とある島での12日ミリタリーライフメモ

はじめに

僕はすこし前に、国民の義務を完遂してきた。男子ならば基本全員避けては通れぬ道、軍に入ることだ。
義務役の服役期間は2種類あり、何もなければ基本4ヶ月兵士となり生活することになるのだが、家庭的事情や身体能力の不足や障害などで、これが免除されたり期間が12日に短縮されたりする。僕はガリガリオタクだったので12日間だけのミリタリーライフを、お世辞にも楽しんだとは言えないがなんとか無事に終えることが出来たので、その間に見聞きしたことを法に触れない程度に記録しておこうと思っている。特定につながりそうな情報はなるべく控えたつもりだが、おそらくやろうと思えば出来るはずなので、その辺はなるべくしない方向でお願い申し上げたい。
自分で言うのもなんだが、かなり珍しい体験をしたと思う。
機密保持のためところどころぼんやりした記述になると思うが、あしからず。
気になる箇所や詳しく知りたい方はTwitterなどでご連絡を。できる範囲内で答えます。

0日目

シャバにいる最後の日。
翌日は8時集合で、当日及びその前の2日間で計2回の抗原検査で陰性の結果が出ていなければ自宅待機、召集も延期となり次の召集までまた家でゴロゴロするハメになるところだったが、これは無事クリアし不安を胸に就寝。

必需品は

  • 召集令状

  • 抗原検査陰性の写真と当日の日付付きのサイン

  • 印鑑

  • 通帳のコピー

  • 現金

  • 身分証明書 など

とのこと。
そのほか準備した物はスマホ、充電器、バッグ、ペン、水筒、着替え1式、タオル1枚、小説1冊。令状には「個人的持ち物はなるべく少ない方がよい。必要なものは到着後買い足すことができる」とあるが、今思えば明らかに準備不足である。なぜならば、一番重要な物「腕時計」が令状の説明に入っていないのである。しかも腕時計は(おそらく)軍営内では購入することが出来ない。ほかはともかく腕時計だけは持ち込んだ方がいいだろう。ちなみに、通信機能を持つもの(林檎製品とか)は使用できない。

1日目

1日目の前半はまだ手帳を入手する前なので、記憶による記録となる。時系列が前後したり正確性が曖昧になる可能性がある。
いや、手帳を手に入れたあとの出来事もすべて記録しているわけではないし、気のままに書いた文書が殆どなので、支離滅裂だったり、前後が矛盾していても大目に見てもらいたい。

朝の6時ほどに起床しシャワーを浴び、申し訳程度のカロリーを摂取し集合場所へ赴く。既に人がちらほら居て、前もって坊主にしてきた人も多い。
役所の職員さんたちの指示に従いその場で戸籍地別で列に並び、しばらくすると出発し電車に乗った。それからさらにしばらくすると新兵訓練センターに到着した。

到着すると何も分からぬまま号令に従い歩き回ることになる。中学の時からさんざん聞かされていた号令はなんとここで伏線回収されるのだ。中学生に軍事的教育をしているのか、はたまた中学生に使うような号令をそのまま軍隊でも使われているのか、どっちにしろちょっとだけ嫌な気分になった。受け入れ人数の都合で、ああでもないこうでもないと中間管理職となる班長たちが人数を合わせているのか、少し歩き回ってから停止した。
約150人が複数の列をなし、知る由も無いがこれから2週間弱お世話になる建物の前で待機している。この場所が「連隊集合場」である。
列は背の順で右から(班長から見て左から)並んでいる。当然この時はまだ知る由も無いが、最先頭に並んでしまうと仕事が増えるので、身長が高い者は多少サバを読み2番目や3番目に並ぶとよい。この日は腹が立つほどのいい日だったのでこの時点で相当汗をかいている。僕はジャケットを羽織っていたので尚更である。
列の形が定まるとイス(風呂場で使う感じのプラスチック製のやつ)が配られる。勿論座るためにあるが、これからあちこちへと移動するので、自分のポジションを見失わないためでもある。
班長の言う通り番号を言うと、その番号がこれから自分の名の代わりになる。雑兵に名前はなく代わりに番号があてがわれるのだ。
番号が決まると、まずその場に荷物を置き、支給品をもらうことになった。なお、支給品の中には持って帰れるもの(下着や靴下など)と、最後に返却しなければならないもの(軍靴、消毒用アルコール瓶など)があり、無くさない、壊さないようにと念を押される。
各支給品を貰うため集合場から移動し、1つもらってはまた集合場に戻って指示を待つ。下のリストがこの時点で貰ったもので、これらと持ち込んだ荷物を全部寝室まで運ぶことになる。この時点で既に、物品の携帯力が厳しく問われることは想像に難くないだろう。イスは解散するとき集合場前の置き場にもどし、集合する度各自手に取る。
以下が初日に支給されたもののリストである。

  • 水筒

  • 軍靴

  • スニーカー

  • 迷彩服2セット

  • キャップ

  • 下着×2

  • 靴下×2

  • 運動用ズボン×2

  • 迷彩シャツ×2

  • タオル

  • 資料袋

  • 食器セット(箸は初日だけ)

  • 消毒用アルコール瓶

  • マスク2週間分

  • 木製の下敷き

    寝室で支給されたもの:

