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前略草々 ニッポン経済の視野 2

前略

 今日も『ニッポン経済の視野』を書く。昨日の話を短くまとめておくと、「この論は専門外からの考察であり、ニッポンの賃金と物価が低いままなのはなぜかを考察するものであり、あらゆる幸福を決定する軸のうちのひとつについて、しかもその中の主に賃金と物価が低い理由の中のグレインサイズ問題について考察するものである」ということだった。
 改めて図を書いておこう。

ニッポン経済の視野のフォーカスポイント

 上図の赤で囲んだ「ココ」の部分を主に論じる予定だ。
 何度も言わなくてもわかっていると言われそうだが、「賃金も物価も低い」を強く問題に感じ始めると、ひたすら「物価を上げよう、上げることこそが重要だ」と思い込んで全体図が見えなくなりがちなのではないだろうか。それで念押しとして全体図を書いておいた。
 たとえば、コロナ対策でも「コロナさえならなければいい、PCR検査だ、ワクチンだ、マスクだ。それこそが重要だ」と思い込んで、図の最も上位にある「国の幸せ」をすっかり忘れてしまったのではないだろうか。マスクのやり過ぎで浅い呼吸になれば酸欠となり虚血性心疾患が懸念されるだけではなく、浅い呼吸による交感神経優位体質がもたらす癌になり易さや心不全の可能性についてはすっかり忘れていたのではないか。酸欠問題だけではなく、交感神経問題も考えなくてはならない。花粉症の人が常にマスクをしてもそれほど問題がなかったのは、アレルギー体質はそもそも副交感神経優位の方が多いからだろう。部分に囚われて全体を考察せず、なんでもかんでも一様に強制するルールは野蛮すぎて、現代国家がすることではない。
 話題が横道にそれてしまったが、これこそがニッポンにありがちなグレインサイズ忘却問題でもあり、最初に結論を書いてしまったようなものだが、だからこそ上図を改めて書いて、しっかりと眺めておくことを求めている。

 さて、昨日、賃金も物価も「低い」と言うと、何と比べて「低い」のかを明確にしなければいけないと書いた。できれば、世界各国の平均値や中流層同士の比較などの統計図を誰かに制作してもらいたいのだが、それはともかく、昨日、メディアで「物価が〇%上昇」と報じられたのを見た人はいるだろうか。これは低い状態から高い状態へと上昇した話ではあるが、比較対象は「ニッポンの過去」であり、「他国の現在」ではない。「去年より物価が上がった」と言っているだけなのだ。
 そもそも、「賃金も物価も低い」のは「他国と比べて低い」から問題なのであり、なぜそれが問題かと言うと、他国のものを輸入しようとした時に支払えなくなるから問題なのだ。もしも国内だけで全てを賄うことができて、しかも侵略されないことが確実ならば、賃金も物価も他国と比べて低くても問題はない。しかしそんなことはあり得ない。ぬくぬくと鎖国していられる時代は去り、グローバル主義が嫌いだと言ってもそれはかつての黒船のように押し寄せてくる。生きていく為には他国と肩を並べ、かつ仲良くするしかない。もはや、その一手だ。
 それを国内比較で昔よりも物価が数%上昇したからと言って何も喜ばしくはない。買い控えが発生するか、良くてもごくわずかに税収が増える程度の結果しか起きないのではないか。もっと根深い問題を考察していく必要がある。
 ニッポン経済における賃金と物価の低さの原因は、もちろん一つではない。とある経済の専門家が「結局のところよくわからない」と言ったらしく、別の人が「その通り、それが正しい答えだ」と賞賛している動画を見たのだが、実際、あらゆる問題は「結局のところよくわからない」が正解なのであって、しかし、多くの場合、「正解」というのは役に立たない。役に立つのは試行錯誤の為の「こうかもしれない仮説」だと私は考えている。「結果的に正しかったな」というのが役に立つ答の有り様でしかないと思う。つまり、実践としては、試行錯誤して考えるしかない。
 こんなことは専門外だから言えるのかもしれないが、学校とは違って、社会では単に正解を言って点数を上げている場合ではない。

 というわけで、専門外の特権である「こうかもしれない仮説」を展開しようと思う。
 
 私が賃金と物価が低い理由として考えていることをズバリ書いてしまうと、近代ニッポンにおける「外にある良さそうなものを必死で探索し、それを模倣してカスタマイズし、安く売る」姿勢が、結果的に賃金と物価の低下に結びついているのではないか、ということだ。単なる西洋化の進行やニッポンの個性忘却をもたらしただけではなく、長い目で見れば経済的な落ち込みも招いたのではないかと考えている。
 とても単純に考えてみよう。
 たとえば、ある人が1個100万円(材料費などを引いた後の額)のものを創っていた時、それをニッポンが見つけて模倣してカスタマイズし、1個10万円で20個作って売ったとする。ニッポンは200万円の売り上げだ。分業方式にしたから20個作ることができたのだ。五人で作ったとすれば、一人辺り40万の取り分となる。
 物事はこれほど単純ではないが、パッと見ただけでも、賃金と物価が低くなったのがわかるだろう。
 図に書いてみよう。

模倣と分業がもたらす賃金と物価の超単純化図

 もう一度繰り返すけれど、これほど単純ではない。人口や原料、各国の経済格差などが関連して、模倣と分業の生産構造は作られているのだが、しかし、パッと見ただけでこの一瞬だけでもニッポンの賃金と物価は低い。
 Aさんが何度も百万円のものを創り出せるかはわからないが、労働対効果として賃金を考え、仕事がなければ余暇を楽しめばいいのだとすると、Aさんの方が総合的に豊かであると考えられるし、その百万円のうちの何割かを文化芸術や自己投資に使うだろうから、AさんはAさんの国に経済的効果をもたらすはずであり、Aさん個人にしても、再び何か百万円のものを一個創り出すためのインプットが可能となっているのだ。

 ほとんど言ったようなものだが、続きはまた明日。
 今日のところはここまで。

草々

(米田素子)

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