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星のクラフト 3章(全体つなぎ・肉付け)最後尾にあらすじ掲載

《ローラン、食べ物をちょうだい》
 ローモンドの声で目が覚めた。声と言っても、私の中で響く声。
「食べ物って?」
 彼女がどんなものを食べるのか知らない。
《その前に、まずはテーブルと椅子。ローランの心の中には食事の為のテーブルと椅子もないのよ》
「そんなはずはないけど。私、寝っ転がって食事をしたりしないわよ」
 心外だった。
《でも、ないんですもの。ひょっとしたら、子供の頃にどんなテーブルと椅子を使っていたか知らない、とか》
 ローモンドの声は少し憐れんでいるかのように聞こえた。
「知らないというか、私は子供の頃は――」
 伝えようとして口ごもった。
 ――子供の頃? なんだっけ。
《ローランは地球探索用に育てられた特殊な存在なんでしょう?》
 ローモンドが教えてくれる。
「あ、そうだったわ」
《大丈夫? 記憶喪失?》
 そう言われて、私はお嬢様から言われたことを思い出した。

 ――、説明は難しいのだけど、その過去の入った記憶装置が消滅したのよ。どうしてそうなったのか、まだこちらではわからない。
 とにかく、もうすぐあなたたちは地球探索用に育てられた過去を持つ存在ではなくなる。――

《本当に?》
 ローモンドの高い声が脳内に響いた。
「ちょっと、突然大きな声を出さないで」
 私は頭を抱えた。難しい症状を抱えた人のように感じられる。
《ごめん。驚き過ぎたものだから》
 もごもごした口調になった。
「ごめん。私もきつく言い過ぎたかしら。脳内で甲高い声を聞くなんて初めてのことだったから」
《それにしても、お嬢様、本当にそんなことを言ったの? 私、そこはちゃんと聞いてなかった》
「もうすぐ、私の中にある地球探索用に育てられた頃の記憶が消えていくらしい。私は地球人ではないけれど、段々と地球人と類似し始めていて、その場合、過去がなくなってしまったら電池も切れてしまう。その上、大元の記憶装置が消滅してしまったから、慌てて新たな過去を装着しなければならなくなった。きっと、私だけではなく、多くの仲間たちがそうなんだと思うけど」
《仲間同士で話したりしないの?》
「それは禁じられているから。守護や世話役は居ても、同じ運命を背負った存在が連絡を取り合うことはない」
《寂しくない?》
 ローモンドは慰める口調になった。
「残念ながら、私達のような存在には、寂しさを感じるセンサーがないの。そのように設計されているのだから」
 私はそう言いながら、本当にそうだっけ? と疑いを覚えた。
 ――そのように教育されたから、そう思うだけなのかも。
《そうよ。そんな風に教育されたから、そう思うだけなのよ》
 心で思っただけでも通じてしまう。以心伝心。もう一人ではなかった。こうなってみると、昔の私は寂しかったのかもしれないと思えた。
「いずれにしても、ローモンドが持っている子供時代の記憶が私に装着されたら、それによって過去の記憶ができたことになり、私の生命電池が切れない仕組みなんだけど。ところで、ローモンドって、どんな子供時代を過ごしたの? というか、今でも充分子供だと思うけど」
《それがね、実を言うと、私、子供時代って、ないの》
「えーっ」
 私は思わず大声を出して立ち上がってしまった。
《ローラン、ローランもちょっと気を付けて。あんまり大きな声を出すと、私も頭が割れそうよ》
 ローモンドが悲痛な声を出した。
「あ、ごめん。そうだったね。でも、ローモンドに子供時代がなかったら、私に過去は装着されない、ってことになる。そして――」
《お嬢様の話によると、ローランの電池は切れてしまう、だったね》
 ローモンドは絶望的な声色で言う。
「でも、どうして、ローモンドには子供時代がないの? 鳥の形に乗って、湖に出掛けていたんじゃないの?」
《その記憶しかないのよ。それって、変じゃない?》
 そう言えばそうだ。
 ――あ、ひょっとして、
《そう。ひょっとして、なの。私もお嬢様の話を聞いた時には驚いた。最初にローランに搭載される予定だったモエリスには子供時代の過去があり、予備としての私にはまだその記憶がコピーされていない。されていないのに、なんらかの手違いで地球に迷い込んでしまった。お嬢様の話によると、モエリスを送ろうとした時に、私も来てしまった。手違いでね》
「全部聞いていたのね」
 傷つくと思って隠しておきたいことも、ローモンドは全て知っている。
《つまり、私達、どちらも、子供時代が、ない》
「私はいずれ電池切れとなり、もしかすると、ローモンドも同じように電池切れになる」
 言いにくいけれど、どうせ思えば伝わってしまうのだ。
《私、そうなりたくない!》
 ローモンドは強い口調で言った。
 ――そうなのか。そういうものなのか。
《たとえそれが運命でも、私、抵抗したい!》
 ローモンドの意志を聞いて、私は意味もなく身震いをした。

