日記20200610(地元の友人)

地元の友人が、地元のライブハウスの閉店をインスタで惜しんでいた。

「我らの青春、ヒューマンステージがなくなるそう。(中略)ハイボール片手に思い出に浸るおじさん」

彼の青春のライブハウス、ヒューマンステージとやらに俺は行ったことがない。ラジオCMでしか馴染みがないんだよな、アジカンやブラフマン、エルレガーデンなどが来るライブハウスとして認識するのみ。那覇からは少し遠かったので、高校生までの僕には縁がなかった。那覇だって僕の住んでいた豊見城からは距離がある。

数少ない友人のなかでも、その地元の友人に対しての執着は並々ならぬものがあるので、彼の青春のライブハウスに僕が一度も行ったことがないというのは、かなりショックだった。彼の青春の数ページに、僕はまったく登場しないのだ、と改めて知らされるとたじろぐ。もちろん、上京後の僕の青春の数ページにも彼は登場しないわけだけれど、そこには非対称性があると感じてしまう。

SNSで沖縄の友人の動向を見るにつけ、ヘタに上京するよりも、沖縄に居続けたほうが、爽やかに生きられたんじゃないかと思ってしまう。

地元の専門学校に行った彼のことを僕は、別世界の人間だと思っていた。専門学校は課題も多く、モラトリアムとは程遠い生活のようだった。彼の学校生活の話を聞くたび、自由な時間の少ない彼のことを少し不憫に思っていたと記憶する。

しかし彼は専門学校で身につけた知識と経験を携えて、父親の経営するバイク屋で働いた。高校生の時に始めたバンド活動も、付合うメンバーは変えつつも、ずっと続けている。父親が倒れてからは、ほとんどひとりで店をやりくりしている三十路の彼は、たしかに紛れもなく「おじさん」だ。その自己認識にたどり着いてしまった彼が頼もしく思える。きっと彼は自虐的な気分で「おじさん」を自称しているのだけれど、いまどき30歳になったばかりの自分を「おじさん」って言っちゃえる人、そんなに多くはないだろう。

客観的に見れば、結婚して子供を育ててる僕だって成熟しているのだろうけど、彼の成熟とは全然違うんだよな。僕も早く「おじさん」になりたいよ。体型と生活習慣ばかり「おじさん」のそれになってる。

ここまで書いてふと思ってけれど、ふつうは、こんな気持になった瞬間に、その彼に連絡してしまうんじゃないか。「おじさんとか言って気が早えよ」なんてLINEして始まる会話を大切にしたほうがいい気がする。30代は赤裸々に人と会話しなくちゃ、前に進めない。足踏みの数だけ体が重くなる。

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