  • 寝具一式(枕、布団、蚊帳、マットレス。全てベッドに置いてある)

  • Sベルト(水筒を携帯することが出来るベルト)

  • ヘルメット(12日の雑兵は触ることすらない)

  • 洗面器

  • コップ

寝室に入ると、1人1人に寝る場所とクローゼットがあてがわれる。ベッドは4つ1セットで、カプセルホテルに近い。振動はものすごくよく伝わり、上で寝る人は実質海兵の訓練もしているといっても過言ではない。僕が寝てる寝室は確か約50人弱がギッチギチに詰め込まれていたはず。
ベッドの下は靴板と呼ばれるものがあり、前に引っ張る取っ手がついている木の板で、引っ張ってみると洗面器とコップが乗っている。後ろのスペースはその名の通り靴を上に載せるためのもの。その順番も決まっており軍靴→スニーカー→スリッパ(別売り)の順で、同じ方向に向けて並ばないと怒られる。なお夜間(22時以降)はトイレに行きやすいようスリッパだけ外に出して並ぶ。スリッパは床のタイルの線に合わせて並ばないと怒られる。タイル使うな。アホ。

クローゼットは1人あたり0.5つ割り振られる。左半分、右半分がそれぞれ違う人が使用するからである。クローゼットは約2メートルの高さで、広さはおそらく30cm×30cm辺りではないかと。(もうちょっと大きかったかも)
クローゼットの上にはヘルメットが置かれており(繰り返しになるが12日だけの雑兵は触ることすらない)、水筒とSベルトのセットもこのヘルメットを取り囲むように置く。
クローゼットは上層・中層・下層とあり、上層はキャップや雑物入れで、一番手前にティッシュペーパーを置くことで見た目を綺麗にすることを推奨される。
中層はハンガーをかける竿、衣服を吊るすスペース、下層との区切りがある。この区切りにシャツ、ズボンを置くことが出来るらしい。「らしい」というのは、なんとクローゼットには区切りが無いものもあり、僕が使ってたのはまさにそれで、中層がないので当然中層には何も置けないのである。中層が無いものはどうすればいいかと訊けば、「自分でなんとかしろ」と答えられる。
下層はそのほかの物入れで、主にボディーソープなどの物を置いたりする。
私物はクローゼットには入れられず、ベッドの下、つまり見えないところに置かなければならない。取り出すのも一苦労なので、これから使うであろうものは先持って取り出しておいたほうがいい。
なお、これらのルールは人によっては知らせてくれなかったり、一回怒られてからルールを教えてくれることもある。理不尽である。不幸中の幸いというべきかルール違反で怒られるのは2~3日目から。

ベッドの上を見れば綺麗に畳まれた蚊帳と布団、その手前にSベルトが置かれている。この蚊帳と布団は毎日の起床後この形に畳んで置いておく必要がある。しないと怒られる。Sベルトの方はクローゼットの上に置くのが基本。Sベルトは水筒と合体することが出来、これが無ければ水筒を携帯するのが非常にめんどくさくなる。
補足しておくが、この蚊帳というのは実に巧くデザインされたもので、綺麗に畳むためには最低2人で協力しなければならない(1人で出来なくもないが、非常に面倒くさい)。なので、嫌でも同期と仲が良くなるのだ。
ちなみに12日だけの雑兵は実際やることがなく、蚊帳と布団を畳むスキルだけが上手くなる。

寝室で一旦荷物を置くと、今度は服を着替え食器を持って集合することになる。当然1日3食の時間は定められているので、初日でもしっかりと定刻通り食事することになる。メシはまずいが、満腹になるまでいくらでも食べてよい。ちゃんと食ってから食堂を離れるようくぎを刺されるが、あまりゆっくり食べてると人の迷惑になるのでペース配分に注意を払う必要がある。

坊主頭以外のものは初日で散髪することになる。料金は自腹。

午後になると生協めいたコンビニもどきのところに連れていかれる。ここで買うべきもの、買った方がいいもの、買わなくてもいいが買ってもいいものの説明をされる。実際に12日過ごしてみると完璧に説明通りではないので、個人的に重要度を並び替えてみた。そのリストは以下の通りである。

買うべきもの(つまり必需品)

  • スリッパ

  • ペン(持っていなければ)

  • 識別証入れ

  • 箸(支給された箸が回収されるので)

  • ティッシュペーパー

  • 歯ブラシと歯磨き粉

  • ボディーソープ

無くてもいいが、個人的には買った/持ち込んだ方がいいと思うもの

  • 小銭(自販機でめっちゃ使う)

  • 手帳(暇つぶしになる。ポケットに入るサイズが使いやすい)

  • 蚊よけスプレー(夜の自由時間で役に立つ。他人から借りれないことも無いが、持ち込むと便利)

買った方がいいと言われたが、結局無くてもよかったもの

  • 靴墨(靴を磨く用だが、ウェットティッシュがあればそれでごまかすことも出来、最悪人から借りればいい)

  • 爪切り(人から借りればいい。そもそも入る前に切っておけばいい)

  • カミソリ(爪切りと同じ。そもそも食事の時以外マスクをしている。あと単価が相対的に高い。剃りたい人は持ち込んだ方がいいだろう)