 どうあれ、まずはテーブルと椅子をローモンドに与えなければならない。私は目を閉じ、お気に入りのカフェで見かける丸テーブルと流線形の脚を持つ椅子をイメージした。
《まあ、すてき。お城みたいよ》
 ローモンドは気に入ったようだった。
「そう言ってもらって嬉しい。そして、朝食ね」
 私は青い実の成る星のホテルで食べた朝食を思い出そうとした。確か、トーストとベーコンエッグ、焼きトマト、ソーセージ、そしてミルクティ。
《おいしそう。それに、青い実の成る星で食べていたものと似ている。バターがあればもっといいけど。そして、ナイフとフォークもね》
 慌てて、ナイフとフォークをイメージした。
「ミルクティに入れるお砂糖は?」
《それは要らない。でも、蜜柑のジャムがほしい》
「マーマレード?」
《そう。オレンジ色の皮がごつごつ入っているのがいいわ》
 ローモンドの要望に従ってイメージするだけで、ローモンドが要る部屋には希望通りのものが運ばれてくるらしい。
「居心地はいい?」
《今のところ》
 食べながら答えているようだった。
「こうしている間にも、私は過去の記憶が無くなっていく気がする」
《私もよ》
「なんとかしなくては」
《ねえ、思い出すことは諦めて、好きな子供時代を作って行ったらどうかしら》
 突拍子もないことを言い出した。
「どうやって?」
 私は子供時代の作り方を知らない。
《この朝食のように、イメージすればすぐに出てくるのであれば、なんだってすぐに作れそうだけど》
「バリエーションを知らないの。子供って、普通、どんな風に過ごすの?」
《さあ、私も知らない》
 そうだった。ローモンドは私よりも状況がよくない。私は過去が徐々に思い出せなくなっているのだが、ローモンドはモエリスの予備であり、まだコピーされていないのだから、思い出すべき過去がそもそも存在していないのだ。湖で鳥達と遊んでいたこと以外には。
《状況がよくないなんて、ひどいわね》
 もう伝わっている。何を思ってもバレる。
「ごめん。でも、どうやって、子供時代を創り出せばいいのかわからない。私、本当に知らないのだから」
《ジレイとかないの?》
「ジレイ? 事例のことかしら」
《わからないけど、お嬢様がよく、ジレイがあれば調べて真似をすればいいって、そんなこと仰っていたけど。なにか、問題が発生した時には》
「やっぱり、事例ね。そうね。いろんな人間の子供時代。それを調べましょう」
《ローラン、ひとつはもう出来ている。鳥の形の乗り物に鍵を差し込んで、湖に行き、みんなと魚釣りをする。私はこれしかないけど、とりあえず、これもひとつの子供時代と言える。できれば、イメージして、日記と、アルバムを作ったらどうかしら》
「それはいいアイデア。さっそくやってみましょう」
 儚い記憶だが、それでも小さな希望に思えた。ひとつでも過去が定まれば、電池切れになるまでの時間を稼げるのではないか。
 まず、私はアルバムを作り始めた。
「ローモンドはお嬢様たちが居るお城の一画で、鳥の形に乗っている」
 脳の中で円盤をイメージした。
《うわっと、大変!》
「どうしたの?」
《お部屋の中に、鳥の形がやってきた。知ってるのね。この円盤型の鳥の形》
「知ってるわよ。モエリスが乗ってきたものが中庭に停泊していたから」
《でも、デカい。部屋がこればっかりになった。消せないの?》
「どうかしら」
 消すイメージをしたが、ローモンドの言う事には、どうやら、消えないらしい。
「仕方がない。部屋を大きくしましょう」
 部屋を二倍にし、円盤を隅に追いやった。
《ローラン、上手! これに私が乗っているところをイメージして、その写真を脳内で一枚撮って!》
 言われる通りにすると、ローモンドの手元には一枚の写真が出てきたらしい。
《ローラン、ひょっとして、これでひとまずOKかも。だって、一枚でも写真があれば、過去があるってことだから!》
 そう言えば、そうだ。
《でも、これだけでは不安だから、他のジレイを調べて、アルバムを作っていこうよ》
 消滅の危機に瀕していたはずだが、ローモンドと私はどうにか明るく第一関門をクリアしたらしい。

