死んだ町並み 如何にして日本の町は没個性的になったのか

 みんな、知っている大きなチェーン店が地方都市の道の端に並んでいる。みんな、知っている店、飲食店、スーパー、どこにでもあるそんなものが並ぶ。そして、それ以外を占めるなんら文化を感じない現代建築の町並み。ベットタウンと人々が呼ぶその町では、市民たちは、遊びに行くときは、いつも、都会の町へでかける。都会はそのどこにでもあるチェーン店が凝縮している。でも、都会がそれを都会たらしめるのは、その街にしかないものが、たくさんあるから。東京なんかを行けば、いろんな町に個性を感じる。

 私の住んでいる町も、町にしかなかったはずのものが、どんどん、グローバルで大きなものに侵食されていく。一般庶民は、○○が来た! と喜ぶだろうが、私は、嬉しくもなんともない。大きな資本のあるつまらない没個性的なチェーン店は、客入りがそんなになくても、残る。だけど、町だけのものは、たくさんの人が来なくては残せない。だから、どんどん小さなものは大きなものに勝てなくなって消えていく。
 残ったあとにあるものは、どこにでもあるものが、残る町で、それは退屈でつまらない。その大きなものに、町特有のものを彷彿とさせるものは何一つないのである。
 だから、大人になったら、町から出ていく。面白くない町からは。町として残っている場所へ行きたい。ここは、この場所は生きているのだときっと、思える場所へ行きたい。だけど、ほとんどの町は死んでいく。
 再開発なんて溜ったもんじゃない。俺はこの町で生きていたい。楽しみたいんだ。そう、叫びたい。偽物のなにもありゃしない町に蔓延るニヒルなものから逃げ出したい。私は、「どこにでもいる町」に住みたいんじゃないんだ。「ここだけの町」に住みたいのだ。
 何が都会だ。何が退屈な町だ。

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