見出し画像

前略草々 ニッポン経済の視野 6

前略

 ニッポンの賃金と物価がなぜ他国と比べて低いままなのか。それはメディア上の誰かが訴えている日本人の劣等性か、あるいは私が考えているニッポンの意識におけるグレインサイズの問題か。
 ここではグレインサイズに問題があると仮定して考察を続けている。

 ところで、昨日、この考察を書き終わったところで、このところ円高傾向だとの記事を見た。日銀の介入が影響して円安を一時脱却したと考えられるそうだ。
 ――だとしたら、原料を輸入しやすくなるのでは? 
 と思い、それなら賃金は低いままでもいいのだろうかと立ち止まった。海外との輸出入においてスムーズでありさえすれば、国内の賃金と物価が低いままだったとしても問題はないのだろうか。恐らく、これまではその状態でそれなりに経済は回っていたに違いない。
 とすると、誰かが儲かってはいるのだろう。輸出入がスムーズで利益は出ているが国内の賃金と物価は低いままだと言うのなら、たとえば企業が儲かっても労働者に分配されていないとの分析は正しいのかもしれない。
 もしも、先の思考模型における「ニッポンの五人」をひとつの企業と置き換えて考えると、その企業が国内で狩りをしてライセンスの甘い個人創造者の何かを模倣カスタマイズして商売をし、なんらかの下請け業者に低い賃金を支払って儲けを出し、「ニッポンの五人」だけが左団扇で生活をしていたとして、モラルの問題はあっても経済的に成り立ってはいることになる。雇用主は高い収入を得て、支払う賃金が安く抑えられているだけなのだ。
 これは生活水準の二極化と言われているもので、桁違いのお金を持っている人と、低賃金に甘んじている人に分かれている。その上、市場の物価も低ければ、桁違いにお金を持っている人の相対的な金持ち度はぐんぐん上がる。だから、以前に提唱したセパレーテーション経済の勧めでは、桁違いにお金を持っている人は低価格地帯で買い物をしないでほしいとの暗黙のルールを盛り込んだのだ。
 非常に歪な状態だが現時点では成り立っていた。しかし、これでいいのだろうか。労働時間対価までを考慮すると、ニッポンのほとんどの人は低賃金に甘んじていることになる。原料やエネルギーの輸入は極端な円安にならないように日銀や政府が介入すればどうにかなるけもしれないが、お金のない個人が海外に出掛けて見識を新たにする機会は失われ、ただひたすらに受け身となってインバウンドでお金を落として貰うことを期待するだけとなるだろうし、もっと悪いのは、国内でさえも買い物をしたり、旅をしたり演劇を観たり、スポーツを楽しんだりすることもなくなる。
 人は物価を安くしさえすれば買うわけではない。必要な衣食住は別として、それ以外のものはなんらかの夢が叶うから買うのだ。働いても働いても低賃金で、誰かが徹底的に搾取しているだろう構造を見せつけられた中でどんな夢が見られるというのか。休暇もないので余暇を楽しむ時間もない。若い人ならば、この高齢化社会においては、自分たちの楽しみとして働いたり子供を産んで育てて家族を作るイメージよりも、増え続けるお年寄りのステキな老後を支えるために働かされるイメージだけを持ってしまっても仕方がないだろう。
 これはどうにかしなければならない。
 グレインサイズの話から、いきなり私の具体的なアイデアになってしまうが、賃金の異次元引き上げに介入する案についてここで書いてしまおうと思う。下図の赤く囲んだ場所に関する提案だ。

物価と賃金の高低比較図

 物価はともかく、具体的には2025年から政府介入で賃金を異次元引き上げするしかないのではないか。年金は据え置きだ。高齢者の為にも必需品に関する物価はそれほど上げない措置を取り、まずは賃金だけを異次元的に引き上げれば、やがて必需品以外のものの物価は品質に従って上がるだろう。そうすれば、世代間不平等が一気に解決するのではないか。
 賃金だけを異次元的に引き上げるのが難しければ、同じ賃金で休暇を増やして副業を禁止する社則を違法とするのでもいい。一人の人間が二つの企業で働いてもよいことにし、雇用する側も常に賃金競争を強いられるようにする。雇用される側も、同じ賃金で休暇を増やせば効率よく働く工夫をするだろう。
 これが当たり前の状態になれば、二か所で働くだけではなく、休暇を利用して二か所に居住地を持てるようにする人もいるだろうし、その中で美術館巡りや演劇鑑賞、スキーやスキューバダイビングなどのスポーツ、農家民宿の利用や湯めぐりの旅なども考えられる。生涯大学やカルチャースクールを利用した勉強もするだろう。人生を一つに賭けるのではなく、もうひとつの逃げ道を作れるようにする。初めから「老後」を導入し、企業を退職した後にも活躍する道を若いうちから作るように全体のライフスタイルを変えていくのだ。一人一人の発想が豊かになれば、国も豊かになる。

 介護は血縁に押し付けるのではなく、高齢者本人の持っている金額に合わせて質を調整する仕組みを作る。世界的に虐待と言われている胃ろう状態になれば、医療費は全て本人の自費で支払ってもらうと法律で定める。特に前もっての遺言がなければ、本人の自費がある限りは行うようにすればいい。そうなれば家族も前もって話し合うようになるだろう。この決定も2025年までにやるべきだ。
 
 ニッポンは今、切羽詰まっている。そのことを全員が納得している。ここが新しいライフスタイルへの舵切りのチャンスだ。安い賃金で週休二日しかなくひたすら子供の教育費と老親の介護費に吸い取られるニッポンのシステムをドラスティックに変えることを理由に、より夢のある生き方を創造することのできるポイントだ。
 夢があれば、家族という船を創る気にもなるだろう。なんでもかんでも一時的な保証金を出しさえすればいいのではない。

 ひとまず、これで『ニッポン経済の視野』を終わります。

草々

(米田素子)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?