  • ハンガー(隣の人、つまりクローゼットを共有する人と共有すればいい。1セットで物足りるので、2人とも買う必要はない)

  • シャーペン(メモや数独で使ったが、数独をやる予定がない人はペンがあれば十分だと思う)

1日目は貰った資料袋に入ってる書類に記入したり、必需品をそろえたりしてたら終わった。半日だからそんなものだろう。
夕食とショッピングの時間が終わるとシャワー、そのあとは就寝。消灯時間は21時で、起床時間は5時半。集合時間は日によって違うが40分~50分辺りが殆ど。
1日目の終わり。プログレスバーで言うと8.3%ほどが終わった。先が長い。

2日目

あ〃
一面のクソミドリ

手帳・2日目より

起床。2日目の朝。
布団を畳み、蚊帳も畳み、それぞれ定位置に置き、着替えて、食器を持って集合場へと赴く。
この日のことはあまり覚えていないが、おそらくかなりの虚無だったはず。昨日書き終えられなかった書類の記入や、基本ルールの説明(布団の畳み方など)に時間は費やされたと思われる。
これもあやふやだが恐らくこの日から自販機が解禁されたはず。ここにいれば当然、デリバリーもなければ飲み物屋さんも無い(すぐそこにない、という意味)ので、水以外の飲み物は限られた休憩時間内に自販機に対価を払い好きなドリンクを手に入れるしかない。バリエーションはすごくあるというレベルではないが、そこそこある。シャバと比べると物価もちょっとだけ安い。基本的に苦しく退屈なミリタリーライフだが、自販機という文明のファウンテンは一時的ながらも著しくQoLを上昇させられる。両替してくれる人はいないので、小銭は多めに持ち込むべき。(札を扱う自販機もあるが、当然みなそこで両替をするので、すぐ小銭切れになる)
なお、休憩時間は自販機でドリンク休憩のほかに、タバコ休憩も認められている。少し離れたところでケムリを出し続けている人たちがいる。

1日目購買で手に入れた手帳を僕は常に持ち運んでおり、普段考えたことをすぐTwitterに乗せることが脊髄反射レべルで染みついている僕だが、スマホが自由に使えない軍の中では、ツイートたちのなれの果てをインターネットに流す代わりに手帳にしたためるのだ。それとは別で、そもそもツイートするつもりもない自分との会話も含まれている。

今思えばこの日は波乱の前触れだった。休憩時間の寝室で隣兵(番号が隣り合わせのものをこう呼ぶ。番号が近いから自然とコミュニケーションする機会も多くなる)たちと雑談していると、「○○連隊××番、××番、至急班長のところに来い」突如アナウンスで名指しで呼び出される。何事かと思い、怯えながらも(呼び出されると怒られることを恐れずにはいられない、精神年齢がガキなので)、命令には逆らえない故急ぎ足で向かうと、「父さんとは一緒に住んでるのか」と聞かれた。
突拍子もない質問に「あれ?なんで急にこんなこと聞くんだ?」と疑問に思いながらも(そしてどもりながらも)「一緒に住んでいますが」と答える。すると
「あんたのお父さん、感染したから、接触していれば隔離しなきゃなんねぇんだ。分かってると思うがあんたも陽性だったら7日間隔離、12日の三分の一を超えるから今回は無効で、また次12日間訓練を受けることになる。上にもう一度確認しておくが、そこんところ理解してくれ」

何も考えられなくなった。1日と半日しか過ぎてないのに、また最初からやり直しになるかもしれないというフラストレーションの影に思考は曇る。父と母は大丈夫だろうか?そういえば1日目の出発前何回も体温を測られたがあれはシャワー後で体温が高かったのではなく本当に熱が出ていたのか?心なしかめまいがしてきた気もする。この時の脳はこのようなことしか考えられなかった。
しかし僕の思慮の機微に気を遣うはずもなく、班長は言う。「寝具一式、着替え、靴…あと洗面器とかもまとめて持ってこい。今日は隔離棟で1泊してもらうが、検査で陰性が出ればまた戻れる」僕は指示に従い、寝室に戻った。本当に感染してしまっていたら周りのものたちも隔離ひいてはやり直しになるのか、そんなことになったら申し訳なくて死にたくなっちまうななどと考えながら荷物をまとめはじめた。
この班長は普段不愛想な人で、僕が所属する連隊のセンパイやほかの班長さんたちと比べると相対的に高圧的だったが、この時だけは気の毒そうに僕に状況説明をしていた。

荷物をまとめてしばらく待つと、センパイが1人やって来て、ついてこいと言われた。そのままついて行くと隔離棟の3階にある寝室に着いた。
当然ながら普通の寝室とは打って変わってがらんとしている。4人分1セットの寝床が4~5つ、使い物になるのかも怪しい、状態の悪いクローゼットが人数分あり、申し訳程度の扇風機と動かないエアコンと、ここを不法占拠している黒猫1匹を除けば何もない。
トイレやシャワー、給水以外の外出は当然認められておらず、指示があるまでこの寝室から出られない。孤独のまま虚無の数時間を過ごすことになってからバッグに入っている小説ももってこればよかったと後悔する。ちなみに僕が持ち込んだ小説は泡坂妻夫著《生者と死者 酩探偵ヨギ・ガンジーの透視術》である。これがまた実に破天荒で面白い作品で、読んだことが無い人間におすすめします。作品の性質上古本ではなく必ず新品をご購入ください。

