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村岡〜マヌエラ真夜中の妄想

上海に来てそろそろ1年になる。
この土地の空気にも漸く慣れた気がする。
上辺だけを取り繕っていては怪しまれてしまうから…と云うわけで肩書に見合う行動をしている内に自分がナニモノなのか判らなくなってしまうのは今に始まったことではない。しかし、それもここ上海では自分の身すら危うい状態に成りかねない。自分が本当はどちらの立場なのか判らなくなるくらい危険にさらされている事は確かだ。
特に内部に潜入するわけでは無いのだが一般人として上海に上陸して近況を報告するだけ…と簡単そうな任務ほど気が抜けないものだ。しかも海軍の士官の相手もするなんて面倒に巻き込まれるのだけは勘弁して貰いたい。

国に置いて来た妻子は軍が面倒を見てくれていると言うよりも、何かヘマをやらかした時の人質みたいなモノだ。こんな任務に就くと分かっていたら所帯など持たなかったのに…と思わない日は無かった。
そもそも根っからの軍人では無くて…商社勤めで中国語が幾らか出来たので通訳として働かないかと誘われたのだ。悪くは無い条件だったので引受ける事にした、それくらいのノリだった。危険な前線に駆り出される兵士よりはマシだと思ったから。
気が付くといつの間にか当初の話しとは違う状況になってしまっていた。

生命の危険を感じなかった時は無かったというぐらい、綱渡りの様な日々だった。
郷に入れば郷に従えなどと言うが…疑われない程度には誘いを断わる訳にはいかなかった。フリで誤魔化せるような相手ではないので仕方がなかったのだと言い訳を自分にしなければならなかった。阿片に喰われないようにしなければ日本には帰れない。正気を保たなければ…取り返しがつかない事になってしまうのだから!



その士官は不遜な態度を隠すこと無く立っていた。
「初めまして、通訳とご案内を頼まれました村岡と申します。」社交辞令の愛想笑いにも相好も崩さない。融通が利かないタイプのようだった。それならばこちらにも考えが有ると言うものだ…若造め。
しかもイチイチ言う事がデカい!鼻にツク奴め!

チョイと夜の店で遊ばせれば本性を表すかもしれんと思って繁華街へと案内することにした。
「おぉっと気を付けて下さい!踏まないで…人間ですよ!」足元も見ずに歩く和田に声を掛けると思わず怯む姿に少し胸がスッとした。この街にはまるでゴミくずの様に道端に死体が転がっている。それを気にしていたら次は自分が転がっているかもしれない狂った街だ。正気で居る事は容易たやすくはないのだ。
「さぁ、着いた。今夜ぐらいは楽しんで。」
ご自由にと云うつもりで声を掛けると、まるで偵察にでも来たかの様に店内を一瞥する。特別に怪しい店に連れて来たワケでも無いのに…面倒くさい奴だと思ってると奥が何やら騒がしい。店の女が支配人と揉めているみたいだった。
「軍人なんて大っ嫌い!」最悪のタイミングで大声を張り上げながら和田中尉の前に現れた。
女からすれば大嫌いと叫んでる対象が直立不動で目の前に居たのだから最悪!ってものだろうが…『最悪なのはコッチの方だよ』と言い返してやりたかった。それ見た事かと和田と女の言い合いが始まり「貴方が気にするホドの女じゃありませんよ」上海へやって来た経緯を知っている日本人だったので無視するように促した。
女も明らかに自分の不機嫌さを当て擦るように不躾な言い方を止めようとしない。
もしかしたら面白いかもしれない…そう思って放って置くことにしてみた。するとどうだろう?店にやって来た杜月笙に敵意?を剥き出しにして小切手を切っているのだ!まるでガキだな(笑)あっと言う間に時の人になる事請け合いだ。そう思うと思わぬ気晴らしが出来たかもしれんと内心ほくそ笑んだ。

「軍隊の仕事でも請負ってるのかな?」
「上海を案内して欲しいと知り合いに頼まれただけですよ…」嘘はついていない。まだ何も頼まれたワケでも無いのだから怯える必要もないのだが、この男は言い知れぬ不安を掻き立てる。杜月笙と云う男に対しての密命を受けてもいないので必要以上には関わりたくは無いのだが何かと出会ってしまう。まるで目を付けられてつけ回されてるかの様に…と思った途端背筋が寒くなった。ブルーバードで一緒になったのは偶然では無かった・・・?まさか!上海での日本人の動向と治安情報を定期連絡するのが主な仕事の自分が目を付けられているハズは無い。報告がどんな風に活用されているかまでは関知しない。
「日本の軍人さんは面白い事が好きなんだね」
ブルーバードでの和田中尉の小切手の話しだ。
「負けん気の強い方のようで」
思い出しても可笑しくなってくる。
「わたしのお気に入りの娘にチョッカイを出して来るなんて愉快だね」ニヤリと笑う横顔にゾクリとする。
「目障りな事をしないように気を付けて貰わないと」付かず離れずの用心棒に目配せをした時はドキリとした。
虹口ホンキュウでは通訳もさほど必要も無いでしょうが何か有れば言い付けて来るでしょうから心得て置きます。」長居をしたく無かったので席を立とうとすると「やり過ぎは身体に毒ですから、気を付けなさいよ」軽い気持ちで手を出した阿片を忠告された。勿論そのツモリだと笑みで返してその場を離れた。


