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結論が言えない対話のしくみ

私が子どもを出産した1997年、産後で休んでいた日々に流れていたニュースは「幼児連続殺傷事件」、酒鬼薔薇聖斗と名乗る中学生によって、幼児の頭部が中学校の校門に置かれ、テレビは連日その猟奇的な行為を報道した。

生まれたての、まだ首もすわらない赤ん坊の世話をしながら、そのニュースを食い入るように見てしまった自分を思い出す。家にいるしかない日々、ワイドショーは暇つぶしでもあり、社会と自分の接点でもあった。仕事ができない状態だから社会の出来事が気になる。
幼児の身体を切断して頭部を校門に置く、というその不可解な行為の動機にも興味をそそられた。

そして、自覚できないうちにとても不安になった。そのニュースを見ているだけで自分の子どもになにかしら危害が及ぶような気がし始めて、観るのを止めた。

いま、連日流れるニュースを、そしてインターネットの投稿を家で見ている人がたくさんいるんだろう。かつての私みたいに子どもの出産で自宅にいる人、会社をリタイアして家にいる人、学校が閉鎖になって自宅にいる人、コロナの影響で家を出れない人……。

社会との接触が希薄になっている全世界に、戦争のニュースが流れているのは異常なことだ。異常なことが重なっている。でも、それはいつしか日常になっていってしまう。

気づかないうちに不安になる。私はそうだった。遠い出来事だったことが、だんだん身近に忍び寄っていると強く感じる。報道も危機感をあおる。外に向かって仕事をしている時であれば、もっと距離を置けただろうに、高齢出産の後、身体を休めていた時だったからどこにも出られず、子育てのために今後の仕事の見通しも立たず、ぼんやりとしていた時だったから、余計に情報だけがどんどん頭に入って来た。

子育てをしている人は、子どもの未来を思うだろう。これから先、どんな時代がやってくるのか。子どもたちの身の安全を思い、きっと苦しくなっているだろう。だからって、この複雑な戦争について誰かと腹を割って話すことも難しい。それでなくても孤立しがちな子育て期間に、ママ友と意見の食い違いなんか避けたい。

4月7日の夜、「戦争ってどうよ?」というテーマで未来フェスを開催した。未来フェスは、オンライン上で自分の思うことを話すための仕組みだ。持ち時間は2分。2分が経過すると司会者が強制的にミュートをかけて発言を止める。2分の間に何をしゃべってもよい。たいがい、話の途中で打ち切られる。話し足りない。「これからなのに……」って時にタイムオーバーになる。

それがいい。

意見が言えないのだ。意見には結論が必要になり、結論を探すために人の話は長くなる。2分では結論にたどりつけない。未来フェスは2分間しゃべる、という場であり、2分で意見を発表する場ではない。

なので、なんとなくしゃべりだし、だんだん話が乗ってきたところで打ち切られる。聞いている方も「あ、もうちょっと聞きたかった」という気分になるし、しゃべる方も「いいとこだったのに」と思う。

約1時間、一人2分でしゃべる。全員、だいたい話を打ち切られる。結論を言えない、結論を押し付けられない安心感。タイムオーバーになった時の、「ちぇっ」って感じになる語り手の表情がカワイイ。親近感をもつ。

人間って、自分の言いたいことを言いきってしまうと、なんかむなしくなるよね。偉そうだな……と恥ずかしくなったり、本当にこれが言いたかったのかな、と疑問に思ったり、けっきょく最後はほかの人の目を気にして妙な正義感で話を終えたり。
そういうことができない仕組み、それが未来フェスなんだ。

で、後半は残りたい人だけ残って、それぞれにしゃべる。戦争の話じゃなくてもいい。単なる語り場だけれど、なんとなく「さっきの話の続きが聞きたいんだけど……」みたいな感じになり、それぞれしゃべりやすい場が出来てきて、雑談して終わる。

この仕組みを考えたのは、私の師匠の橘川幸夫さんだ。

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