだ。つまり、大麻を栽培したり、布に織ったり、宮へ運んでゆく人間は、御衣人である。そして、調進一連の統括責任者を御殿人と称するという。

日本史、とりわけ国体について詳しくない方の為、践祚大嘗祭についての説明をしなくてはならない。少し書いておく。

5月の天皇即位式は、天皇家にとって最も大切な行事ではない。まるっと不敬な言い方をすれば、勝手に国民が、新天皇陛下おめでとうございますと、言う為にしている行事に過ぎない。
では、一番大切な行事とは何かと言えば、11月に行われる践祚大嘗祭である。践祚とは、天皇の承継だ、わかりやすく言うと、もっとも大切なシラス権能を受け継ぐ儀式や、天皇の継承を含めた行事である。

面白いことに、国会答弁でも、三原じゅん子議員が践祚大嘗祭を御霊の継承と発言している。


三木山山頂の大麻畑

ここからが、重要な事になる。
徳島県では、大嘗祭の折、新天皇陛下に麁服という麻の布を献上することを知っている人は多い。しかし、献上ではないのだ。調進と言って、請求があって初めて献上することをいう。しかも、この調進する麻の布にはいろいろ決まり事があり、それは、927年時点で書かれた憲法細則文である「延喜式」にも書かれている。例えば、この布が都(大嘗宮)まで運ばれるのだが、道々を掃き清めながら進むことが明記されている。

下写真下から五行目、麁服等については、「道路を掃いて、祇承せよ」とある。祇承とは「謹んでもてなせ」の意。つまり、掃き清めながら、謹んでもてなしながら京まで運んできなさいというのが法律で定められているということ。

延喜式



五穀を感謝する式典だと学者は指摘するが、肝心の米については、そのようなルールを書いていない。学者がいかに的外れな事を言っているかよく理解できる。

しかし、大麻を単に大嘗宮へ納めているのではない。大麻に宿る御霊こそ、真の意味で大切なのだ。高天原に宿る祖霊を大麻に内包し、大嘗宮へと運び、その魂と一体になって、新天皇になるという儀式が践祚大嘗祭だ。

ここで、何が言いたいのか、移り気なので詳細説明を今後するかどうか不明なので、結論から先に書いておこう。
御殿人、三木家は、阿波忌部の末裔では無いのだ。

三木家住宅の説明書き

国道から三木山への分岐点に、美馬市のロータリークラブの方々のご尽力により立てた看板ではあるが、三木家を阿波忌部の直系の家系と紹介している。これは、明らかに間違いである。

論理的に考えてみよう、
阿波忌部の祖は天日鷲に遡る。この神は、神産巣日神の神が祖である。天日鷲は、新撰姓氏録等を参照すれば、神産巣日神の末である。


新撰姓氏録

多米宿禰は「同神(神産巣日神)五世孫天日鷲・・・」(上の写真)とある。今上陛下が何故天皇足りえるのか、それは、簡単に言えば、高御産巣日神(高木の神)の末裔であるからだ。つまり、天日鷲命の神々の系譜とは異なるのだ。簡単に言えば、天皇陛下は天津神で、天日鷲は国津神なのだ。

不敬という誹りを甘受し、簡単に言おう。
イシューは一点!
天津神である天皇家の式典を、天日鷲命の末、つまり国津神の末がプロジェクトリーダーとなって、とって執り行っていいものかどうか?
答えは明瞭である。
否だ!


初代から男系では無い、神話時代より男系だ

我々庶民の営みでさえ、他人に譲れない行事があり、それぞれの家や親戚一同が主催で行う。まして、我が国をシラス皇(すめらぎ)の式典を国津神主導でやることなど、考えられないのだ。

では、御殿人は何者か?
ここからは推論になってしまうが、・・・
記紀には、降臨してきた邇邇芸命や東遷した神倭伊波礼琵古命(神武天皇)については詳しく記述されているが、本家やその周りについてはほとんど記述されていない。流れ・筋から判断すると、産着(麁服)を分家にもって行くのは母屋であり、それは、天忍穗耳命やその一族に他ならない。

今となっては、太古の御殿人が、天忍穗耳命当人であったかどうかも分からない。が、践祚大嘗祭の本義を考えるとき、生物学的な問題は脇に置いて、形として御殿人は母屋でなければ、筋が通らないのだ。

よって、御殿人は母屋筋、天忍穗耳命ないし、その一族、末裔と結論できる。

もっと簡単に言おう、践祚大嘗祭は、邇邇芸命の天孫降臨を模式的におこなっている行事なのだ。(正当性示す式典)

つづく・・・かもしれない。

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