自然生態系からみた人間の生存論と生活論 序論

 父親たちの時代の第一目標は〈経済復興〉であった。私たちの世代は、〈環境復興〉が第一目標となる。
 もはや、地球環境の悪化から逃げられる新天地はこの世にない。究極の閉塞した世界が訪れる。いや、地球は本当に閉じられた系であることを、思い知らされると言った方が適切かもしれない。
 もちろん、火星への移住は計画されているし、地下資源がどんなに枯渇しようと、太陽からのエネルギーが絶えることはないであろう。だが、そうした可能性を、人類という種の存続のために用いることができるためには、まだまだ時間がかかる。環境の悪化は、ものすごいスピードで進んでいるのである。
 この論文では、あえてそうした科学からのアプローチには言及しないで、そもそもそうした科学の夢が生まれたいきさつの方を探ってみる。そうした夢を持つこと自体が間違いだったのではないだろうかという疑問を、最初に掲げておきたい。
 逃げ場のない感覚、終末観が私たちの世代を支配しているような感じがしてしかたがない。どんな生物も、つきつめれば種の保存のために生活しているのである。それが、近代の知が生み出した、人類の生存理由のひとつの答えである。
 自然生態系の一生物種として、私たちは生き延びなければならないのである。生きる気力を失うのは、自然淘汰に屈することである。
 前向きに、人類という種の保存を実現していくためにはどうしたらよいか。その問いに観念の世界から迫ってみようというのが、この論文の目標である。

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