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「意識する」それは人生のハンドルを自分が握ることだ。

おととしあたりから、目と耳の能力が低下してきた。いわゆる老眼に加えて、長年のパソコン使用による乱視が極度にすすみ、目を使うと偏頭痛と肩凝りがひどく、そこにもってきて、難聴気味だ。

こういう自分の「体調の悪さ」に慣れていくことはできても、やはりしんどい。

フィリピン・セブ島に一ヶ月、語学留学すると決めても出かける直前までぐずぐずとしていた。大丈夫かな。こんな体調で行ってもいいんだろうか。

今年は休養を取ると決めて4月から仕事を断り、新しい仕事は入れず、最小限のおつきあいだけにとどめて「なんでも好きなことができるとしたら何をしたいか?」と自分に聞きながら、毎日を過ごしていた。

フィリピン行きも「いつ止めてもいいよ」と自分に言っていた。「やりたくないことはやらなくていいから」と。

チケットは、仙台拘置所に死刑囚・林泰男さん(新刊「逆さに吊るされた男」のモデルとなった方)の面会に行ったとき、仙台の旅行代理店でとった。たまたま旅行代理店があったので、飛び込みでセブ島行きの直行便を予約した。

チケットを取ったら、もはや戻れない気持ちになり、覚悟が決まったらだんだん気分も盛り上がってきた。何が待っているんだろうと。目も悪い。耳も常に耳鳴りがしている。こういう体調の悪さは英語学習にどう影響するんだろうか。

実際に行ってみたら、ほとんど影響しなかった。目がよく見えるようになったわけでもなく、耳鳴りが止まったわけでもなく、私の耳は若い人たちより遥かに聴こえる音域が狭い(難聴だし)。

でも、そういうことは、何かをする上で障害ではないんだね。意識を向けたことに集中する……という訓練をひたすら続けてきた結果として、意識を向けたことに集中できる。

意識を向ける。これを多くの人はできない。「意識する」「意図する」ということを学校で教えてくれないからだ。

私は、ものすごく勉強ができなかった。いまでも勉強が苦手だ。学校という場所も嫌いだ。

「ランディさん、勉強が大好きじゃないですか?」とよく言われる。
「勉強が好きなのではなくて、なにかを発見することが楽しいんだ」と答える。

学校は発見の場ではなかった。小学校一年生の時、初めて漢字を習って、「漢字は絵なんだ!」という新鮮な感動と驚きを先生に伝えようとしたのだけれど、「何言ってんの?」と却下された。

ゼロをかけるとすべてがゼロになる!というその意味がわからなくてかけ算九九が覚えられず、黒板の前のかけ算問題の前で立ち往生していた。

先生は、出来ない生徒を指名して、黒板に簡単な問題を書いてそれをみんなの前で解かせた。
「ゼロをかけるとなぜゼロになるのかがわからない」と言うと「なにもないんだから、なにもないところになにかをかけても、ゼロだろう」と言う。

「なにもない?」
教科書にはリンゴの絵が乗っていて、一個のリンゴに2をかけると2個になる。しかし、ゼロってなにもないってことなのか?

丸暗記というのものが苦手で、ストーリーとしてしか記憶できない。そして、私の関心はいつも教科書の学習テーマからズレてしまう。関心は無限大に広がっていき、すべてがうやむやになっていき、取り残される。世界はデカ過ぎた。

私の探求は無意味で、ほとんどが徒労だった。でも、その無意味な探求が40歳を過ぎた頃から、経験に裏打ちされて文章化できるようになった。デビューが遅かったのは、経験を積むためだったのだと思う。経験によって得た直感と総合力で、無限に広がってしまう関心を、なんとかまとめられるようになったのだ。

よって私の文章は、話が飛ぶし、まとまりに欠けるところがあるが、私のなかでは繋がっており、ストーリーになっている。かっちりとした理知的な思考をする人からは「情緒だけのくだらない文章」などとこき下ろされたこともあるけれど、それを読者が好んでくれたのだから、大きなお世話である。

私は子どもの頃からこういう人間で、これが私の個性なのだと、開き直るのに40年かかったのだ。

人間は個別で、どのような側面が評価されるかわからないし、その評価だって誰かの価値観の基準でつくられたものだ。自分に限界を設定しているのは他人の脳の洗脳を受けている自分だ。