 私も軽い朝食を終え、地球と繋がっているパソコンを立ち上げた。
 ネット環境には二通りあり、お嬢様たちの居る中央司令部と接続するためのものと、地球で生活するためのものがある。中央司令部と通信するための装置は一部屋がテレビ電話になっているし、パソコンの本体も最新のものばかりだが、地球用には古いパソコンとスマホしかない。実際、これまでは必要物資は中央司令部を通して配達され、守護役たちに頼めば地球で必要なものはなんでも調達してくれるので、古いパソコンとスマホしかなくても差支えはなかった。
《子供時代のジレイって、どうやって調べるの?》
「さあ、ネット上になにか、落ちていないかしら」
 私は「子供」とキーワードを打ち込んでみた。画面に検索結果がずらりと並ぶ。
「事件とか、教育とか、そういう話題がほとんどね」
《事件って?》
「子供がいなくなったので探してほしいとか、怪我をしたとか」
 いくつか目にしてしまった恐ろしい事件については口にしなかった。
《あ、もっと恐ろしい事件もあるのね》
 しょんぼりとした声で言う。どうせ隠してもバレるのを忘れていた。
「教育、ってのもある。これは、学校とか塾とかの話題」
《地球の子供って、事件に巻き込まれるか、学校に行くか、なの?》
「そんなことはないと思うけど」
 古いパソコンで調べられることなんて、たかが知れているのか。
《物語とかないの?》
 ローモンドに言われて、私は無料で読める物語のサイトを探した。
 物語ならたくさんある。
 孤児院で育った赤毛の女の子が美しい村に引き取られ、学校に行ったり、育ての両親との間に合いを育んだりするとか、同じように孤児院で育った女の子が足の長い叔父さんから教育費を貰って学校に行くとか。
《結局、学校に行くのね》
 ローモンドはつまらないと言いたげだった。
「学校に行かない子供の話だと、古代の冒険ものや戦争時代の話になってしまう」
《はあ》
 露骨に溜息を付いている。
「どうあれ学校には行くとして、それ以外の何かを決めて行かなければ、独自性のある子供時代が作れないわね」
《ドクジセイって?》
「ひとつしかないものとでも言えるかな」
《ドクジセイのある過去か》
 ローモンドは考え込んだようだった。
「少なくとも、円盤に乗って湖まで行き魚釣りをしていたなんてのは、とっても独自性のある過去だわ」
 褒めているのか、そうでもないのか、私自身よくわからなかったが、ネット上の情報があまりにも画一的なので、ローモンドの記憶はなにか輝かしいものに思えた。
《それしかやれなかったけど、ドクジセイってのがあるとしたら、それはそれでよかったのかも》
 ローモンドにとってもそう思えたようだ。彼女は私の中に居るので、私がまざまざと目にすることはできないが、きっと鼻を膨らましているに違いない。
「この記憶ひとつじゃだめかしら」
《さあ、他の人の過去も学校と事件だけなのだとしたら、私のそのささやかな過去だけでもよさそうだけど》
 ローモンドはくすくす笑う。
「ネット情報がその程度だとしても、実際にはいろんなバリエーションがあると思う」
《取材してみたらどう?》
「誰に?」
《地球の子供に。あるいは誰か地球の大人と友達になって、子供時代のことを教えてもらうとか》
「他の人の子供時代の思い出を使って、私達の記憶を作るの?」
《ダメかなあ》
 ローモンドはそう言った後、少し黙り込んだ。
「ひとまず、学校に入学した時の写真を作る」
 どんなに陳腐なものと思える過去でも、ひとつずつ作っていかなければいけない。私は目を閉じ、入学式を終えたローモンドが制服を着て、小学校の門の前で微笑んでいる写真をイメージした。
《あ、写真、落ちてきた!》
 元気な声で言う。
「どう? そんな感じで。ありふれた過去だけど、写真があれば心強くない?」
《なかなかいい》
 意外にも褒めてくれた。《思ったよりも、嬉しい感じがある》
「嬉しいって?」
《誇らしい気分よ。私も学校に行ったのだって思う。そして、写真を見ているうちに、段々とそうだったのだ、って気がしてきた》
「ふうん」
 写真って大したものだな。
《そうだね》
「あ、聞いてた」
《うん。やっぱり、写真があるって、いいね》
 見えないけれど、微笑んでいる顔が脳裏に浮かんだ。
《父親の仕事は?》
「どんな仕事があるのかしら。ネットで調べてみる」
 教師、医者、警察官、会社員、大工、道路整備、公務員……。
《それって、どんなことをするの》
 私はネットで調べながら、ひとつずつ説明した。具体的なことはわからない。一般的な地球がどんなところなのかも知らないのだから。
 だらだらと調べたことを読んでいると、
《別に父親の仕事なんて、なんだっていいような気がするけど》
 ローモンドは興味がなさそうだった。
「じゃあ、教師、ってことにしておこうかしら。ものを教える仕事であれば一番想像しやすいし」
 一番最初に見つけたものでもある。
 ローモンドは《それでいいよ》という。
《母親の仕事は?》
 同じように調べたところ、父親の仕事と同じようなものがあると同時に、専業主婦、というのもある。それがどういう仕事をするのかを読み上げた。
《お母さんが家に居て、家の事をやるのね。それでいいんじゃない? それだったら、だいたいどんなことをするのかわかるから》
「いいのかなあ」
 こんなに行き当たりばったりで決めていいのだろうか。でも、ローモンドがそれでいいと言ったので、それにした。
 まずは、「父親」が学校で子供たちに勉強を教えているところをイメージして写真を脳内に作る。
《あ、写真、きた!》
 同じように「母親」の写真も作る。
《もう一枚!》
「それぞれ、顔や姿はそんな感じでよい?」
《いい。なんとなく、いい感じがする》
「いい感じって?」
《こんな両親の下で育てられたら幸せだろうなって感じ》 
 ――そんなこと、わかるのだろうか。
《もちろん、わからない》
 