虚無との戦い方を吟味する暇もなく、やってきたセンパイ(僕をここまで案内してくれた人)が話しかけてくる。最初は軽くジャブから、職業や学歴などの話で距離を測り、そこから趣味に方向転換し、就寝時間まで漫画、アニメ、ゲーム、音楽の話で花を咲かせた。センパイともなると(確かこの人は上等兵だったはず)スマホの自由使用も認められるので、センパイはYoutubeであるロックバンドのMVを紹介してくれて、僕はあるステルスメジャーミュージシャンのMVを紹介してあげた。話相手がいれば時間が過ぎるのも早く、あっというまに消灯時間になり、センパイと別れ、僕はひとり暗闇へと漕ぎだした。物理的、心理的疲れがあったからか、父と母の身を案じながらも意外とすんなり意識を失うことが出来た。
この日の精神的しんどさも初日とはいい勝負だった。
2日目終わり。

3日目

「思い出す」時、走り書きになってしまいがち。
Fleeting memoriesは、逃げ出すよりも早く、インクで形に留めなきゃならないからか。

手帳・3日目より

アラームもなし、起床のアナウンスも届かない隔離棟で一夜を過ごした僕だが、心配とはよそに普通に起床時間の前に起きれたようだ。言われたとおりに正装に着替えて待っていると、虚無のまま数十分が経って朝食が送られてきた。(体感時間なのでもっと短かったのかもしれない)食欲もあまりなく、加えて好きなタイプの朝食ではなかったので、申し訳程度につまんでその場に置いた。それを給食担当が回収した。さらに虚無のまま数十分が経つ。
班長の一人がやってきて、「なぜそんなかっこうをしている」という。「いや、センパイに言われた通りに着ただけです」と答えると、「軽装に着替えてくれ」とのこと。その場で着替えて、班長についていくように言われたので、隔離棟をあとにした。
するとしばらく歩行して、体育館らしいが扉が無くオープンな場所にたどり着いた。既に連隊全体がそこに居て、僕は若干離れたところで座るように指示された。後ろを見てみると、隣兵も居て、手を振ってくれた。
ここで何をするのかというと、抗原検査だ。どうやらわずか12日の期間中でも、3日目と7日目それぞれ1回、合わせて2回の検査が行われるらしい。当然だがここで陽性が出れば隣兵ともども即隔離、ワクチンの接種回数によっては即退去もありうる。おそろしい。検査結果が出るまでの15分が永遠に続くかのように思えた。もしここで2本線が見えることになれば、何人が僕の巻き添えになるのだろう?謝るというのも変な話だがせめて僕を恨まないでいただきないなと、この時僕は考えていた。
肝心の検査の過程は何一つ面白くなかったので飛ばすが、僕の検査キットは淡々と陰性の結果を出し、「じゃあ寝室に戻って荷物をもってこい」と班長に言われ、隔離棟に持って行ったすべての持ち物をもとの寝室にもどした。無駄な労力に腹を立てる余裕もない。セーフだったという事実による安堵のほうが大きかったからだ。

大がかりな運搬作業で息を荒くした僕に投げられた質問は多かった。「どこ行ってたんだ?」「感染してたのか?」「もう退去させられたのかと思った」などと、確かに説明する暇もなかったが班長たちも説明はしなかったのかと、当時はツッコミを入れる余裕もなくただ質問に正直に答えていた。とりあえず僕も周りの人間たちも何事もなく僕の短い隔離生活が終わったことを素直に喜んでいた。

この日は隔離棟から戻った僕と連隊の行動がバラバラになり、ほかにやることもなさそうで、とりあえずミシンのばあさんの手伝いをしろと指示される。ミシンのばあさんはなぜここにいるかというと、制服に番号札を縫い付ける仕事があるからだ。1人2セットで計4着、それを人数分、計算しやすいように150とすれば600着の制服に番号札を縫い付けるのが、このばあさんがここにいる理由で、僕がこれから手伝う仕事である。
ばあさんの指示通りに制服と番号札を良い感じに置くだけとはいえ、600着もあるとなればかなりの重労働で、ちょうどその場に居合わせたもう一人の手持ち無沙汰の誰かさんがいなかったら僕の腕に確実に物理的ダメージが入っていただろう。この労働は数時間続き、別の仕事から帰ってきた見覚えのある面々、隣兵3人がやってきた時点ではおよそ半分が終わっていた。既に腰と10本の指が喧しく救援要請を出している。
そのあと仕事もしばらく続き、昼食の時間はとうに過ぎ、給食が届けられた数分後やっとすべての制服の縫い付けが終わり、僕たちはばあさんとアイサツを交わし、食事を終え、仕事場を後にした。

