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古代史研究会の日がやってきた

今日もまた、古代史研究会の日が巡ってきました。
一ヵ月に一度、富岡町の公民館で開催しています。

今回は、3月20日(水曜日)にホテル徳島みづほのホールでやった講義と同じ内容をお話します。タイトルは同様に、「雄略朝の帝都は徳島なのか?」です。


邪馬壹國研究会富岡講座


前回、みづほでお話したとおり、古代の動員率から推測すれば、徳島に首都があったと考えるのは非常に難しいです。文科系脳の方は、万葉集にこんな歌があるとか、ここのご祭神がこうこうだから・・・と我田引水が得意ですが、過去の徳島説を、古典資料を細読し論を積んでまじめに唱えた秀才学者の方々に申し訳なく思います。

特に、日ユ同祖論に傾く阿波古代史の面々には科学的な考え方で歴史を語って欲しいと思います。DNAで説明されているどこかの大学の先生は、意図的かどうか知りませんが、50000年前と2700年前の区別がついておらず、似非科学と言わざるをえません。その矛盾を解決する唯一の方法は、2700年前にユダヤがリアルタイムPCRを用いて検査ができていたなら可能というものです。一応、これらの技術は現代になってキャリー・マリスが発明したことになっています。朝鮮から米が日本にもたらされたとする韓国植物学者も、数千年前から韓国にはリアルタイムPCRの装置があったのだと主張しています。説得するのも疲れてきました、将に「信じる者はすくわれる、足元を」の典型でしょうか。昨今、徳島説を噴飯だとする批判がウェブを中心に広がりを見せています。

困ったものですね。

そうそう、FM眉山さんから、ポスターが届きました。


卑弥呼フェス

私もスピーカーをつとめます、持ち時間は20分だそうですので、「計ってみれば阿波だった」と題して、端折って説明したいと思います。

お暇な方、近県の方、奮ってご参加ください。

次回、みづほ講座では、「歴史を数学で検証する」と題し、卑弥呼と日御子(天照大御神)は同一人物であったとし、これより神武天皇即位年を算出する試みを講義します。こちらも、是非参加してくださいね。


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