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【あの銘店をもう一度"銘店シリーズ"」第27弾 「春木屋郡山分店」

 新横浜ラーメン博物館は、30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクト「あの銘店をもう一度"銘店シリーズ"」が2022年7月1日(金)より、1994年開業時のラーメン店が約3カ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度”94年組”」が2022年11月7日(月)よりスタートしました。

【これまで発表された出店店舗】
銘店シリーズ(3週間のリレー形式出店)
・第1弾  和歌山「井出商店」(2022年7月1日~7月21日)
・第2弾  福島・会津「牛乳屋食堂」(2022年7月22日~8月11日)
・第3弾  埼玉・川越「頑者」(2022年8月12日~9月1日)
・第4弾  福井・敦賀「中華そば 一力」(2022年9月2日~22日)
・第5弾  静岡・伊豆「あまからや」(2022年9月23日~10月13日)
・第6弾  岡山・笠岡「中華そば坂本」(2022年10月14日~11月3日)
・第7弾  札幌「名人の味 爐(いろり)」(2022年11月4日~11月24日)
・第8弾  久留米「大砲ラーメン」(2022年11月25日~12月15日)
・第9弾  青森「八戸麺道大陸」(2022年12月16日~2023年1月9日)
・第10弾  高知・須崎「谷口食堂」(2023年1月10日~1月30日)
・第11弾  博多とんこつ「麺の坊 砦」(2023年1月31日~2月20日)
・第12弾  飛騨高山「やよいそば」(2023年2月21日~3月13日)
・第13弾  博多「元祖名島亭」(2023年3月14日~4月3日)
・第14弾  函館「マメさん」(2023年4月4日~4月24日)
・第15弾  支那そばや(2023年4月25日~5月15日)
・第16弾  アメリカ「IKEMEN HOLLYWOOD」(2023年5月16日~6月5日)
・第17弾  イタリア・ミラノ「カーザ ルカ」(2023年6月6日~6月26日)
・第18弾  佐賀・唐津「らぁ麺むらまさ」(2023年6月26日~7月17日)
・第19弾  京都「新福菜館」(2023年7月18日~8月7日)
・第20弾  アメリカ・NY「YUJI RAMEN」(2023年8月8日~8月28日)
・第21弾  博多「ふくちゃんラーメン」(2023年8月29日~9月18日)
・第22弾  久留米「魁龍博多本店」(2023年9月19日~10月2日)
・第23弾  気仙沼「かもめ食堂」(2023年10月3日~10月30日)
・第24弾  旭川「蜂屋」(2023年10月31日~11月20日)
・第25弾  札幌「けやき」(2023年11月21日~12月11日)
・第26弾  ドイツ「無垢ツヴァイテ」(2023年12月12日~2024年1月10日)

94年組シリーズ(3ヶ月前後のリレー形式出店)
・第1弾 目黒「支那そば勝丸1994」(2022年11月7日~2023年2月26日)
・第2弾 環七「野方ホープ1994」(2023年3月2日~7月17日)
・第3弾 げんこつ屋1994(2023年7月20日~10月22日)
・第4弾 喜多方「大安食堂1994」(2023年10月27日~2024年1月8日)

第27弾は春木屋郡山分店さんです。春木屋本店で修業した1番弟子が1994年に福島県郡山市で創業。現在は1番弟子のみならず、2番弟子、3番弟子も働き、来年で30周年を迎えます。

あの銘店をもう一度 第27弾 「春木屋郡山分店」
出店期間:2024年1月11日(木)~2024年1月31日(水)
出店場所:横浜市港北区新横浜2-14-21 
     新横浜ラーメン博物館地下2階
     ※94年組 第4弾 喜多方「大安食堂」の場所
営業時間:新横浜ラーメン博物館の営業に準じる。
     詳細はコチラ

🍜過去ラー博出店期間
2004年1月15日~2011年3月13日

春木屋ラー博店外観(2004年撮影)

・東京荻窪「春木屋」の歴史

昭和24年創業。東京ラーメンの礎となった荻窪の地で確固たる地位を築き上げ、今なお影響を与え続ける東京荻窪中華そば「春木屋荻窪本店(杉並区上荻1-4-6)」
創業者の今村五男さんは、大正4年(1915年)長野県下伊那郡の川路という町で生まれ、既に荻窪で「中国レストラン春木家(平成16年閉店)」を経営していた兄(今村国治さん)を頼って戦前に上京。ちなみに現在も運営している春木家本店(杉並区天沼2-5-24)も五男さんのご兄弟がやられています

