旅行と場所の切り替えの話(散文詰め合わせセット) 20240210

つらつらと散文をいくつか。

旅行について 20240128

先々週、札幌へ行きました。つい最近まで飛行機が苦手だったわたしですが、社会人になって必要に迫られ(主に時間の面で)使ってみたら意外と大丈夫で、そうなると北海道みたいな場所は、値段とスピードのバランス的に飛行機ほぼ一択になるのでした。あんな大きな鉄の塊が飛ぶわけがないというのは飛ばず嫌いの言い訳でしたが、乗ってみればいけるものです。

飛行機は早朝の安い便を使うんですが、まだ夜みたいな新宿駅からバスに揺られてうつらうつら、羽田に着く頃に空が白み始めるのをボーっと眺める感覚、これがすごく癖になりそうです。

そうそう、空港へ行くときはだいたいバスを使います。普段乗らない空港連絡バスに乗り込むと少し「非日常」っぽくなって、体が日常から非日常へじわじわ移行していくの気がします。バスに乗り込んだタイミングでは、バスの車内は「非日常」ですが、そこから見渡す周りの景色には新宿の見慣れた「日常」があります。出発し、しばしバスに揺られていると、外の景色も次第に「日常」から離れていって、羽田に着く頃には車内も外も全て「非日常」に移り変わり、旅行のはじまりが告げられるといった感じです。

自宅(日常)→徒歩や電車(日常)→新宿駅(日常)→空港連絡バス(非日常)→空港(非日常)

電車でなく連絡バスを使うのは、大きな荷物を持って何度も乗り換えしたりするのが面倒だし……というのもありますが、ずっと「日常」的な通勤電車に揺られ、空港に着いたらいきなり「非日常」へ放り出されるような感じを電車移動に感じるというのもあり、空港連絡バスの、日常と非日常の間を、風邪を引かないようにゆっくり繋いでくれるようなところも気に入っているのかもしれません。

代々木上原に住むということ 20240206

この地に引っ越して半年と少しが経ちました。通りを徘徊していると、歩いている人の背格好、やけに小洒落た花屋、山手通りを横切る渋谷駅行きのバス、向こうに見える東京タワーや六本木ヒルズとか、一つ一つの情景を浴びながら生きていると、なんとなく自分が東京で暮らしてるんだなと実感することが増えました。

わたしは(ふだんXをフォローしてくれてる方には周知の事実ですが)地理のオタクですが、地理に限らず幅広くカルチャーみたいなものに憧れはあるし、それでいて普通にミーハーなので、「東京」に住んでるんだなという実感は感慨とともに押し寄せます。そして、このようななんとなくの積み重ねで生活のバイブスを少しずつ高めていくと、生活の質そのものが底上げされるような心地がして、今のところいきいきと過ごすことができています。

代々木上原と内と外 20240210

ところで、溝の口に住んでいる頃、東京と自宅は別の場所でした。(行政区域的な話、高津区は神奈川県だしな、とかそういう話ではなく)渋谷というのは田園都市線で15分そこら揺られて出る場所で、その気になれば歩いていける二子玉川とかはともかくとして、それ以外の東京(特に山手線あたりの、一般に都心と呼ばれるエリア)は更にもう少し遠い場所でした。

翻って現在、新宿が電車で5分そこらで行けるようになったり、渋谷までなら歩いたってそこまで苦にならない距離になると、新宿/渋谷と自宅は「同じ場所」になりました。つまり、溝の口から渋谷への移動は、「自宅近辺」から「都心」という明らかに別の場所への移動で、心理的なスイッチの切り替わりが伴うものでした。かたや代々木上原と新宿の5分程度のそれでは、そうした切り替わりはなく、ただただ同じ「東京」の中で場所を少し移動しただけ、ぐらいの感覚に思えます。

「ここへ来ると『帰ってきたな』と思える場所」ってあると思うんですが、どうでしょうか? 今のわたしは新宿駅の小田急線ホーム、渋谷の東急本店前にそれを覚えます。遠くから帰ってきて、そのどちらかまで来るともう少しで家だなという心持ち、家の近所を広義の「家」とすると、その「玄関」に到着した安心感めいたもの。それを覚える地点がある場所が、広い意味で自宅と「同じ場所」として認識できる範囲な気がしています。

現住地から見た距離感覚を家に例えてみると、こんな感じです。
代々木上原:家
新宿、渋谷:家の玄関(ここから先はなんとなく「外」)

これは必ずしも自宅からの距離だけに応じて定まるものではなく、少なくともわたしの場合、普段あまり足が向かない小田急の西側や、千代田線なんかにはこうした「玄関」がありません。なので、下北沢から自宅へ帰ってくると「玄関」を通らず「勝手口」から帰ってきたような感覚も少し覚えたり覚えなかったりです。

こうした内と外の感覚とか、帰ってきたな感とか、そういったものも、この場所に半年住んでようやく覚えつつあるなというか、わたしの中で最近しみじみ「自分の拠点が上原にあること」が体に馴染んできたなと思えるようになっています。

自分の生活と、それを行うフィールドとしての街との位置関係、それと自分の中の感覚のマッピング、これを日々繰り返し行っていきながら、場所と自分の距離感をこれからも磨いて行きたいと思いますし、その先に見えるものを見てみたいなとも、日々思うところなのでした。

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