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人から喜ばれる存在になる #Week19


https://note.com/rara_lulala/n/na5eec089818f

先週末、大泣きで仕事を終え、週末に甥っ子からエネルギーをもらったり本を読んだりして自分を鼓舞して迎えた新年度。

人から喜ばれる存在になりたい


4月1日、プロジェクトは新体制になり、新しいメンバーが入ってきて、不安と緊張感の中、「できる」「ありがとう」と自分を鼓舞して、オンボーディング対応こなしていた。

4月2日。
業務後に、とある方の発信を聞いていて、「人から喜ばれる存在になりたい」というのが降ってきた。

直接の発信の主題ではなかったが、
「成功している人は相手がどうしたら気持ちよく過ごせるかを考えた言動をする。」
「不快な思いをしたら、黙って去るのが普通。注意なんかしてくれない。」
頭をハンマーで殴られたかのように、すごく考えさせられるものがあった。

私は、何をするにも、「私をみて」「私すごいでしょ」というのが根底にある。
仕事で色々気配りするのも、私ちゃんとしてますアピールな気がする、と思って愕然とした。

「人から喜ばれるにはどうしたらいいかな」と考えることはあるのだけど、結局は自己満足で、相手に喜んでもらえなかったら自分が傷つくから、相手のことを考えてきたのだと思う。

今までの人生で、ピュアに人にのためを思った行動をしたことがあったか、と愕然とする気持ちで振り返りつつ、でもでも、根底には人への優しい気持ちもあるんだよね、小さい頃わかってもらえなくて悲しかったな、と思っちゃったりもして、複雑な気持ちで涙が止まらなかった。

「他人を気にして自分の人生を生きられないなんてもったいない」
「自分が大事」
それは確かにそうだけど、これまでの、今の私の生き方は、これらの類の言葉を言い訳に大切なことを見落としてる気がする。
(うまく表現する言葉が見つからない)

最近は、「私自我が強いから」「私変わっているから」と強がっていたけど、自分が馬鹿にされないための守りばかり。
一度だって人に心から感謝して貢献しようと思ったことがあったかな。

思えば、これまでの人生で出会った方、みんなたくさん優しくしてくれた、気にかけてくれた、声をかけてくれた。
それなのに私はいつも「自分」「自分」で人から喜ばれることが全然できていなかった。

自分のステージが変わることで、自然に人間関係が変わっていくのはいいことだと思う。
今まで、人がそういうのを聞いて、「そういうものだ」と納得して、いや強がっていたけど、率直に、私の周りからは人が去っていっているような気がした。これじゃあ結婚もできるわけがないと思った。

私の父は、人が嫌がることをして喜ぶような癖がある。人を喜ばせるのと真逆だ。
そんな父の、長女としてもっとも被害を受けて育った私は、「人の嫌がることをして人の優位に立つことで気持ちよくなれる」みたいな感覚を幼少期に持ったことがある。
父に理不尽なことや嫌なことをされ、悔しくて悲しくて辛かった気持ち・・・
当時「自分はそうならない」と唇を噛み締めながら思ったし、大人になってから父が健全でないこと、同じような態度で人に接すると、後から自分が悲しむことになると知って、なおそうと努力してきてだいぶマシになってきたけど、まだまだ悪い癖が出てしまうこともある。
両親がちゃんとした心の育成をしてくれたら・・・
⇄いつまで両親のせいにしているんだ・・・
いろんな気持ちが溢れでた。

結局私は臆病で自己正当化ばかりするくれくれ星人だった気がする。

必死に生きてきたこと自分を認めたい気持ちと、何してたんだろうという愕然とした気持ち。
わあわあ涙が止まらなかった。

るららちゃんがいて良かったと言われるような人になりたい、と思った。

言葉に気をつけよう

もう一つの気づきは「言葉に気をつけよう」だ。

3月末から上司の接し方のギアが変わり、厳しいレビューを受けることが多くなり、悩んでいたところ、4月1日に、上司がプロジェクトとは別の勉強会に誘ってくれて、入ることになった。

誘っていただけたことが、本当はすごく嬉しかったし、厳しい指導が愛の鞭であることもわかり安心したのも本心だった。

それなのに別の人に「忙しいのに仕方なく勉強会に入った・・・」みたいな愚痴っぽい言い方をしてしまった。
こう言うのも昔からの悪い癖で、マウンティングの一種だと思っている。
「私は誘われるような人なんだ」と暗に言いたかったり、相手に慰められたり心配されたりすることが嬉しくて、ついついネガティブワードを発してしまう。自分が注目されていることが嬉しいというか・・・

でも、ネガティブなことを発する人のところに人が集まるだろうか。

言葉には言霊がある。思ってもないことを言うのは本当にやめようと思って、後からすごく後悔した。
もうしないと反省した。

頑張りどきだよ、自分

そんなこんなで、
自分が不甲斐なくて、悲しくて、でも、私は本当はすごく優しいし頑張り屋さんだし、ただ一生懸命行きたいだけなのにみたいな自分を抱きしめたい気持ちでひとしきり泣いた。

少し落ち着いたあと、
このプロジェクトの主担当は私だ。
私がやらなくてどうする、私ならできる。

等身大の自分でできないことは学んでいけばいいだけだ、と思った。

そこでふと、
嫌味ばかり言ってきて、自分の担当業務を期限ギリギリまでせず、会議で私を刺してくる同僚と、一緒に働きたくない。自分の仕事に集中したい。とピュアに思い、上司に翌日(!)申し出たのだ。
(3月末の大泣きレビュー事件の後には「彼にも感謝する。彼を悪者にして自分を正当化しない」と一度決めたのだけど)

約1ヶ月前のフィードバックでは「難しい人なのはわかるけど、るららさんから巻き込んで協力体制を作りなさい」と言われていたし、"共創"ができないと叱られないか、賭けだった。

結果、上司も「ここ最近の彼はひどいと思っていた。るららさんの言うことはわかる。プロジェクトからのリリースの判断にはもう少し待って欲しいけど、とりあえず基本的にパラで動けるように調整しよう」と、担当範囲を分けてもらえることに。
30分後には、本人を含めチーム全員に周知されるという動きの速さ。

上司が私を大切にしてくれ、私が働きやすい環境を整えてくれたのが嬉しかったし、ピュアな願いを率直に伝えれば、周りに伝わるんだなと実感した。
仕事に集中しよう!

そして、チームの歓送迎会中、上司と1on1状態になり、いろいろとアドバイスをいただけた。
毎日厳しいお言葉をいただきながらも、期待していただけていることがわかった。
「これをやりたいと言うことを見つけてほしい」「自分を隠している感じがする。もっと自分が正しいと思うことを表現していいんだよ」とも、言っていただけた。
大切にしていただけていることが嬉しかった。

「るららさんと出会って良かった」と思われる存在に、仕事でも、それ以外でも、なりたい、と改めて思った。

「作業者」としては、文句ないレベルに到達している。ここから「コンサルタント」になれるかどうか。
タスクとして落ちているものを拾っていくことは完璧で、「主体的に動く」ことはできていても、「主体的に考える」ことができない・・・(しようとしているのにできない)

仕事の壁にぶち当たったことで、生き方の面でもいろいろと見直しができている。
正念場だな〜と思うと胃が痛くなるけれど、せっかくの居場所を大切にして、成長していきたい。


なんだか思い日記になったけど、今週は待望のソファが我が家に届きました!これでうたた寝をせず、読書や映画鑑賞を楽しみます!!




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