 そんな風に、ネットで調べつつ、子供時代の記憶となり得る家、勉強机、ペット、隣人、旅、など、次々に写真を作ってはローモンドが受け取ることを繰り返した。
 大雑把ではあるが、アウトラインが出来上がった辺りで
《ローラン、順調にいい感じの子供時代ができてきたけど、子供時代の記憶によって、その後の生き方が変わったりするのかしら》
 ローモンドが言った。
「さあ。お嬢様の話では、単に、過去が存在しないと、地球では生きてはいけず、電池切れになってしまう、ってことだけだった」
《でもなんだか、この写真を見ていると、その後の生き方に影響しそうに思える》
「どんな風に?」
《どんな風かわからないけど》
「いずれにしても、私達はそのうち本当の過去を忘れてしまって、今作っているものが本当の過去だって思うようになるのよ」
《本当かな》
「お嬢様の話が本当なら、そうなんじゃないかしら。実際、私はもう、私がこの地球に送り込まれる前のことは忘れ始めている。ローモンドは?」
《私はまだ覚えてる。あの円盤がすぐそばにあるから》
 そうだった。最初にモエリスの円盤をイメージして作ってしまった。それで部屋自体も大きく広げたのだった。
《私の過去は、円盤に乗って湖に行って、仲間たちと魚釣りをするだけだったけど、やっぱりあれが私の子供時代だったなって思う》
 急にしんみりとして言う。
「仲間たちって?」
《私と同じように、ほとんど子供時代を持たない子供たち。たぶん、お嬢様が言うところの予備の存在たち。あるいは、鳥や蝶や、猫》
「楽しそうね」
《それしかないから、楽しいかどうかわからなかったけど、悪くはなかった。よくケンカもしたけど、すぐに忘れて仲直りした》
「釣った魚はどうするの」
《どうだったかな。湖に戻したんだと思う。ほとんど釣れなかったし》
「それでも楽しかったの?」
《楽しかったかどうかはわからないけど、やっぱり悪くはなかった》
 ローモンドはホームシックなのか、もとの状態に戻りたくなってきたのだろう。
「その円盤と湖と仲間たちの子供時代がいいのだったら、それにする? 今作り出した写真は全部焼いてしまって、改めて、湖や仲間たちの写真を創り出す。どんな風だったか、細かく教えてくれたら、イメージできると思うけど」
《そんなことできるかしら》
 自信なさそうに言う。
「やってみなくちゃわからないから。とにかく、湖の様子を話してみて」
 私が言うと、ローモンドは《わかった!》と明るい声で言い、少しずつ風景を語り始めた。

