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緒方正人さんに聞く

 3月5日に水俣の女島に住む緒方正人さんに会いに行った。

 緒方さんは水俣病の被害者で、認定訴訟の原告代表でありながら、代表を降りて患者認定申請を取り下げた人である。「水俣病の患者として認定しろ」という裁判の原告代表者が「私はもう認定申請はしない」と言って代表を降りた。その体験を記した著書が「チッソは私であった」(河出書房文庫)だ。

 この本のタイトルは意味深い。チッソとは、水俣病の当時の原因企業名である。緒方さんは被害者であるのに「私の中にもチッソがいる」と言って、認定を取り下げたのだ。

 水俣の漁師だった緒方さんは、もし水俣病事件が発生しなかったなら、不知火海で漁をしながら一生を終えただろう。

 突然、水俣病で親族が狂い死ぬという、不条理な現実を前にして、まだ青年だった緒方さんは国やチッソに対して怒り混乱する。組織の論理、国の論理が人間の命よりも優先される異常な事態に、それを認めない組織側の人々の対応、露呈する人間の欲や、地域社会の疑心暗鬼に精神の危機を体験する。

 緒方さんが「狂った」と表現する内的な混乱を経て、突然、頭上に青空が現れるように思考の大転換が起きた。「チッソは私であった」は緒方さんの大転換を記した本だ。

 初めてこの本を読んだ時、「悟り」とは、こういう体験を呼ぶのじゃないだろうかと思った。

 以来、私は緒方正人さんの追っかけである。緒方さんの言葉を聞くと頭が正気に戻る気がする。緒方さんの言葉に触れていたい。そうしないと訳のわからない思考の迷路に入ってしまいそうで怖くなる。世の中が混乱している時、私は緒方さんの言葉を聞きに行く。

 2時間半のインタビュー。その一部分をここに記します。この文章は田口がお話の一部を抜粋し、わかりにくい部分には加筆をし、編集を加えています。緒方さんからはどのように料理してもかまわないというお許しを得ていますが、語り口の熱量をお伝えすることは難しい。

「人間の責任とはなにか」という深い問いへの思索です。

 

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