日本の学校はある種の「洗脳」のための場だと思っている。「出来る人」と「出来ない人」を分けて、レッテルを貼り、そこに適応できないものを落ちこぼれさせる場……。

学校は嫌いじゃなかったよ。むしろ好きだった。部活と図書館があったから。本が好きなだけ読めた。中学時代、私は年間300冊の本を読んでいた。今や目の乱視が悪化し、読書が辛くなった。一生分、読んだからもういいか、と思う。

今や、ある種「身体的なハンディ」を抱えるようになった自分が、英語に挑戦することは可能なのか? この不安は若い人に話しても到底理解されないと思うけれど、たぶん、同世代のシニアなら「そうなんだよねえ」って頷くよね。

耳も、大きな音には鼓膜がびりびりするし、長時間のイヤホンの使用が苦痛。耳には、まぶたのような覆いがないので、24時間開放状態。だから、耳を休ませるためには寝るしかない。

語学留学中のセブ島での英語レッスンは1日8時間。8時間の睡眠を確保すると、残りは8時間。のうちランチ1時間。自分のために使える時間は7時間。宿題もあるので、睡眠時間を確保するためにはほとんど外出できない。

眠ることは「必須課題」だった。眠らなければ、目も耳も脳も働いてくれない。いかにして眠るか。睡眠が私の人生のクオリティを決定してくる。改めて実感。眠ることは生きることだ。

そして、ここは小学校ではないので興味を持ったことに「意識」を向ければ、そこにぐいぐい入って行っても誰も文句を言わない。ひたすら発声練習をしていても、ひたすら喉の筋トレをしていても、自由だ。人と交わらなくていい、集団行動の必要なし。

こういう環境なら学ぶことも楽しいな、と思った。今や、インターネットがあるので、図書館がなくてもある程度のことは検索ができる。動画だって見放題だ。

私は自分の「意図」とか「意識」がどうしてそこに向くのか、その理由はよくわからない。たぶんそれが「好き」なんだろう。意識の背後にある広大な無意識について私はよく知らない。

なにかが呼びかけてくる。その方向に「意識を向ける」ことは得意だ。どんなにムダに思えることであっても「意識」してその方向に舵を取り、行動に移す訓練はできている。

それは「書く」ということと、とても近い。なにを書いていいかわからない、という理由で、クリエイティブ・ライティング講座を受講する人はとても多い。

「書きたいのですが、何を書いていいのかわからなくて」その人たちにまずやってもらうのは「意識すること」の訓練だ。

「あなたの潜在意識から上がってくるものに、意識を向けて、そこに集中してください」と。「今ここで、あなたにやって来るもののために、あなたは行動して、ここにいるのだから、それは、よいものだと信じてください」

セブ島英語留学で、「意識を向けた」ものは「声、発声、リズム、イントネーション」そこに興味が集中していった。文法には全く関心が行かず、英語の「音」や「息」に乗せる発声が、私の全関心領域になり、ひたすらそこに向かって突き進んだような一ヶ月。

たぶん、同じ時期に同じ場所にいても、全員が、別のものを習得しているのだと思う。それでいいんだ。だから世界は多様で面白い。

「意識する」ことを「意識していない」人が、ひとたび「意識する」ことに目覚めたら、人生は変わる。間違いなく変わる。「意識」を向けるものにしっかり「意識する」ことを学べば。

「意識」を「意識していない」ことに気づいていない、ということに気づいていないことが多いし、「意識」は「意識し続けなければ」勝手に「自動運転」に切り替わる。

自動運転は便利だけれど、同じ景色の道しか走ってくれない。自分の車は自分で運転してこそ面白い。意識するとは、自分の生きたい道を行くこと。
それがどんな場所であれ、意識を向けたもののために人は行動する。
だから、セブ島に行ってもけっきょく、海には一度も行かなかった。そこに意識は向かなかったんだ。

意識の話はとても大切だから、繰り返し、何度でも書くよ。(自分の忘備録として)意識し続けることは、難しく、恐るべきことに人は意識することを、ものすごく簡単に忘れるから。



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