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金融の未来地図:手段から価値への進化


1. はじめに 

 本稿は主に金融関係者向けの記事となります。金融産業がどのような性質を持ち、他の産業とどのような共通点・相違点を有しているか、今後の業界の展望などについて私の分析を示します。(金融業界以外の方は業界勉強の感覚でお付き合いください。) 

2. 金融のジレンマ:手段としての価値と限界

 最近はインフレの影響で様々な財・サービスが値上がりしています。本章ではインフレと金融ビジネスの関係性について整理します。 

 インフレによって食料品やサービスの値上げが顕著です。一方で金融業界はインフレの動きと逆行している状況にあるのをご存じでしょうか?金融はインフレを理由に値上げ可能なビジネスではありません。 

 証券会社はインフレとは逆に手数料無料化の動きが加速しています。銀行の送金手数料も変化はありません。ローンに関しては金利が影響しますが、インフレ率自体はローン水準には関係ありません。 

 金融業界はインフレの影響を直接的に受けません。どうしてでしょうか?

 理由は金融が手段に過ぎないからです。「目的」になり得るものはインフレの影響を受けますが、目的達成の手段に過ぎない金融はインフレを価格に転嫁しにくい(ほぼ出来ない)産業と言えます。 

 高級ホテルやディズニーランドなどはここ数年で大きく値上げを実施しました。これらのサービスは人々の目的(ゴール)になり得るサービスだからです。 

 一方で金融が提供する各種サービス(資産運用・送金・ローン・保険など)はそれ自体を求めているわけではなく、その行為の先に本当の目的が存在します。(旅行・外食・エンタメなど) 

 資産運用は資産を増加させること自体が目的ではなく、資産を増やしたその先に実現したい目的が存在します。人は目的達成のためには惜しみなく財を消費しますが、その中間プロセスにおいては徹底的に合理的に振る舞う傾向にあります。 

 従って金融はゴールにはなり得ず、目的達成の手段にすぎないため、どれだけ便利なサービスを提供しても論理的には最安の収益しか期待できない産業です。

 これまでの金融業界は情報の非対称性を利用して、ぼったくり商品を消費者に提供してきましたが、ネット取引の普及や一般層の金融リテラシーの向上に伴い、悪しき習慣は徐々に駆逐されています。 

 金融取引は大分すると「リスクの等価交換」か「手数料」に行き着きます。例えばローン取引はリスクの等価交換に分類されます。信用リスクに応じて金利を調整することで資金を融通することで借り手と貸し手はリスクの等価交換を実施しています。 

 銀行送金の処理は手数料に分類されます。送金という作業依頼にはリスクの等価交換という取引要素は存在せず、単なる作業の指示に他なりません。この場合の手数料は作業(事務)の対価となります。

 同様に金融商品の売買自体はリスクの等価交換です。株式売買では株式に付随するリスクとリターンを売り手と買い手が等価交換をしています。リスクの等価交換の場合、双方はそれぞれ等しい価値を交換するに過ぎません。

 金融機関は自身では何ら付加価値を創造していません。交換の場を提供しているに過ぎず、場の提供という行為自体もネットが普及した現代においては大した労力を要する作業ではありません。 

 よってリスクの等価交換に分類される金融取引において金融機関は積極的に付加価値を創造しているわけではなく、高い料金を請求する根拠を持たないことが分かります。手数料に分類される金融取引は単なる作業指示に過ぎないため、付加価値の創造は当然ありません。 

 上記から金融産業・金融機関は「付加価値」というベクトルで競うことが困難なことが分かります。少し考えると分かりますが、金融機関の提供する金融サービスには「個性」が存在しません。 

 株はどの証券会社でも売買可能です。ローンも多少の条件の差はあれ、どの銀行でも似たような金利でローンを組むことは可能です。金融機関は看板が異なるだけで扱っている商品はコモディティです。

 規模の大小により扱える商品の幅に差はありますが、基本的には全てコモディティであり、そこに「オリジナリティ」という付加価値は存在しません。これが金融業界がインフレでも値上げできない理由です。

コモディティ化する金融サービスをベルトコンベアによる流れ作業を用いて示した図

3. 合理性の果てに:一つに集約される金融の未来

 前章で金融は目的ではなく手段に過ぎないこと。金融商品はどれもコモディティに過ぎず、個性や付加価値が存在しないことを説明しました。本章では上記を前提に金融サービスの未来を考えます。 

 例えば、旅行・食事・エンタメなどの場合、各々の興味関心によって最適解は異なります。一方で金融の場合、一定の条件で最適解が定まる点が他の産業との大きな違いです。

 これは金融が目的ではなく手段に過ぎない点の帰結ですが、論理的最適解の提案が可能な金融は「合理性」が軸となるため、本質的には各カテゴリの最適解に集約する傾向にあります。 

