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SNSのはなし

Twitterをやらない世界線

昨日あたりからTwitterの閲覧制限がかかって、「ツイッターおしまい祭り」が始まっていた。私はなんの支障もなく使えていたので「ふーん」ぐらいで就寝。次の日、またくだらないツイートをしようにも更新されない。無課金だったため、無事に私も恐ろしい条件でちゃんと制限されていた。

えーと、何を言おうとしたっけ。ああそうだ、サイゼリヤ飲みをしたので、やっぱりおいしい〜!と呟こうとしたんだ。私にとってツイッターは仕事の宣伝や告知をする大切な営業ツールであると同時に、体調や天候を報告する場であり、何かの不条理に怒れる場所であり、脳からダダ漏れる感情たち「サイゼは美味しくて安くて最高〜」「犬と猫かわいい〜」をただ言いたいだけのツールでもあった。他のSNSで発信するまでもないので、制限がある以上、エモーショナルなつぶやきは泡のように消えていくのだろう。

InstagramやFacebookにはこの脳からのダダ漏れはあまり機能しない。ビジュアル主体のインスタはイラストレーション活動が主体になっていて、かっこよく見せたい!!が先に来る。フェイスブックは単純に使いづらくて、もう知人の誕生日確認と思い出ふりかえりサービスになっている。もういっそ思い出サービスにしちゃった方が素敵。

Twitterでよくしゃべる人たちを眺めるのが好きなのは、勝手に私と同じように脳が直接打ち込んでいるような気がするから。言葉のチョイスやセンスもそうだけど、その人のひととなりがわかった「ような」気分になれる唯一無二のSNSだと思う。(一方でいきりヘイトやフェイクの温床にもなってしまって残念な側面もあるけれど。)

そんな状況の中、近日中に参加するグループ展の告知をぽつんとつぶやいた。どのぐらいの方が目にするのか、もしかしたら誰も見てない?なんて思いながら。まるで暗闇に紙ひこうきを飛ばしている気持ちになった。沈みゆくタイタニックで演奏し続けるバンドを思い出してツイートした。


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