らくじん

リタイアして十有余年、せっかく助かった命なので、大事に生きてゆきたいと思っています。 …

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リタイアして十有余年、せっかく助かった命なので、大事に生きてゆきたいと思っています。 「日々楽しく」を心がけて、愉快な人たちと交流したいものです。 時に憂国の志として、時にもののふとして、時に正史の探求も、・・ YouTubeもやっています、お暇な時にでも覗いてください。

最近の記事

古代史研究会の日がやってきた

今日もまた、古代史研究会の日が巡ってきました。 一ヵ月に一度、富岡町の公民館で開催しています。 今回は、3月20日(水曜日)にホテル徳島みづほのホールでやった講義と同じ内容をお話します。タイトルは同様に、「雄略朝の帝都は徳島なのか?」です。 前回、みづほでお話したとおり、古代の動員率から推測すれば、徳島に首都があったと考えるのは非常に難しいです。文科系脳の方は、万葉集にこんな歌があるとか、ここのご祭神がこうこうだから・・・と我田引水が得意ですが、過去の徳島説を、古典資料を

    • 雄略朝の帝都は徳島か? その2

      先般、徳島みづほ古事記講座が、ホテルみづほのホールでありました。 三回連続でスピーカーを頼まれたので、今回も一時間程度熱弁をふるってきました。 で、なかなか登録者数が増えないYouTubeの数を稼ぐために、本来ツーリングと木工細工のチャンネルに、禁じ手の徳島古代史を割り込ませての動画アップをしています。 歯牙にもかけてもらえなかった邪馬台国阿波説が俄かに脚光を浴びています。半面、辛辣な批判にさらされてもいます。しかし、考えてみれば仕方ありません。日ユ同祖論や神代文字など、

      • フォロー・登録者を増やす常套句

        古代史研究は、なんとなくアカデミックな雰囲気がありながら、全くの素人でも字さえ読めれば入り易いのが特徴です。かくいう私も例外ではありませんが。 きっと、プロの方はうんざりしていることでしょうね。 でも、仕方ないです。プロの方も詐称された歴史を師匠に教えられた通り復唱しているに過ぎない方が大半ですから。 注目してもらうためには、内容よりまずはタイトルです。クリックしてもらわねば、NoteもYouTubeも始まりません。 そこで、例えば、以下の文言を入れます。 隠された

        • #閑話 みづほ講座の準備「雄略朝の都は徳島にあったのか?」その1

          ホテルみづほさんから、またもリクエストを頂き、前回に続きお話をすることになりました。期日は明日2/28(水曜日)です。 二回に分けてお話をしますが、メインは実は第二話です。 その前に、前回は日本の女性は素晴らしいことをお話しました。特に平安時代の女流文学は世界史上最高・最古であったと思います。一月の末にホテルみづほさんで語ったので記事を書きました。貼っておきます。 スピーカーを忘れていって、古代の中国人がどのような発音をしていたのかを、聴いていただけなかったので、今回は

        古代史研究会の日がやってきた

          我田引水自画自賛

          日本の古代史に興味の無い方には、意味不明だと思います。 だいたい、学校時代、日本史を習っても忌部なる氏族集団の話など出てきません。対抗馬である児屋根は中臣鎌足を出し、後の藤原に繋がり、北家・摂関家となり、明治大正昭和にまで至ります。近衛文麿は当時政界のプリンスとも呼ばれていたようです。 古事記によりますと、児屋根も日鷲も同格というか同列でした。危機感を抱いた斎部広成(いんべのひろなり、従四位下、九世紀頃の人)が、「古語拾遺」を著して、忌部の由来と役割を示し、復古しようと試

          我田引水自画自賛

          日本という国の始まり その10 男系

          皇室の男系については、もうずい分と議論されました。少し日本史をかじった方なら、また、その議論かと思う程です。理屈を分かっている人は、もううんざりしていることでしょう。 しかし、興味のない方は全く無関心で、この点無知です。なので、毎回説明する必要があります。そもそも、この点を考えるにあたって重要なことは、「しらす」と「うしはく」という概念が日本にはあるという事です。 外国人に対して、「うしはく」の説明は、案外簡単です。「govern,rule,」でおおむね分かってもらえると

          日本という国の始まり その10 男系

          日本という国の始まり その9

          表題の上にある写真は、官宣旨ではあるが、全く無関係の書面だ。もちろん国宝・重要文化財である。保元三年(1158年)紀伊国に書かれた官宣旨である。 昨晩、研究会に行くと、仲間から徳島県の某研究者の投稿論文の一部を頂いた。阿波忌部に関する記事で、中世約定書について論じている。 それにしても、思ったよりも早く、時が来た。 私の予想では、現在の御殿人(三木家第28代頭領 三木信夫氏)が亡くなられた後に、これに類する論文が雨上がりのタケノコのように出てくると思っていた。 徳島県

          日本という国の始まり その9

          番外、カタカナ表記

          日本人の識字率の高さは、浦賀に来て恫喝外交をしようとしたマシュー・ペリーも驚いたということです。福沢諭吉は西洋の言葉を漢語風に落とし、日本人が即座にわかるよう新しく単語を作りました。これによって、日本人は指導者なしでも、手引書を片手に、物作りあるいは操作ができるようになっています。 今回は、番外で、このままカタカナ外国語の氾濫を容認しても大丈夫かなという杞憂な話。一言でいえば、塵です。 日本の工業製品には、必ず分厚い手引書が付いています。昨今では、経費節減の為でしょうか、

          番外、カタカナ表記

          絶賛される日本人女性、三世紀の中国人は評価した!