《私の一番古い記憶はベッドの上。きっとまだ赤ん坊だったのだと思うけれど記憶がある。
 壁紙はピンク色の花柄模様で、天井はクリーム色だった。ベッドの横にはお婆さんが一人居て、いつも私を見ていた。にこにこしていた。何かストローのようなものが付いたカップから飲み物を貰う。たぶん、そのお婆さんからね。
 時々、五人くらいの大人が私を見下ろしていて、順調に育っているね、って言ってた。今考えてみたら不思議なのは、私はその人たちが何を言っているのかがだいたいわかったこと。赤ん坊なのに不思議。
 どうあれ、みんなにこにこしていて、悪い人たちじゃない。食べ物をくれたり、歩く練習をさせてくれたりした。でも、お父さんでもお母さんでもなかった。私はずっと、いつか、お父さんやお母さんが迎えにくるのだろうと思っていたのだから。
 自分で歩けるようになり、トイレにも行けるようになると、いよいよお嬢様たちの居るお城に時々連れて行かれた。そこで聞いたのは、この星ではみんながひとつの家族なのだということ。特別に、お父さんやお母さんが決まってはいない。その頃にはお父さんがお母さんが迎えに来るとは強く考えていなかったから、すぐに、そういうものなのか、と思えた。他にも子供がたくさん居て、みんな楽しそうにはしゃいでいた。私はなんだかはしゃぐ気にはなれなかったけれど、辛くはなかったわ。
 その後、生まれた病院から引越して、別の場所にみんなで行き、一人にひとつずつお部屋が用意された。食事は大広間でするけれど、部屋は小さな個室。
 水色の壁紙とクリーム色の天井。テレビ画面がひとつあり、毎朝、テレビ画面を通してお嬢様のご挨拶があった。
 そして、ひとりひとつずつ鍵を渡された。紫の石の付いた、そう、ローランが今持っている、その鍵。それが円盤型の鳥の形の鍵。
 部屋のすぐそばに中庭があって、そこが私専用の円盤の置き場所だった。芝生と薔薇のアーチがある。
 そして、毎日そこに行って円盤に乗り、そこから湖に行き、さっき言ったみたいに、同じ境遇の子供や鳥や動物たちと魚釣りをした。
 湖は子供の私からすると、海のように大きかった。周囲は青い実の成る樹木や尖った葉の樹木、寒くなると色を変える葉を持つ樹木で囲まれていた。花の咲く木もあった。桃色や黄色の花びら。来る日も来る日もそこで遊んだ。暑い日もあれば寒い日もあったけれど気にしない。雨の日でもそこで遊んだ。》
 私はローモンドの話を聞きながら、傍に置いてあったノートにスケッチを始めた。病院の絵、ベッドの絵、壁紙、天井、お城、湖、樹木、花、友達、鳥、蝶、動物。
「少し話を待ってもらっていい? これから、ローモンドから聞いたことを具体的にイメージして写真にしてみるから、受け取ってみて」
《わかった》
 ローモンドは話すのを止めた。
 そして、ひとつずつのイメージを、写真の形で送る。
《そうよ、こんな感じ!》
 歓喜するのがわかる。
《ローランって、上手》
「ローモンド、お友達の様子を覚えていたら教えてくれる?」
《OK》
 そう言って、ローモンドは思い出せる限りの友達の風貌について細かく説明を始めた。一人分の説明が終わったら、私は一人分の写真を作って送る。そして、また次の友達の説明が終わったら、こちらで写真を作って送る。その繰り返し。何度かはやり直しが発生したが、それほど苦労することなく写真の製作は進んだ。
「ひとまず、これからアルバムをイメージして送るから、受け取って」
 私は分厚いアルバムを一冊イメージした。
《わあ、大きいね。これ、どうするの?》
「開いてみて。そこに、今ある写真を貼っていって。ローモンドの好きなように貼ればいいから」
《ほんとだあ。この大きな本みたいなノート、直ぐに貼り付けられるように出来ている!》
 そう言った後、しばらくローモンドは黙り込み、アルバムづくりに励んでいるようだった。

 ローモンドがアルバム作りをしている途中で、私のスマホに連絡が入った。
 お嬢様からだ。
《ローラン。その後、どうかしら。テレビ電話に出て貰える?》
 あんなにヒステリックになって目前から消えたくせに、その後、どうかしら、とはお気楽なものだ。
「ローモンド、しばらく、アルバム作りをしていてちょうだい。細かな説明も書いておいて」
 私はペンをイメージしてローモンドの居る部屋へと送った。
《了解。ローラン、アルバム作りが終わったら、私、少し眠る。なんだか疲れて、眠くなったから》