寝室で休憩していると、「Androidのスマホ使うやつは集合ってよ」と言われ、指定された部屋へ行くと班長が説明をする。
「これからお前らのスマホに軍の管制アプリを入れる。これを入れてなきゃスマホは使えねえ。管制とは言っても監視はしねえ。カメラ、Bluetooth、GPSを無効化するだけだ。訓練期間が終わればちゃんとアンインストールもしておくから、危害はない。インストールするかはお前らの自由だ。ただ事前も言った通り、〇国産のスマホは使えない。」ここで補足しておくが、持ち込んだ通信機能付きの機器などは初日、集中保管棚に入れられ、そのカギを各自保管することになるのだ。指定された時間になると使用することもできる。
インターネットから切り離されて数日、僕は当然インストールすることにした。しかし今回入った人間全員のスマホに管制アプリがインストールされるまでは使用できないとのこと。
「分かってると思うが、」班長は付け加える、「今はまだインストールされてないが、絶対にカメラで写真は撮るなよ。マジで掴まるからな。」
インストールするだけかと思えば、かなりの面倒くささらしく、目がシャバシャバするほどエアコン部屋で待機するハメになった。順番待ちの時間が暇で思い思いのインターネット・スニーキングが部屋中で行われていた。それを見かねてか、班長よりえらそうな男がやってきて、厳しめに先ほど班長が言ったことを言い直した。詳しい内容は覚えていない。
時間が経過する。
しばらくすれば管制アプリがのインストールが終わり、解散となった。

この日、隣のやつと雑談し、「たまにゲームの録画にホモビデオの音声をはっつけてインターネットに投稿している」というような説明を彼にした。彼は言葉自体は理解できてもとてもその文脈は理解できなかった様子だった。至極当然の反応である。

3日目の夜、異常なまでの疲労を抱えて僕は闇に沈んだ。

4日目

四日目になった。いつものことだが時が流れる速度が遅く感じる。いつもの渡しならすでに見ようとする(しかし全部は見れない)配信を幾つかも開き、無為に時間を費やしてたんだろうが・・・無為の方が矢張り、楽。

手帳・4日目より

班長の話によると、この日は先日(2日目、もしくは3日目に行われていたと思われる)と同じ、なんちゃら軍団の求人プレゼンを聞く予定らしい。元より暇でしようがない12日だけの雑兵なので、エアコン部屋に座れる時点でかなりのアドである。しかしそれぞれの都合で4ヶ月ではなく、十分の一の12日だけ訓練を受けることにした人間たちなので、軍の求人に応じる奴は・・・・・・なんと数人かは居たのだ。全くの他人事なので、英語で言うとMore power to themだ。

この日は大雨だった。僕は運悪く雨に打たれびしょ濡れになったが、元々雨が好きなタチなのでテンションがそれなりに高くなった。びしょ濡れなのに。わしゃカエルか。

手帳を見ると、この日は推しの配信のことを考えて正気を保ったらしい。

夜時間になると、結婚休暇から帰ってきた隠された班長が満を持して登場。ユーモラスで下ネタ好き、フランクな態度は職業も性格も年齢もバラバラの男衆に大いにウケ、瞬く間に雑兵たちと打ち解けた。とても大声では言えないような話を大声でダベりまくった班長はとても輝いて見えた。最近Switchで出るはずだった話題の問題作の話もした。あの作品、ちゃんとSteamでリリースできたらいいね。
思えば確かはじめて飲酒運転の話をされたのもこの夜だったはず。なんでも軍人が飲酒運転や麻薬使用でしょっぴかれると刑罰が倍になるとのこと。召集令状に書いてある訓練期間は「最終日の24時」、つまり日付が変わるまでは厳密には軍人であると。しかし便宜上、12日目の午後には帰れるようになっているので(深夜0時にいきなり数百人を街中に放り出すわけにもいかないので、翌日の朝とかになる。しかしこれはこれで不満やら世論やらがよろしくないので、最終日の午後で解散というWIN-WINなやり方になっている)、法に触れるならちゃんと日付変わってから触れようなという話だった。班長の話では「してェー 飲酒運転してぇ~~~ってなっても、12時回ってからアクセル踏んでくれよ。捕まると罰が倍になるし、俺らも上にシバかれるからよ」とのこと。
班長の話は一段落し、まだ管制アプリのインストールが全部終わっていないので今日はまだ使えない、もうしばらく待ってくれと言われ、解散。

寝室に戻る途中、廊下で雨上がりの心地いい空気を肌に感じながら、夜風に揺れる鬱蒼とした木々を、ひいては夏の夜空に、僕は目線を泳がせた。

この日の夜は月が良く見えた。

淡いミルクティー色の一輪の月が、夏の夜、雨雲の昏い帷より姿をあらわにした。
正しく名月。あの色合いはかつて見たことのない、妖怪変化を想起させるような妖さをも持っていたかのように思えた。然して数十秒後には居なくなっていた。果たして彼の月は本当に怪異だったのだろうか・・・

手帳・4日目より

僕は絵はうまくなく、色彩感覚に関してもよくて人並みだ。しかしあの夜見た月はとても自分の眼で視ているという実感が湧かず、それほどに美しい月であった。僕だけではなく、ここにいる全員がカメラを使えないので、あの風景は本当にこの数分間だけ、記憶にしか残らない、宇宙の気まぐれな贈り物だと僕は悟った。