 これが食事の場合には、和食が最適解の人も、フレンチが最適解の人も、中華が最適解の人も存在します。そのどれもが正解です。旅行も同様でイタリアがベストと考える人、アメリカがベストと考える人が存在し、それぞれにとってのベストが異なっても何ら問題はありません。 

 このように価値観に違いにより正解が異なる産業やサービスは「目的」になり得ます。一方で金融のように手段に過ぎない産業の場合、一定の条件の元で最適解は集約されます。

 具体的な例として日本では約6,000本の公募投資信託が存在しますが、実際には1%の60本の優れた投資信託が存在すれば99%の投資家のニーズを満たせるということです。 

 金融が手段に過ぎず論理的最適解に集約されるということを投資信託に当てはめると、各カテゴリにおいて最良の1本のみ存在すれば投資家のニーズは事足りるということです。 

 例えばですが、S&P500に連動するファンドは多数存在しますが、論理的には一番コストが安くパフォーマンス乖離が少ないファンドが1つ存在すれば十分です。(厳密には競合となるファンドが存在しないと競争が存在せずサービスの向上が期待できないが、論理的には最良の1本があれば十分である) 

 同様にオルカン・先進国・新興国、債券・不動産・金など様々なカテゴリにおいてそれぞれ最良のファンドが1本あれば類似の劣化ファンドは不要です。

 これは金融が手段に過ぎず、コモディティであり各々の価値観によって最適解が異なるという事象が発生せず、合理性という軸で判断可能なことを示しています。 

 これが食事の場合は話が別です。牛肉・豚肉・鶏肉はそれぞれの個性が存在します。金融商品のように一律の基準で優劣の判断は不可能です。これは旅館やホテルでも同様です。

 何かをしたい!という目的になり得る産業・サービスの多くは多様な価値観が併存することから論理的最適解を導くことが不可能です。金融は少し特殊な産業と理解しましょう。 

「種の起源」にオマージュを捧げつつ、合理性という軸による金融商品の「自然淘汰」を示す図

4. 限界と可能性:金融業界の技術革新ジレンマ

 昨年から生成AIが物凄い勢いで進化しており、様々なサービスに高度なAIが組み込まれつつあります。金融業界も例外ではありません。むしろ金融はAIとの相性が良いので効率化・高度化に大いに貢献します。 

 しかしながら金融は手段に過ぎないため、AIをどれほど上手に活用しても「効率化」は達成できても「付加価値」の創造は極めて難しい点を理解する必要があります。 

 AIという高度な道具(ツール)を用いても金融という産業の本質は変化しません。(←この点は意外と重要です)AIを活用することでより便利な金融サービスの実現、より安価なサービスを提供することは可能です。

 AIというツールを用いても金融の本質は変化しません。別の言い方をすると金融の限界はAIで拡張されることは無い、ということです。この結論は非常に残念ですが受け入れなければなりません。 

 逆に目的になり得る産業の場合、AIの活用により付加価値の上乗せが可能であり、最終的に料金への転嫁が期待できます。金融の場合、技術革新によって便利になってもコモディティに過ぎないため、下落圧力が作用し価格転嫁は困難です。 

 従って「AIは金融の効率化・高度化には大きく寄与するが、収益化にはほとんど貢献しない」という結論が導かれます。むしろ多額の投資が必要であることから、業界の再編や一時的な収益の低下を招く恐れがあります。 

 今後、金融が「手段」という枠を超え独自の付加価値を有するサービスに昇華した場合には、利便性の向上の対価を存分に価格に転嫁できるようになるはずです。金融業界で関わる方はこの不都合な真実を直視し、これから訪れる変化に備える必要があります。 

 合理性を重視する金融はAIによって大きく合理化されます。AIの活用によって疑似的な「AI従業員」が多くの金融業務を処理することになります。金融業界の人員は否が応でも大きく削減されます。 

 米国の場合はラディカルに解雇されるでしょうが、日本の場合は強力な解雇規制が存在するためどのように着地するか読めません。しかしながら産業構造が大きく変化するからこそ、AIによる合理化が不可能な一部のサービスのニーズは高まるかもしれません。 

 具体的にはAIではカバーできない、利用者に寄り添った本当の意味での金融アドバイザーの需要が増えるのではないかと思います。基本的な金融取引は全てオンラインで完結し、論理的な最適解もAIを活用することで知ることが出来るようになるはずです。

 そのような状況化においては最後に背中を押してくれる「信頼のおける助言者」の価値が高まるのではないかと考えます。合理的に見えて非合理な行動に走りがちな人間を精神的に支える役目はAIではなく人間にしか出来ない数少ない大切な「付加価値」ではないかと私は考えます。

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