 私はテレビ電話のある部屋へと移動し、受信機能を立ち上げ、お嬢様にメッセージを送った。
《準備できました。テレビ会議に出ます》
 ゴーグルを掛け、会議室で対面している状態へとセットする。
 しばらくすると、お嬢様が目前に浮かび上がった。実際に対面しているかのように見えるけれど、もちろん3D映像でしかない。相変わらずの厚化粧で顔を覆っている。
「あれから、どう?」
 お嬢様は優し気な微笑みを見せた。
「別に、変化はありません」
「あの時、急に通信を切断してしまってごめんなさいね。私も取り乱していたから」
 自慢の巻き毛を指でくるくるといじっている。「あれから、モエリスは無事に戻ってきた。調べたところ、あなたに搭載する予定だった子供時代の過去が綺麗に残っている。予備として存在していたローモンドは見当たらないけれど、他にも育成している存在がいるから、その子にコピーして万全の体制を取るようにするわ。なので、改めてモエリスをそちらに送るから――」
「お嬢様、それはもういいです」
 私はきっぱりと断った。モエリスを搭載するなら、ローモンドを消去することになってしまう。「私はこのままで」
「でも、そのままでは記憶が失われて――」
「電池切れになるのでしょう?」
「そうよ。そんなことになったら困るでしょう?」
「大丈夫です。地球探索用に育てられた過去の記憶がありますから」
 ほとんど忘れかけてはいたが、そのように育ったことくらいは覚えている。
「その記憶は地球での生活に合わないの。そのくらいのこと、あなたにもわかるでしょう?」
 確かに、地球探索用に育成された存在なんて、地球側からしたらスパイみたいなものだから、見つかったら困る過去なのかもしれない。
「でも、それが私だから。モエリスを搭載なんかしたら、私は私ではなくなってしまう」
「どんなものでも過去は人格に影響しないのよ。あなたは、あなたのままなの」
 お嬢様は優し気な表情を作り、諭すように言う。
「保証はありますか?」
「地球に根付いていった人たちは、みんな同じように、途中から地球用の記憶を搭載したのよ。そして、地球探索用に育成されたことなんか忘れていった」
「でも、その後、元気です、という程度の連絡しか来ないと、この前仰っていましたよね。その後は調べられていないのでしょう?」
 私は食い下がった。
「でも問題は起きていないのよ。きちんと追跡調査はしている」
 お嬢様はいつも通りの強気な調子になった。
「どうあれ、私にその必要はありませんから。モエリスは誰か他の方に搭載してください」
 折れるつもりはない。
「あなた、なんだか変わったわね」
 お嬢様が片眉を吊り上げる。そして、蒼ざめて見える。もちろん、それもCG処理に違いない。
「自分ではわかりませんが」
 もちろん本当は気付いている。ローモンドが中に居るから、私は変わったのだろう。私にとっては好ましく、そして、お嬢様にとっては好ましくなく。
「お嬢様、それにしても、どうして、全体記憶装置が破壊されてしまったのでしょう」
 話題を私自身のことから他の事に移したかった。
「まだはっきりしたことはわからない。今、広範囲に渡って調査中よ。ひとつ上がってきている事としては、とある星の、とある村で、その辺りに居た人々がまるごと全部、一夜にしていなくなったってこと」
 お嬢様はますます蒼ざめていた。
「家屋は残っているのでしょうか」
「建物はある。その村には次元間移動のための施設もあり、次元を超えた時空を飛行する船体も保有しているのだけど、その建物自体は残されたまま、村人が全部いなくなった」
「血生臭い話ですか」
「いいえ。一滴の血も流れていない。残された人もいない」
 お嬢様は真面目な顔つきになった。
「そのことが、記憶装置の破壊と関係しているのですか」
「それはまだわからないわ。調査中よ。とにかく、モエリスを搭載する気になったら、早めに連絡をちょうだい。私はあなたがいなくなったら寂しいのよ」
「いなくなったらって?」
「あなたの命が心配」
「私の命?」
 考えたこともなかった。「でも、私が私の過去を入れ替えて、私が私のままで居られるでしょうか」
「さっきも言ったけど、人格に過去は関係ないの。ただ、地球に降りるためには、地球用の過去が必要だってこと」
 お嬢様の切実な思いも嘘ではないようだった。
 それでも、私はイエスと言えないまま、その会合は終わった。