何事にも用心深く過ごして来たハズなのに…一体何が原因でこんな事になってしまったのか理解出来なかった。家族に知らせている所在場所と現地が違う為に日本からの便りは時間を経て手元に届く。漸く届いた手紙に書かれていた文面を理解するのに少し時間が掛かった。小学校に上がった娘の可愛らしい姿の写真が添えられた手紙にはそぐわない文面が綴られていたのだ。
『前略
お便りご無沙汰いたして申し訳ありませんでした。
入学式の折りに記念に撮った写真を同封いたしました。お父さまからの贈り物に大層喜んでおりました。この様なご時世で外に持って出る事は憚られますが綺麗な刺繍のハンカチを毎日取り出しては眺めております。
突然の事でしたが、怪我が元に高熱を発症し帰らぬ身となってしまいました。頑張って小さな身体で耐えていましたが薬が手に入り難くなり治療もままならず願いも叶わず目覚めることもありませんでした。旦那さまのお留守の折に我が子の生命も守れず申し訳ありませんでした。
異国の地での御身、御自愛下さいますよう申し上げます。  かしこ』

どんな言葉で綴れば良いのか思案した気持ちが文字の乱れに汲み取れた。一体何があったのか…飛んで帰りたい気持ちはあったけれど、出来ないのが悔しかった。妻の便りが来る前に事前に情報を知らされない腹立たしさがまさった。
日本からの手紙以外にも封筒が有り電報が同封されていた。
『ムラオカ ハナ シス。』
一瞬何が書かれていたのか理解出来なかった。
何度も読み返し…何度読んでも妻が死んだと書いてあった。たった今、妻からの便りで娘の死を知らされたばかりなのに?たった8文字の電報でその妻の死を知らされるなんて何の冗談だ?本部に問い合わせても教えて貰える訳も無く…自分で調べるしかないが詳しい理由を知らない方がよいのかもしれん。何故かそう思った。
海軍は不穏な様相をして来るし…和田中尉は無茶振りを要求して来る。そんな中、杜月笙…青幇に見張られているような気配で気も休まらない。家族の事に気を取られていては生命が危険にさらされてしまう。そう思いながらも阿片に手を伸ばして逃げようとする自分も居た。


こんな世の中、狂った者勝ちかも知れん。
燻り続ける火種を大きな狂気に変える事は容易い。
理性と秩序を取り払えば世界は途端に方向を変えて走り出す。互いに殺し合い奪い合いのだ。戦争と云うのは集団幻想だ。皆が自分は正しいと叫び相手を攻める。勝てば官軍こそが正義と為すのだ。
こんな時代に軍に所属して居なくても、ただの兵士でも大差が無いくらい日本は狂ってる。それを認めようとしないのは中枢の幹部だけだ。小さな島国が世界を相手に戦えると本気で信じてるヤツなんているものか!信じた方が幸せだからフリをしてるだけさ。上海に居過ぎたのかもしれないな…こんな事を考えるなんて。帰りを待つ家族も居ない国へ戻りたいのか?ここで人知れず死んでしまったがマシなのか?阿片にとうとうヤラれてしまったかな・・・


何だ?目の前に居るヤツが私に銃を向けている。
あぁ?和田中尉…若造か!違ったな…昇進して和田太尉か(笑)
何で私はコイツに銃を向けられているんだ?

衝撃と共に身体が空に舞った。 
続けざまに玉を食らい憎しみの眼を向けられながら『軍人じゃないな…男だ。恨みで殺られるのか…』そう思った時に正気が微かに戻って来て視界の隅に泣きながら憎しみ立つ女が見えた。『女のせいで正気を失くし女の為に殺されるのか…』薄れゆく意識の中ボンヤリと思った。
『どうせなら日本で死にたかった…死んでまで家族と離れ離れなんだな』
「おとうさん」と呼ぶ娘の声が聴こえた気がした。




村岡さんが何故あそこまで壊れてしまったのか?
人々の心を蝕む戦争と云う観点で妄想しました。
史実が気になりましたが…素人の妄想劇場と言う事で細かな点はご容赦下さい。
狂ったままハチの巣になって死んだ村岡さんの心を迷いながら想像しました。

byかずっち






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