創業者の今村五男さん

戦争になり、五男さんも兵役についものの、体格が小さかったことから、厚木にあった兵舎で、食事を作る担当になり、戦地へは行かなかったようです。終戦後、蕎麦店をやろうと思ったようですが、設備投資や、当時蕎麦粉が手に入りづらかったこともあり、鍋釜があればラーメン店ができるということで、現在の本店の場所に屋台を構えます。
ちなみに荻窪にある「丸長」、「丸信」の創業者は同じ長野県出身ということですが、顔見知りというわけでもなく、ラーメン作りにおける関連はありません。
その後、店は順調にお客さんがつき、昭和29年には土地を購入し、家屋を建て、店舗をかまえました。

店舗を構えた当時の外観

・春木屋の魅力の原点

春木屋のお客さんの中には、50年以上通い続けている常連さんや、親、子、孫と三代に渡ってのファンがたくさんいるといいます。誰にでも、通い続けているお店というものはあると思いますが、人生の半分以上をも虜にさせるお店は果たしてあるでしょうか?
そこまで虜にさせる「春木屋」の魅力とは、いったいどのようなものなのか。それは純粋に先代夫婦が「美味しいラーメンを作って、お客さんの笑顔を見たい」という想いが原点にあるのです。

今村五男夫妻

・春木屋理論

「最近あそこのお店、味落ちたよな」「昔は美味しかったのにな」こんな言葉をよく耳にすることがあります。しかし果たしてそれは本当に味が落ちたのでしょうか?この問いこそが春木屋が現在に至っても行列を作っている揺るがない理由なのです。
先代曰く「食糧事情が良くなるにつれ、お客様の舌もおのずと肥えていくものです。同じ味を出し続けていれば〝味が落ちた〟といわれるのは当然です。だからこそ常日頃から味の研究を重ね、時代の変化とともにベースとなる味は変えずに、お客様に分からないように少しずつ味を変えてきました。これを続けることによって初めて〝いつも変わらなく美味しいね〟と言われるのです」

春木屋の中華そば

先代は昭和63年に現役を引退するまでの間、毎日欠かさず続けていた事がありました。それは朝食の前に一杯のラーメンを食べる事でした。一切過食や夜更かしをせず口を清め、味の変化を見極めていました。
「自分が毎日食べて飽きるものを、お客さんに出せるわけない」この真面目な職人気質は後の二代目、そして弟子たちへ継承されていくのです。
このことを誰が言ったのか「春木屋理論」と言い、多くのラーメン店が理念に掲げています。

・常連を虜にする"おもてなし"

お店の行列が長くなると、常連さんは去っていくといわれますが、春木屋の常連さんは今も通い続けています。その理由は、奥さんのフミさんがお客様の心をつかみ虜にしてしまう「おもてなし」があるからなのです。

今村五男さんと二代目幸一さん

先代が作り上げた「いつも変わらず美味しいラーメン」をさらに美味しくするのがフミさんの役割なのです。お客様に美味しく、気分良く食べていただくため、フミさんはお客様と会話をしながら顔とその好みを覚えていったのです。その数は200人を超えるといいます。またその好みは、微妙な脂の量であったり、麺の茹で時間であったりと非常に細かいのです。常連さん曰く、このやりとりがたまらなく嬉しく、ほっとするそうです。このフミさんの想いが厨房に立つ先代にも伝わり、フミさんとのあ・うんの呼吸でお客様をもてなしてきたのです。

・代替わり、弟子制度の導入

先代が引退する年、春木屋に新たな時代が訪れました。
それは昭和61年の暮れの出来事でした。行列はますます伸び70歳を目前とした先代もフミさんも、思うように体が動かなくなっていたそんな最中、来年卒業を迎えようとする高校生が父親と春木屋を訪れたのです。
その高校生の名前は手塚英幸さん。(現春木屋郡山分店社長)腕一本で家族を不自由させない職人の姿に感銘を受けた手塚氏は、進学せず職人の世界に入ることを決心していました。18歳の冬、何気なく買った本が手塚氏の、春木屋の運命を変えることになるのです。その本に掲載されていた先代の言葉は、まさに手塚氏が志していた職人のあり方だったのです。

春木屋1番弟子となった手塚英幸さん(2003年撮影)