4日目の終わり。

5日目

5日目は対話のネタが切れ、眠るオリジナル・ニンジャの設定を使いニンスレSSを書いて1日を潰した。

手帳・6日目より

この一日は何ゆえかなんにもやることがなく、三食の時間を除けば一日中集合場でぼーっとするだけだった。僕はニューロン内でネオサイタマの喧騒を反響させて一日を終えた。

この日からスマホの使用、言い換えればインターネットが解禁された。僕は普段通りツイッターを見て、ツイートをした。動画などを大音量で流してはなんとなくまずい気がした(実際まずいらしく誰も動画を音を出して見ていなかった)ので、これじゃティーダのチンポで気持ちよくなれない、イヤホンを持ち込めばよかったとすこし後悔した。

どこに補足していいかは分からなかったから、この辺で一応書いておくが、1日目、2日目で支給されなかったベルトや番号札などはおそらく3~4日目辺りに支給されたと思われる。「正装に着替える」アクションのめんどくささが更に増した。このストーリーの進行に伴い徐々に操作が複雑になる感覚、Papers, Pleaseなどのプレイングにおいての複雑さを楽しむ作品を彷彿とさせるものがある。

6日目

嫌でも絆が芽生える仕組みの巧さ。生まれて初めて使う蚊帳
何故かずっと雑用とお片付けの日々。メシはマズイ。
扇風機がうるさすぎる。耳栓すら効かない…しかも耳栓の異物感で眠気が邪魔されてしまう。
雑兵は名の代わりに番号があてがわれる。物のマネジメントが上手くなった気がする。あと無理だと思ってた食べ物も意外と食えるものだなと。

手帳・6日目より

この日は、今まで、そしてこれが終わるまでの見聞を何処かに記録しようと決心した日である。
今日も暇で、そして己との対話のネタ切れをとうに迎えてしまっていた僕は、昨日花を咲かせた、まだインターネットにその名を知られていないニンジャの物語の設定を推敲した。ないスキルも駆使しオリジナル・ニンジャたちの設定と簡単なヴィジュアル・ラフを書いた。

余談だが、手帳の16日のエントリとエントリの間に、日付が記入されていない変態糞土方の「やったぜ。」がびっしりと写経されている。

5日目と変わりない暇すぎる1日である。

7日目

私はインターネットに一体何を求めているのだろうか
全てか いやが応でも押しの配信を視れば…インターネット最高ってなるだろうな

手帳・7日目より

この日はちゃんとした仕事があった。我ら機材班は班長について行き、倉庫からあらゆる物を持ち出しては数え、さらに機材の状態別で「良」「可」「不可」と仕分ける、いわば目録づくりの仕事だ。某日本楽器を棒で叩くビデオゲームを想起させる。
班長も含めて私以外の者はみなどこかこの仕事にうんざりしている様子。僕はこういった秩序を感じさせる単純作業は好きなのだが。
少し大き目な備品を数える時、「俺が『可』の個数を言うから、一人それを数えろ」と班長は言う。そしたらその役を担う兵はいい加減なもので、すぐ「お前はひっこめ。もっと頭の良い奴はいないか?」と言われ、手帳と筆記用具を常時携帯している僕は名乗り出、ペンで手帳に正の字を書くだけのちょろい仕事にありつけることが出来た。
我々雑兵より先に班長が限界を迎えたらしく、「もう今日はここで終わり!明日また続きやるぞ」と言われ、我々はいったん撤収し、その後食事の場へと移動した。

今日の昼食は今までのと比べるとびっくりするほどウマイ。料理長かわった?

手帳・7日目より

この日の昼飯は実際うまかった。未だになぜこの日だけやたらメシの質が高かったのか分からぬが、いい思い出にはなった。

スケジュールのトラブルか、7日目だと聞いていた一斉抗原検査は実施されなかった。

7日目の終わり。
ここにきて、すでに半分が過ぎたんだなと、僕は今更ながらもその事実をかみしめた。

8日目

事の始まりは8日目だった。
7日目に予定されていた一斉抗原検査はこの日実施され、連隊の雑兵全員が体育館らしき場所で集合し、はっくしゅんはっくしゅん言いながらサンプルを採取していた。他の者はあまり気にしてないが、僕はひそかに「もしや」を心配していた。実はおとっつぁんに伝染されていて、それが運よく3日目の検査では露わにならなかった・・・そんな心配は心の隅っこで燻っていて、この日やっと猫の入った箱が開かれる。
結果から言うと、陰性だった。
しかしめでたしめでたしを言うにはまだ早い。どうもその辺にいる雑兵らの結果が怪しい様子。4人ほど班長に指示され、少し離れた場所で再検査を行うことになった。