 テレビ会議のシステムをオフにし、私は部屋を出た。リビングに移動し、自分用に珈琲を淹れる。ローモンドは眠ってしまったらしく、何も語り掛けてはこない。珈琲を一口啜ると、ほとんど何も食べていない胃を熱くした。
 ――ほっとするような、寂しいような。
 ローモンドが「ローランの部屋」と称する所に居る状況に、私はもう慣れてしまったのだろうか。何かを思っても、何も返答してくる者がいないと、肩透かしを食らった感じがする。
 だけど、いつかはローモンドは私に装着されたまま、溶け込んでしまうのだろう。それを私は忘れるのか、記憶したまま溶けてしまうのかはわからない。
 ――そうなると、ローモンドの子供時代が、すっかり私の子供時代となるのか。
 あの「鳥の形の円盤に乗って湖へ行き、仲間たちと魚釣りをする」子供時代を細かく思い出していた。ローモンドが出会った友達や鳥類、虫、動物たち。ローモンドの説明に従って描いたスケッチを一枚ずつ眺める。
 ――楽しそうだけど、本当に、こんな過去を信じることができるかしら。
 第一、現実的な地球の子供時代には、こんな過ごし方が存在していると思えない。少し調べただけではあるが、ほとんどの場合、紆余曲折しつつも、学校に行くか、あるいは経済的な状況が悪ければ学校へは行かず家の仕事を手伝うかのどちらかのはず。
 それから、お嬢様が話していた「とある村」について考えた。一夜にして村人が全員いなくなったとか。ひょっとして村ごと次元間移動したのかしら。だけど、いなくなったのは人間だけで。建物は放置されているらしい。だとしたら、どうやって、彼らはいなくなったのだろう。そして、その出来事は、お嬢様たちが管理していた記憶装置が破壊されたことと関係があるのだろうか。
 あの記憶装置には、お嬢様たちが管理している星々と、そこに棲息する者全ての過去が記録されていたはずだ。宇宙の中にある一定の領域、それはこの地球も含み、青い実の成る星、そして、私の故郷など、全ての星々の過去が保存されていたのだ。言い換えれば、その記憶装置そのものが過去だとさえいえる。記録こそ過去なのだ。
 そのことで、私はかつてお嬢様と喧嘩をしたことがある。
「記録そのものではなく、過ぎ去ってしまった出来事のことを過去というのでは?」
 といった私の言葉に、
「いいえ、その記憶装置に記録されている出来事のことを過去というのよ」
 と、お嬢様は答えた。「そしてそれは他の存在にとっての未来でもある」
「それでは、新しい出来事などひとつも起きない。その『過去』と名付けられた本に従って、私達は生きているだけじゃないですか!」
「その通りなのよ、ローラン。ほとんどがそう」
「ほとんどって?」
 私が聞くと、
「地球だけは少し、違うところもあるそうなの」
 お嬢様は言った。
「違うところって?」
「この記憶装置に記憶されている出来事以外のことが、時々起きている。それが地球の謎の中のひとつとして存在し、私達は長年調査し続けてきた」
「仰っていることがよくわかりません」
「わからなくていいのよ。私達にもわからないのだから。でも、あなたの知っている通り、私達が把握している宇宙では、ほとんどが決められた通りに物事が運ぶ。それが記憶装置の記録の通り、ということ。過去であり未来である。でも、地球の事象に関しては、記憶装置の通りのこともあるけれど、全く記録されていない物事も常に起きている」
「計算通りではない、ってことですか」
「計算通りではないと言えば、こちらの思惑通りではないといった感じがするけれど、そういう支配的な意味じゃない。純粋に、地球では未知の出来事が起き続けているの。だから、あなた達を養成し、探索活動のために派遣しているの。もちろん、謎はそれだけではないけれど」
「地球ではどうしてそんなことが?」
「わからない。でもそれが、何か、ヒューマニズムと呼ばれるものと関係しているのではないかと、研究者たちの間では話し合われている」
 その時、お嬢様も真剣だった。
「ヒューマニズム? なんですか、それ」
 私はその時、初めてヒューマニズムの定義を聞いたのだった。確かそれは《人間》であること。それは《地球人》であること、でもあるらしかった。
「人、であるならば、私達も宇宙人として、人ではあるけれど、さらにそれ以上に人間とは、地球人であること。地球とは、土があり、植物が生え出し、生物が棲息し、循環している星。その中で、泣いたり笑ったりしながら暮らす人々のことよ」
 お嬢様もその時まだ曖昧だった。「もちろん、まだ明確にわかってはいない。とにかく地球では時々、合理性に欠くことが起こり、他の星のシステムではあり得ない方向へと向かうことがあるの」
 その時も、私はヒューマニズムとやらを理解することはできなかった。