          魏志倭人伝の著者、陳寿は三世紀の中国人です。 彼は当時の日本女性を絶賛しております。 普通、史書において、外国人や外国を褒めることは稀です。 日本の女流作家がいかに歴史的に評価されるのかも、興味深いですね。 今回は、江戸時代の離婚事情についても言及しました。 是非、ご視聴ください。

          絶賛される日本人女性、三世紀の中国人は評価した!

          日本という国の始まり その8

          金印の説明のおり、もう幾度となく説明したので、ご存知の方は、耳たこでしょう。 金印、それは江戸期に福岡の志賀島で出土した、所謂『漢委奴国王』金印紫綬です。 読みは明治の学者で筑波大学初代総長・三宅米吉先生の発案で「かんのわのなのこくおう」と読まなければテストで丸をくれません。爾来今日に至も、憲法9条と同様、恐れ多くも改正など出来ませんでした。 しかし、どうみても、「わ」とは読めません。委員会の「委」です。 そうなんです、「い」です。 詳細は、また後にするとして、正しく

          日本という国の始まり その8

          日本という国の始まり その7

          知り合いには「阿波(徳島)から日本文化が発生した」と主張される方は多いのですが、日ユ同祖論を妄信する方も多いです。楽しく生きたいので、ディベートする気にもなれず、少し距離を置いております。 他にも、阿波神代文字なるものが絶対に存在したという方もおります。ここらは、よくわかりません。同様にスルーです。 問題になるのは、奈良遷都の時期です。 記紀的には、神武東征から奈良へ都が移ります。これが現在の常識として、定着しております。で、欠史八代の問題があります。二代綏靖天皇より九代

          日本という国の始まり その7

          初めてのライブ配信(新春古事記座談会)

          生て初めてのライブを無事終了しました。 機材らしい機材もほとんど購入せず、有る物ばかりを使ってのスタジオ作り。マイクも自作、カメラはスカイプ用とツーリング動画撮影用を流用しました。忘備として、一応リソースというか、準備したものを羅列します。 アプリ 編集アプリ:DaVinci Resolve ver18.6 切出しアプリ:Insta360Studio ver4.9.1 ブロードキャストアプリ:OBSstudio ver30.0.2 機材 カメラ:Insta360OneR

          初めてのライブ配信(新春古事記座談会)

          日本という国の始まり その6(卑弥呼の朱)

          前々回の記事で、低級な話はしないと言ったものの、順を追ってしないと、やはり無理があると思いますので、魏志倭人伝の文中にある”其山有丹”について解説します。前々回の記事中の挿入スライドにある、”・辰砂鉱山疑う余地は無い”の部分です。 三世紀、西晋の官僚・陳寿の書いた魏志倭人伝には「其山有丹(その山丹あり)」という一文が載っています。これは、女王卑弥呼の国(邪馬壹國)には、水銀辰砂鉱山があるというのです。 硫化水銀(HgS)を辰砂という所以は、中国の辰州に硫化水銀が沢山取れた

          日本という国の始まり その6(卑弥呼の朱)

          日本という国の始まり その5

          この場所では、まとまった物をきちんと整理して書き残しておこうとおもっていたのですが、いざ書き始めると、ストーリー性の無い・的の絞れていないグダグダ記事になっています。以前から書いているブログの反省から、一点突破と思っていたのですが、あまりにブログ(従客閑雅)が閑古鳥なので、色気を出したのがいけません。YouTube(rakujin tousou)も同じで、単車・ツーリング関連に特化しようと思いながらも、木工を追加し、県内お出かけを追加し、日々の事まで載せてしまいました。極めつ

          日本という国の始まり その5

          お知らせ(新春対談の予告)

          今から16年程前、大病を患って、全てがリセットポンで現在に至っています。退院後、友人から何かやり残したことは無いかと問われました。多分、余命幾ばくも無いと思われたのでしょう。私もそのつもりであったのですが、奇跡的に現在に至っています。 若い頃単車に乗っていました。十分にツーリングを楽しめていなかったので、もう一度、単車に乗りたいと答えると、どこからか1200ccの大型バイクを調達してくれました。 それから暫くは、(倉庫に入るまでは不動車ではなかったようです)盆栽が始まりま

          お知らせ(新春対談の予告)

          日本という国の始まり その4

          今回の内容は「日本という国の始まり」にふさわしくないかもしれません。  邪馬壹國研究会と銘打って、毎月一回定例研究会を持っています。もう始めてからずい分になりますので、以前から聴講されている方は、もう聞き飽きたと言っていただけるかもしれません。今月は、斉藤普春という明治時代の神官・国学者の著書である、「阿波志料 践祚大嘗祭御贄考」を紹介します。冒頭の祝辞は、小杉榲邨(こすぎ すぎむら)が書いています。 文系の方なら、小杉榲邨をご存じの人も多いかと思います。しかしながら、私

          日本という国の始まり その4