当時の春木屋は弟子を取る制度がなかったのですが、手塚氏の情熱に押され春木屋の歴史の中で始めて外部からの人間が入る事となるのです。当時を振り返り、採用に踏み切った今村正子さんが言うには「もしあの時、彼を受け入れなかったら、現在春木屋はなかったのかもしれません。」とのこと。春木屋にとっても手塚氏にとっても運命を左右する1日だったのです。
そしてその数ヵ月後、もう一人のラーメン職人を志す若き青年が春木屋を訪れたのです。彼の名は高橋充さん。職人家系である高橋さんは手塚さん同様に、小さい頃から職人の世界で活躍する夢を抱いました。中でもラーメンには特別な想いがあった高橋さんは、高校生になるとラーメンの食べ歩きを始める。その食べ歩きの最初に訪れたのが春木屋だったのです。その後も食べ歩きを続けるのですが、高橋さんの脳裏には、カウンター越しに見た先代の姿が焼きついていたのです。
そしてその1年後、兄の影響を受けた手塚雅典氏が弟子入りをし、同じ志を持つ若き3人が、三羽ガラスと呼ばれる春木屋の新たな時代を築き上げていくのです。

左から初代、二代目、二代目婦人、三羽ガラス(2003年撮影)

・修了式

近年のラーメン店での修行期間は長くても3年といわれているなか、春木屋の修行期間は7年~10年を要します。相撲部屋や和食の世界のように親子同然の気持ちで育て、春木屋の人間として一人前になるまで独立することを許しません。
「一人前になる」という意味はもちろん技術もあるのですが、先代夫婦が築き上げた精神が身についているかを判断するのです。
春木屋では、今ではあまり見られない「修了式」を関係者全員で行い、修了する人間の家紋が入った紋付袴と包丁が贈呈されるのです。そして修了式を終えた弟子は春木屋の暖簾を使っての独立が許されるのです。

手塚英幸さんの修了式

・新横浜ラーメン博物館への出店

春木屋さんは1994年の開業時から出店のお声がけをしていたのですが、そのタイミングでの出店はかないませんでした。その後も幾度となく本店を訪れ、ある時「独立した1番弟子の手塚が手伝うのであれば」という条件の元、2004年1月に新横浜ラーメン博物館への出店が決まりました。
春木屋の新たなる歴史を刻むのは、昭和62年郡山から春木屋に弟子入りを希望した1番弟子の手塚さんと、その数ヵ月後、同じ志を持ち店を訪れた、2番弟子の高橋充さんそして手塚英幸氏の実弟である手塚雅典さん。先代が引退したあとの春木屋を引っ張った「三羽ガラス」です。

春木屋三羽ガラス・・・(左)手塚雅典さん、(中)手塚英幸さん、(右)高橋充さん

今回のあの銘店をもう一度では、その三羽ガラスが今も働く「春木屋郡山分店」としてご出店いただきます。

春木屋郡山分店

・春木屋郡山分店のラーメン

春木屋郡山分店の麺作りは早朝6時から始まります。春木屋郡山分店で使用される麺は創業以来自家製麺。麺は、スープとのバランスを考え、その時々によって一番美味しいと思われる太さとコシに調整。また季節やその日の湿度によって水分の量を変えています。そして圧巻なのは手もみ作業。強くもむと麺肌がざらざらになってしまい、手もみをしないとプリプリとした食感が味わえません。この熟練の技は先代からの伝承です。

春木屋の手もみシーン

食欲をそそる煮干の香りが漂うスープ
春木屋郡山分店のスープの特徴はなんといっても煮干の風味です。もともと先代の実家が日本蕎麦を営んでいたことがきっかけで、この煮干が採用されたようです。風味は強いのですが、スープを飲んでみると、それほど前面に出ておらず、いろんな種類の旨みが口の中で融合します。見た目はシンプルでありますが、キレとコクを兼ね備えた唯一無二のラーメンです。
タレは蕎麦屋の影響か〝かえし〟と呼び、うなぎのタレ同様に創業以来継ぎ足したタレは時代とともに深みを増しています。

春木屋の中華そば

春木屋郡山分店の味が味わえるのは2024年1月11日(木)~1月30日(水)の3週間です。皆様のお越しをお待ち申し上げております。

春木屋郡山分店データ
福島県郡山市桑野2-16-13
024-922-0141
https://www.harukiya-bunten.com/

・第28弾の発表は2023年12月11日!!

第27弾の発表は第25弾 札幌「けやき」さんの最終営業日となる2023年12月11日(月)に発表予定です。
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