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前略草々 ニッポン経済の視野 5

前略

 ようやく、ニッポンのグレインサイズ問題に辿り着いた。短くまとめると、ニッポンの賃金や物価が低いのは「日本人の劣等性のため」ではなく、「グレインサイズを意識する習慣がないため」であるとの仮説を説明し終えたところだ。
 つまり、国内の消費者にのみ優しい価格であればいい(グレインサイズの小ささ問題)とか、国内の隣の店に売上で勝つこと(グレインサイズの低階層問題)によって、長い目で見て豊かになるための賃金と価格設定がわからなくなっているのである。
 
 ニッポンでは低価格は喜ばしいものであるとされている。実際、「こんなに良いものが、こんなに安い」のは楽しい気分にさせてくれる。
 先日、マリー・クワントのドキュメンタリー映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』を観た時、マリー・クワントがニッポン人のことを「楽しそうに買い物をする」と言っているシーンがあった。それを見た時、
 ――買い物って、楽しいのが普通でしょ?
 と思ったのだが、よく考えてみれば、買えそうもない価格のものが陳列してある場所に行ってもそれほどは楽しくない。高い値段を出すのだから慎重に吟味しなければいけないし、ほとんどは買えないのだ。
 とある男性から、「女性にとっては、安くてちょっとしたもので買って楽しいものがいっぱいあっていいね」と言われたことがある。男性は車とか家とか、せいぜい立派なコートくらいしか買いたいものがなく、いちいち高価なので楽しくないし、買い物の回数が少ないのだと言う。    
 普通は「買い物」とは気が重いものらしい。だいたいは高すぎるからだ。それが普通なのだ。ところが、そういった「普通」で意気消沈した後、それらの模倣を思わせる商品が手の届く価格で陳列されている場所に行くと、「安い!」と感じて爆買いしてしまう。魔法の国にでも旅行したかのように楽しい。
 この買い物における「意気消沈と楽しい」の刺激によって、ニッポンはこれまではある程度、経済を回すことが出来たのではないだろうか。これは以前考えていた「セパレーテーション経済における発展」のからくりだとも言える。この私こそが解説したセパレーテーション経済を全否定するつもりはない。当時は勧めているのだし、今でも、部分的な構造として残しておいてもいいだろう思う。たとえば、あまりに若いのに新品のLouis Vuittonを持っていることはご当地では下品なことだと言われていると聞くし、ならば完全な違法の偽物ではなく、そのような雰囲気がする程度のものを安く買って提げる楽しみくらいは残しておいてほしい。いつかは本物のLouis Vuittonを買いたいと思って何かに励むのであれば、このからくりは正しく機能していることになる。
 しかし、いつの間にか、安価な模倣品で事足りると満足してしまったので、徐々に物価が下がり、賃金が下がり、模倣元との格差が大きくなってしまったのだ。
 前にも書いたが、もしも鎖国していられるのならこれでもいい。他国との関係がないのであれば、物価と賃金の高低は時間軸上のものでしかない。去年より高いとか低いとか。しかし、他国という比較対象がある場合は、その他国と比べてどうかが問題になるのだ。

物価と賃金の高低の二つの意味

 「内需拡大」とか「購買意欲を刺激する」といった政策は、上記の国内における時間軸上の高低しか視野に入れていない。「国民が国内でたくさんものを買いたくなるので価格が上昇する」という自然現象を期待しても、他国との比較において対等な価格まで上昇することはないのだ。

物価と賃金の高低に対する政策

 まとめると、「物価と賃金が低い」問題を考え始めると、二つの意味があることを忘れて、もっぱら⓵の国内における時間軸上の高低ばかりを考えてしまうことが、現時点の問題につながっているのではないかと言いたい。
 実際、国内の隣の店に勝つことばかり考えても、⓵すら上昇しない。売上として個数が増えても価格×個数の総利益はそれほど増えず、物価そのものは低下する一方で、労働量対価としての賃金は相対的に減る。たとえ年収1000万でも「24時間働けますか?」では時給に換算するとひどい話となってしまう。
 従いまして、⓶の他国との比較において物価と賃金が見劣りしない状況になるための政策を考えなければいけないと考える。

 今日のところはここまで。
 グレインサイズを意識することの重要性はわかってもらえたのではないだろうか。

草々

(米田素子)

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