さらに時間が経過し、呼ばれた番号(およそ10数名)は別方向へと案内され、我々一般陰性モブ二等兵はごく普通に、回れ進めの号令とともに集合場に戻った。

今日のテストで陽性者が複数出、てんやわんやの一言。三時間?二時間?程ぼーっとしている。暇がすぎる。大塚製薬とこのオレンジソーダが結構ウマイ。調べるべし。

手帳・8日目より

班長もセンパイもみな大忙し。恐ろしいほど暇になった我ら雑兵は2、3時間ほど集合場でぼーっとしていると、1日が終わってしまった。しかし目付役がいないのをいいことに僕は気ままに(他人の邪魔にならない程度に)歌を歌った。もっと歌のレパートリーを増やしておくべきだったと少し後悔した。
歌のレパートリーの少なさを悔やみながらも、ここじゃ誰も歌詞(あれを歌詞と呼称していいのなら)の意味を理解できないので、動画が見れなければ私自身がティーダのチンポで気持ちよくなればよいではないかと気付き、控えめな音量で祈り子の夢とコネクトした。
余談だが、ここでメモを見て「大塚製薬 オレンジソーダ」で調べてみると、軍の自販機で買ったソーダと同じパッケージの製品は見当たらず、もしかしたらあれはココだけの地域特有のアイテムかもしれない。

班長の席、テーブルの上に置かれている小物がふと目に入った。その時の記録が以下の通りだ。

すみっコぐらしのゴミ入れ?紙入れ?が吸い殻入れとして使われているのを見て、何か冒涜的なものを感じた。ちいかわだったらいいけど

手帳・8日目より

この日は塵取りの取っ手の穴に蜂が入っていくのを見た。何をしているのかは分からぬが、翌日も蜂が取っ手のところに戻ってっ来るのを見た。蜂に詳しい人がいればぜひあいつは何をしていたのかについての知見を教えてもらいたい。

9日目

久々にミルクティーで気持ち良くなった。小銭も手に入って一戦二議席。

手帳・9日目より

血管にミルクティーが流れているのでどうしてもこれを記述する必要があると当時の僕は思っただろう。9日目はちょっとした運び屋的な仕事があてがわれ、そのあとは特に何事もなく終わった。

しいて言うなら、同じ班のヤツが体調が悪いかもしれないと言っていて(なんなら8日目からそのような話をしていたのかもしれない。手帳に記述が無いので、この辺の詳細は思い出せない)、何事かと問えばどうもめまいやら呼吸器の不快感があるらしく、タバコ吸い過ぎか?とのこと。当然何事もなければなにより、我々はタバコのやりすぎだなと納得し特に追求しなかった。
この人の話によると、体調不良を申告し抗原検査をさせてもらえないだろうかと班長に問い合わせた結果、「テストキットがもうない」とのことで、一向に検査させてもらえなかった。

10日目

誰もソシャゲとDLsite、アニメとマンガの話をしたがらない。Twitterあったかい…Twitterに戻りたい

手帳・10日目より

この日は掃除の仕事だった。仕事は滞りなく終わり、我々掃除班はコンビニ休憩を許されたので、そこでアイスバーを食した。陳腐な表現だがオアシス程この時のコンビニに適した言葉が無い。

仕事自体は無事遂行されたが、どうも隣のヤツ(体調不良の人)がかなり参ってる様子で、座って休憩していた。

仕事から帰り寝室で休んでいると、夜のインターネットタイムになり、集合場へ行くと班長から話がある。「みんなも見て分かる通り今は連隊全体が大忙しなんだ。だからスマホ時間も少なくなる」とのことで、この日は確か30分も自由時間が無かった気がする。
いつものようにことが運びこの日も平凡な1日に終わるだろうという慢心の隙を突くように、班長が番号を読み上げ、呼ばれた者は出ろとのこと。みなここで薄々察している。なぜならあいつがこの場にいないからだ。

先日から体調不良な同期は実際感染していることが、無いと言われたはずの抗原検査キットで判明した。勿論そのまわりの者は隔離棟行き。何を隠そう僕も班長の番号リストに名をではなく番号を連ねていたのだ。
コトは2日目より少し大掛かりで、なんでも最終日まで隔離棟で過ごすので、配給品も含めすべての荷物を隔離棟に運ぶよう指示を受ける。我々が向かった隔離棟は仰々しい名前とは対照的でかなりにぎわっていた。普通なら許されていないお菓子やドリンクの買い溜めも許されていて(そもそも部屋から出れない)、仕事も当然なく、みな隔離生活を満喫している様子だった。ここまで来たらあとはもう安心(もう最初からやり直しになる心配が無い)だなと、適当に時間をつぶしていた。僕はすでに持ってきた小説を読破し、数独のお題を持つ同期もどうやら陽性が出て直帰したそうで(今更補足するが陽性が出た当人は問答無用で直帰。周りの人はワクチン2回以下なら直帰、3回なら隔離となる)、僕は暇つぶしの手段が限られている中、寝室で見つけた新約聖書で時間をつぶした。僕は旧約のほうが好きだが、黙示録にはいろんなフィクションの元ネタが入っておりちょっとした満足感を得た。

余談だが、この隔離棟は管理がザルらしく(パイセンや班長はみな忙しいので当然っちゃ当然ではある)、隔離された10人中9人陽性になったと、ラストサバイバーの同期が教えてくれた。

消灯時間になり、この日も終わりを迎えた。

11日目

あまりにも暇で新約とにらめっこするだけの時間が流れてゆく。無為に無為を重ねていく…何もやることが無ければ実際メシ以外ない、ハラもよく減る。寝る、食う、ぼーっとするの繰り返し。ブタと大差ない生活も遂に、明日の16時に終わるのだ。

