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"そういえば現地の大学でインドネシア語勉強していた"な話。

8か月ほど、インドネシアに住んだことがある。28歳、思わぬ形で「イスラム教圏に住んでみたい」夢が叶った8か月だった。

昨日きたメッセージ、思い出した日々

ー「元気?インドネシアにいたころ、インドネシア語を勉強するために大学に通ってたのよね?どうやって申請したの?」

インドネシア時代お世話になったカウンターパートからのメッセージだ。ほんの数秒前まで忘れていたけど…、確かにインドネシア大学のBIBA(外国人留学生向けインドネシア語コース)プライベートレッスンを2ヵ月間受講していた。

滞在先がDepokのインドネシア大学すぐ近くだったこともあり、BIPAで勉強できればベストだと派遣当初から考えていた。日本語での授業へのこだわりはなく、直接教授法+英語で十分。何より先生の質を重視していたからだ。

とはいえ、悲しいことに日中の正規BIPAコースの情報しか見つからず・・・

人と知り合うって大事だな、を感じた日

日中の授業はまず無理だ。そうなると、ジャカルタの語学学校で夜のクラスか土日のクラスに参加してみるか、と考えていた。

そんな時、たまたま知り合った同じアパートのBIPA生がコースメートの集まりに呼んでくれた。

最初こそ「この人は誰?」状態だったが、「私もこのアパートに住んでて今日は○○に誘われた。BIPA生ではないが最近日本からインドネシアに来た」で押し通し通す。今振り帰っても、色々な国籍の人がいる中でなかなかメンタル強かったな。

その後のインドネシア生活を楽しくしてくれる友達に出会ったので、結果オーライ。(最低限なんちゃって英語が話せて良かったと心から思った)

それだけじゃない。集まりで「インドネシア語勉強したいんだけど、BIPAは日中だから無理なんだよね」と何気なく言ったところ、
「授業は13:00には終わるんだけど、授業後BIPAプライベートレッスンを1~2コマとってる人が多いよ。仕事後の時間も対応してくれるかもだから、このメールに問い合わせてみなよ」
BIPAのウェブサイトを読み込んでいたにも関わらず、全く知らなかった情報を教えてくれた。

インドネシア大学駅

とにかくすぐ動く。その理由は?

翌日にはメールを送り、一週間以内には申し込みを完了させた。
提出書類はパスポートとVISAとKITASのコピー、学費を振り込んだ証明書、申込書くらいだったと思う。事前でメールで週2回17:00~19:00、10回分の授業を交渉しOKを貰っていたので、BIPA事務所での申し込みはスムーズだった。(※KITASは現在撤廃)

これまでの前任者で学校にしかも大学に通っていた人はいないようで「会話の中で覚えればいいでしょ」とよく言われた。たくさん話せば覚える、と。

私は当時28歳。それを達成するには自分に厳しいタイプではないと成功しないことを知っていたし、私は"今日は疲れた"と言い訳して先延ばしするタイプであることも知っていた。

インドネシア大学 図書館前の木

「外国人だから分からない、エヘヘ」「インドネシア語分からない」で済ますことができることは分かっていた。それじゃいつまでたっても外国人である自分はよそ者だ。自ら歩み寄ることはできない。

また、多感な高校生に日本語を教える中で、私自身も同じ土俵に立ち、インドネシア語ゼロだった外国人がどこまでできるようになるか見せたい気持ちもあった。

最後に、少し冷たい自分に気づいた

私はたまたまインドネシア大学で勉強することができた。もしそれが叶わなかったら?きっとジャカルタまで行ってただろうし、学校に通うのが大変になったらその後はコネやfacebookを使い先生を探していたはずだ。

今回貰ったメッセージは、カウンターパートの友達の外国人がインドネシア語を勉強したい、どうやって大学に入ったか教えて、ということだった。

BIPAのサイト、TUTORのサイト、Facebookで募ってみる案、ジャカルタの語学学校、BIPAには直接メールで聞いてみた方が良い、など色々とアドバイスを送った。

少し冷たいけど「これ以上は自分で問い合わせてって言ってね」と付け加えて、メッセージを終わりにすると「彼女はまだインドネシアに来たばかりだから」と返事が返ってきた。

それを見て、英語が使えてネットに繋がる環境なら自分でできるはず、と少し冷ややかな自分がいた。私の悪い面でもある。でもこれ以上見知らぬ人に時間を割いて調べてあげる必要もない、と割り切ることにした。
そして、この冷たさは”自分が動いてきたから”生まれた感情なのかもしれない、と自分を納得させることにした。

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