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太子信仰と京都ゆかりの寺院

太子信仰について講義をしたので、その一部をここでも記載。

 太子信仰とは仏教興隆に力を尽くした聖徳太子を崇敬する信仰である。推古天皇の摂政として内外の政治にあたり、『三経義疏』を著したと伝え、法隆寺・四天王寺の建立など仏法興隆に尽力するなど、大きな実績を残した聖徳太子。その足跡を語った伝記はすでに『日本書紀』に見える。また法隆寺をめぐって展開された太子信仰を記載する『上宮聖徳法王帝説』(知恩院蔵)は、全体としては平安時代に入ってからの作とされている。
 太子信仰が本格的に展開するのは、平安中期に『聖徳太子伝暦』が編集され、救世観音の化身としての生涯が物語られたことによる。
 鎌倉時代になると、法然、親鸞、日蓮など新仏教教団が太子を日本仏教の祖として追慕、信仰したことで、宗派や身分を超えて全国に広まった。太子の絵伝や講式が作成され、太子像は浄土信仰・死者追福信仰の本尊として受容されていったのだ。
 中世後期になると太子講が大工や左官、鋳物師などの職人集団の講として組織され、太子は守護神として崇められた。
 現在も、法隆寺、四天王寺、叡福寺を中心に全国的に定着し、日本人の信仰形態のひとつとして数えられている。

 以上が概略だが、要点は「観音信仰」と結びついたこと、親鸞聖人などに代表される宗祖と呼ばれる人たちからも尊敬されたことで、その宗派と一緒に広まった側面もあるということ、さらに宗派を超えて、職人集団にも信仰されたという多様性があったことなどが挙げられる。

 そして聖徳太子の信仰のよりどころとなる寺院について、続いて京都ゆかりの箇所をざっと紹介。

 まずは「太秦のお太子さん」こと広隆寺。こちらは弥勒菩薩で知られた寺院だが、現在の本尊は聖徳太子像で、11月22日の御火焚祭にのみ公開。太子信仰の拠点でもあった国宝の桂宮院本堂(八角形、法隆寺夢殿がモデル)が非公開なのが残念。

 つづいて六角堂。こちらも聖徳太子が創建し、池の横の太子堂には太子の2歳像と16歳像が祀られている。さらにここでは本尊の如意輪観音のもとに親鸞聖人が百日参篭したことで知られている。95日目の暁に親鸞の前に現れたのが聖徳太子の姿をした本尊であり、「法然のもとへ行きなさい」という運命的なお告げをいただいた伝わる。そのため浄土真宗寺院では、堂内に聖徳太子が祀られていることが多い。六角堂の境内には親鸞堂があり、草鞋を履いた姿と夢見の姿の親鸞像が安置されている。

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他は、ざっと列挙する。聖徳太子創建の寺院として、太子堂を持つ法観寺(八坂の塔)、聖徳寺(せいとくじ)、寂光院、上品蓮台寺、乙訓寺、佛光寺、光明寺(綾部市)、法蔵寺、延暦寺椿堂があり、月読神社には聖徳太子社もある。面白いのは祇園祭の太子山。まさに聖徳太子が四天王寺の木材をもとめて京都の山に分け入ったシーンが再現されている。

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このように宗派を超えて存在した聖徳太子の太子信仰。ぜひこの機会に、知って回ってみてほしい。


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