手帳・11日目より

この日はベッドから降りるとき何故かSAVOIR FAIREのロールでファンブルし怪我をした。利き手にかなりのダメージが入り、同期は「工場でもしょっちゅうやられてたよ」と手慣れた手つきで応急処置をしてくれた。ティッシュとテープだがないよりはマシ。(かなり時間かかったが一応ちゃんとした手当はさせてもらえた)

夜時間はある程度スマホの使用が認められ(我々10日目組は、androidの管制アプリの外し方が面倒くさい故隔離されたその日に前もって処理した。管制アプリがオフとなったので当然使用は認められず、android持ちの僕含め他2名は最終日までインターネットとおさらばした)、そこでスマホを持つものは思い思いの時間の潰し方を楽しんだだろう。

同じくandroid機なのでスマホが使えぬ仲の良い同期は人のスマホを借り、何かSNSを見ていた。ゴスペルにもうんざりしたので覗いてみると、自動車やバイクの写真、肉人間が踊ったりしている動画や、肉人間の写真を嬉々として見ていた。私には到底理解できず、されどかのプラットフォームには僕好みで一般人にも受け入れやすいコンテンツは転がっていなかった故、苦肉の策として犬猫の動画を見ろと野次を入れた。効果はいまひとつだった。思えば彼らの行動は我々(主語列化)がiwaraを見る行動とは根本レベルでは同じなのだ。

消灯時間の直前、班長から話があると伝言。我々は隣寝室で集合した。
班長は最終日にやること、つまり支給品の回収やAppleの管制アプリの外し方について説明した。この時のことが手帳──ではなく、メモの紙に記録されている。

班長は全てに疲れた顔だ
もはや言葉の一つ一つを絞り出すのに全身から力を振り絞っているかのようだ。皮肉や恨み言も言わなくなっている。

11日目のメモより

補足するとこの時の当直はあのちょっと怖い班長で、他の人は全員出払っていて、だれから見ても疲れ切っていた。お気の毒に。

いよいよ明日が最終日だ、僕はそう考えながらけたたましく響くエアコンの下で意識を失った。

一瞬の喜楽と失望のが伴う中意識が戻る。
トイレに赴き、水分を補充し再度原初的暗闇に戻ろうとする僕を邪魔するものあり。それは意識を凝らせなくても分かるくらいハッキリとしたのどの痛みだった。咳が先か痛みが先か分からないが両者は全力で僕の睡眠の試みを邪魔した。きっとエアコンの直撃と乾燥の影響だと自分にプラセボを投与しながらなんとか無意識へと復帰できた。

12日目(最終日)

痛い。
のどの痛みはメンヘラだった。なぜ私を無視するのですと言わんばかりに存在感を増し、厚かましく意識の隅で立てこもった。苦しい目覚めだが泣いても笑ってもあと10時間と考え半ば無理やりポジティブを保った。

この日は支給品を回収し荷物をまとめ、あとは帰るだけだった。

午後の廊下はまるで異世界。心地いい静けさだが、それが逆に怖ろしい

12日のメモより

朝食の時から病状は悪化する一方で、喉の痛み、めまい、徐々に激しくなる頭痛、咳、全身が焼けるような苦しみも姿を現す。座って休憩していると通りかかったやさしいパイセンが声をかけてくれた。「なにをしてる。人生について考えているのか?」パイセンの明るい声を裏切るしかないが、僕は自分の状態を話した。パイセンは真剣な顔持ちになり、この件の報告をしに行った。これは確か午前11時前のことだった。

支給品が徐々に回収されていき、消毒水でちゃんと部屋を掃除してから行けと指示され、掃除に取り掛かる雑兵たちだが、歩くのも苦痛な状態にある僕は当然その辺で休憩していた。
掃除が終わり昼食も終わり、しばらく休憩していると声がかかる。
「○○番。大丈夫か」意識を取り戻し眼鏡をかけると、班長が立っていた。「いけそうか?」いける以外を答えたらどうなるのか考えたくも無いし考える気力も無かったので、「多分なんとか」と返事をしまたしも休憩の時間になる。対症療法でもいいのだが痛み止めも風邪薬も特に与えられなかった。

全身が焼けて
どうにかなりそうだ
あと少しだけだ…
あと少し …

12日目のメモより

この日は肉体的も精神的にも、さらに物理的にも(手帳の)余裕がなく、あまり記録はつけられなかったが、実際に解放されるまでの数時間がとてつもなく長かった。もともと「何もせずじっとしている」時の体感時間は果てしなく長く感じるものなのに、それに流行り病の発症翌日が加わるともはや手も付けられない。世界で一番嫌な永遠がここにはあった。

永遠に続くと思われた待機時間が終わる。
百人以上の丸坊主が軍人に見えるのも迷彩を身にまとっている間だけで、いざ私服と荷物を身につけ、ぞろぞろと施設から出ていく隊列は実際、ムショから出ていくスジモンやレイプ犯そのものであった。最後の整列と号令。進め止まれの掛け声、軍靴ではないバラバラな足音。班長と雑兵キャリア最終日の坊主たちが軽口を叩き挨拶を交わす。

「ちゃんと更生しろよ」


この後は帰宅し、しばらくの間疫病に苦しめられたが、すでに話が雑多でまとまりが無いので、ここで切り上げよう。またこんど!


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