見出し画像

ピアノをはじめたワケについて

ピアノを始めて2ヶ月弱たつけど、「なんでピアノはじめたの?」とよく聞かれる。

これをもうちょっと明確な言葉に置き換えてみると、きっと「なんであなたはピアノを選んだの?」と「なんではじめられたの?」っていう2つの質問に分けられそうなので、これについて考えてみることにする。
 
「なんではじめられたの?」=「なんで初心者なのにグランドピアノ買ったの?」っていう質問には、「中途半端は嫌だしピアニストになるのに必要だと考えたから」なんだけど、じゃあ「なんであなたはピアノを選んだの?」の方は立ち止まって言葉を選ぶ必要がある。
誰かの演奏にえらく感動したから、とか小さい頃からやってたから、とかじゃないんだよね。
 

まず30歳を手前にして、「死ぬまでの時間をどうやって使ったら後悔がないかな?」と考えた。

別の言い方をすると、「なにか合うものがあるんじゃないか」とか「ほかにあるんじゃないか」って頭の片隅にありながら別の何かをしていたくなかった。本当はやりたくないとか、生活のためにとか、そういった理由でなにかをするのを極力やめたかった。

つまり、自分のやっていることに対してしっくり腑に落ちていたい、っていうことをずっと考えていた。

「しっくり」って、なんだかウェッティに寄り添っているような印象があるよね。
 

そう、そのうえでやったことは2つ。
 
まずは自分の嗜好性を整理してみた。
30年生きてきて、何やってたら幸せかな?ってずっと考えてたけど、そもそもまずは「寝食を忘れてのめり込む」といった感覚が羨ましいな、ってずっと思っていたことに気付く。それと専門性を高めて本質に近づいていく感覚が好きで、面白いだろうなという風にも思っていた。つまり、自分がプレーヤーとして専門的に深めていくようなことをしたかったということ。
 

もう1つは、自分にできるかできないか?は考えないことにした。
僕はもともと嬉々としてリスクを取りまくるタイプではなく、できるだけリスクを減らし、第2第3の道を用意し、調整しながら進んでいくような考え方をするタイプ。だからできない理由を考えるのがすごく得意で、「まずは状況把握だ!」を免罪符に、つらつらと起こりうる悪いこと・障害になること・大変なこと・可能性のなさをあげ、自ら足を止めようとする癖があった。
今回でいうと「それで食っていけるのか」「才能あるのか」「30歳から初めてやっていけるのか」っていうのが次々と浮かび、この30歳のタイミングでなければ間違いなく、「できなさそうだからやめておこう」と考えていたはず。
 
そこまで整理して、自分の嗜好性を理解し、できるかどうかを無視したときに、なぜか「ピアノ」にジャンプしたんですね。
姉が弾いていたのを聞いていたとか、ピアノの音そのものがずっと好きだったとかそういったのは考えられるんですが、「ピアノに対する強烈な体験」があるわけじゃなく(忘れているだけなんですかね?)まだうまく答えられないんです。
 
「このコンサートで感動したのでピアノをはじめました!」とかだったらわかりやすくていいんだけど。

ただ今感じているのは、音楽は言葉を超えて伝わる、という使い古された事実の威力。
自分のInstagramでは日本人よりもアメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、UAE、オーストラリア、ブラジル、ロシア、イタリアなど、国外の人の方が気にかけてくれているのが面白い。そして僕も、どうせなら日本だけじゃなくて何十億という人と関わりたい。

それにはピアノって、比較的向いているような気がしてきました。

まあ、ピアノを弾き続けることは決めたので、そのうちこれだ!っていうのが出てくるはず。