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写真のために作られた音楽

それは写真のために作られた音楽だった。
森 崇さんの写真展に行ってきた。
9月にも大阪港のギャラリーで他のクリエイターの方達と一緒に写真展に参加されていてたが、今回は森さんお一人の個展。当初は5月開催の予定だったようだが、例の影響の為なのか、10/30〜11/7の日程で京都の Gallery Daimonで行われた。本来はこちらの方が先だったのだろう。

森さんは元々音楽の仕事をされている。
写真は本業ではないが、その写真に添えられている音楽も手掛けられている。
写真と音楽。二つで一つ。一体化。
写真、そこには感情がなく一瞬を切り取ってただ表現する。その一瞬に少し色をつける、心の揺動を現すかのように、音が写真の奥行きを作っているように思えた。

デスプレイされた写真を見ながら、写真を撮る人はきっと絵も描けるんだろうと思っていたら、ご本人は描けないと言っていた。が、そんなはずはない。なぜなら森さんのお母様は絵を描く人だから。

写真は滋賀の風景や琵琶湖など自然のものが多かった。
色も殆どそのままらしく、森さんのお家の庭にあるという、枝からこぼれ落ちた椿の花の土に帰る少し前の瞬間に人の死を感じた。椿ってこんなに綺麗だったんだな、と死の直前の美しさを思った。

元々この写真展を知ったのは、音楽(モジュラーシンセ)で参加されているシンガソングライターの広沢タダシさんからの情報で、私はとても楽しみにしていた。
モジュラーシンセは私には皆無の世界だ。(ほんの少しだけ広沢さんの曲などで聴いている)広沢さんと出逢わなければきっと知らないままだろう。
モジュラーシンセって、如何様にも変わる変えることのできる、でもどんな感じになるかわからない、やってみないとわからない、答えがない、ちょっと面倒で(だいぶ面倒)気合というかどっしり構える気長さが必要なイメージ。(わかってないので間違っているかも)
”うわっ”ってなりそうだけど、これって、こんな感じでやっていけたらなぁ、、、という生き方のような気がする。
モジュラーシンセと向かい合って、とても熱心に取り組んでいる広沢さんに、いつの間にか不思議と引き込まれているとかいないとか、、、?

写真のために作られた音楽なんだけれど、聴いているとこの音楽って、私がやっているヨガにも合いそうだなと、最近は個展で購入した森さんの写真とセットになっているCDを流し、時々モジュラーの音に気を取られたりしながらヨガをやっている。

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