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そこまで尽くしてるの…? 宗教の力を感じた体験

こんにちは、らるです。

今日は、最近感じた宗教団体のすごさについて
話していきます。


私は、どちらかというと
お決まりの集まりに
お偉いさんが出る…みたいなことには
否定的な見方をしています。

何一つ喋らない会議に出る意味はない
その分さっさと仕事しろ
…と
思ってしまうからです。


ましてそれが、
一銭も得られないような
宗教団体の集まりだったらなおさら
です。

ただ、その団体での地位が高いから…という理由で
仕事を休んでまで、集まりに出る…

そんな話は、ばかげているとさえ、思います


いや、思っていました。

今日は、そんな私の考えが
少し変わった…という話をします。


私は、その数百人、一人一人に会っている!

今回の話は、私のとても身近な人のお話です。

その方は、とある宗教団体の中で
それなりの地位に居て
お金は一銭ももらえません
とりあえず、組織区分上は
数百人の集団の中での副長
…のような
立ち位置でした。

新年を迎えるにあたって
その数百人が一堂に会する場があるらしく
そこにどうしても「出なければいけない」ので
仕事が重ならないようにセーブしている
…と話していました。

しかも、特に出たところで
全体の前で話すわけでもなく
「ただ、出るだけ」なのだというんです。

それを聞いて私は

「それじゃ、出る必要なくない?
 仕事した方がいいでしょ」

と言いました。

その方は、
特に家が裕福ではありません。
私はそれをよくよく知っています。

たからこそ
言ってしまったことではあったのですが

めちゃくちゃ怒られてしまいました。

「私は、でなくちゃいけないし
 出たいと思ってるの!」

…と、

なぜなら

その数百人、一人一人と
私は会って、話を聞いている。

だから、私はその人たちの顔を見たい
きっとその人たちも、
私が居ないと、『なんでいないんだろう』と
寂しがる
と思うから。」


その方は、仕事を週3日に抑えて
残りの日は、大小の宗教の集まりに
かなりの時間を割いて参加しているらしいんです。

数百人と会って話をした…というのも
本当のことらしく

3~4人程度の集まりに
日に3回は出て、話を聞く

ということを、ずっとしているのだそうです。

何がそこまでさせるのか…

きっとその原動力が
信仰心なのでしょう

思い入れのある相手が
数百人いる集まりだ…となれば
それはもう、出ないでいられる方が
おかしいと言えるでしょう。

実際、その集まりにいけば
たくさんの人に声をかけ
そして、声をかけられて
沢山話している
ようでした。

話している方々が
皆笑顔でいるのを見ていると

きっと、そのコミュニケーションに
救われている方もいる
のだろうな
と感じてしまいましたし

宗教ってスゴイし
世の中を救っているのかもしれない、と
しみじみ思ってしまいました。


おかねがもらえる訳でもないのに
一人一人に尽くしつづける

それも、自発的に…

普通の会社組織よりも、よほどうまく
人を動かしています。

もしかすると、こうした
ある種の「宗教的な力」をもった
会社組織があると
すごい成果がでるのではないか

そんなことさえ、思ってしまいました。


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