 ローモンドは目を覚まし、私達は一緒に食事をした。この場合、一緒に、と言っていいのかはわからないが、現実として、その時、私達の間に壁はなかった。
《ローラン、私のアルバムはほとんど貼れたよ》
「それがいつか私の過去になるのかしら」
《その時、私はどうなるのかしら》
「それが私にとっても気がかり。そうなれば私の方は恐らく、このまま地球に根付いたとしても電池切れにならない。ローモンドが私の過去を製作してくれたから。でも、ローモンドは私の中に溶けてしまって、消えてしまうのかもしれない。それは悲しい」
《そう言ってくれてありがとう》
 ローモンドは明るい声だった。
「どうすればいいかしら」
《ねえ、ローラン。どんな過去でも創造できるのであれば、どんな未来でも創造できると思わない?》
「確かに。どちらにしても、創造する前には存在しないものだからね」
 ローモンドに言われるまでは気付かなかった。
《だから、私、アルバムの続きを作ろうと思うの》
「どんな風に?」
《どうにかして、ローランが私を産む》
「私がローモンドを? でも、今、ローモンドが居るのは私のお腹じゃなくて、心の部屋、なのよ」
 それがどういったものを指すのかはわからない。私にしても、初めてのことだから。
《じゃあ、産むのではなく、ローランが心の扉を開く。そして、私がそこから出る。アルバムだけは、ローランの心の部屋に置いていくから》
「そんなこと、可能かしら」
《ローラン、私の鳥の形の鍵、持ってる?》
「あるわよ」
 肌身離さず持っている。
《それを、じっと見て、私のこの部屋に送り込んでくれない?》
「それでどうするの?」
《ほら、最初にローランがイメージして作り出してしまった鳥の形の円盤がこの部屋にはある。私、それに乗って、届いた鍵を差し込んで、この部屋を出ようと思う。鳥の形は次元間移動ができるものだから、きっと可能よ。そして、ローランの目の前にもう一度着陸する》
「それはいいアイデアね!」
《鍵だけではなく、ローランが今居る場所の地図も欲しい。ナビシステムに記憶させてみる》
「やってみましょう」
 私は町の地図と、家と、そしてリビングの位置関係を示す詳細な図を作成した。それをローモンドに出力する。
《あ、来た!》
 それから、ローモンドの鳥の形の鍵を眺め、出力する。
《また、来た! 乗ってみる》
 しばらく沈黙があり、ローモンドは乗り込んで差し込もうとしたが、穴に対して鍵が大きすぎると言った。
 それから何度も大きさや凹凸の合い方の調整をした後、
《とうとう、鍵が入った!》
 ローモンドは歓喜した。
「エンジン、掛かるかしら」
《大丈夫。もう明かりが点灯している》
 最後に、ローモンドが《いくわよ》と叫ぶと、私は一瞬中に浮いた。
「何これ? 私自身が円盤になりそうよ」
《大丈夫。何かに捕まって》
 ローモンドに言われ、私は慌てて部屋の柱に捕まった。
 それからは部屋中が恐ろしいほどの次元風に巻かれた。リビングの調度品は跳ね飛び、天井から吊り下げられていた電灯はぐらぐらと揺れた後に落下して壊れ、窓硝子はガタガタと大きく震えて今にも割れそうになった。
「うわあーーーーー」

 やがて、部屋のど真ん中に、鳥の形の円盤が着陸した。

「なんてこと――」
 呆然自失。
 
 円盤のエンジン音が止まった。
 
 扉が開く。

「ローラン。ああ、ローラン」
 顔を煤だらけにしたローモンドが円盤の中から出てきた。
「ローモンド!」
「ただいま」
「おかえり」
 その表現が相応しいのかわからない。でも私たちは自然にそう叫んでいた。
 私たちは破壊されたものの破片を踏まないように気を付けながら互いに近づき、しっかりと抱きしめ合った。

(三章 了)

《あらすじ》
 
ローランの心の部屋に入ってしまったローモンドは目を覚ました。布団がそうだったように、ローランが何かを思えばどんなものでも創造物として、ローランの心の部屋にローモンドに送り届けられることがわかる。
 二人はローモンドの過去を作り始めた。最初は地球に合うように学校に進学した写真などを創作したが、やがて、本当の「湖で鳥や仲間たちと魚釣りをして遊んだ」子供時代を採用することにし、その写真を創作してアルバムを作った。
 ローモンドがアルバム製作をしている間に、ローランのところにお嬢様から連絡が入り、もう一度モエリスを送るのでその子供時代を装着するようにと言われる。しかし、ローランは断った。
 しかし、このままではローモンドはローランの中で溶けてしまい、単なるローランの過去になってしまう。どうにかしようと、ローモンドはアルバムだけをローランの心の部屋に残し、ローランの居る次元へと戻ってくることになった。
 既に円盤はある。なので、紫の石の付いた鍵をローモンドの居るローランの心の部屋に送り届け、ローモンドは円盤に乗り込んだ。
 そして、とうとう、円盤ごと、ローランの居る次元へと戻って来たのだった。


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