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ピアノを弾くことと弾き続けること

「天才ピアニストは、初めてピアノに指を触れた瞬間から美しい音を奏でる」

僕はずっとそう思ってきました。

3歳からピアノに触っていたわけでもなく、自分にモーツァルトのような才能が備わっているとも思わない。小さい頃からずっとピアノに触れてきたような「努力する天才」には絶対に追いつかないんだから、自分がそのレベルになれないのにピアノをやる意味はない、と思って30年間生きてきました。

どうせやるなら極めたい、と男の子って思うものです。(※女の子でも)

僕は、物事は
「理解できたか、そうでないか」
「できるようになったか、そうでないか」
のような2極論で考える傾向にありました。
 「ピアノを弾けるか、弾けないか」みたいな感じです。

でもゼロからピアノを弾き始め、50日目を迎えて継続していると、そんな2極論でもないのかもな、って最近は思っていて。
 
気づいたのは、毎日継続することで、小さな修正が無限に積み重ねられていくこと。
例えば、指運びがどこかぎこちないところが、昨日よりも自分の手を動かしているという感覚が芽生えてくる。1の指と5の指の距離はこのくらい、という感覚がだんだん合ってくる。あれだけ考えないと弾けなかった指の動きが、勝手に動いてくれるようになる。ちょっとずつ少しずつ、自分の思ったとおりに自分の体が動かせるようになっていく感覚。

なので、坂道を登るように変化している感じが今はしてます。
 
そして坂道を登っていると、ある時急に目の前がひらける瞬間、というのを体験します。まるでスケボーのフィールドやスノボのハーフパイプの「ふち」にのぼった感じ。やったことないですが。
急にやろうとしていることができるようになる瞬間の爽快感と、あの不思議さはいまだに慣れません。
 
だからなぜできるようになったか、を明確に言語化しようとするのは難しいんだけど、それでもできるようになってしまうし、それが楽しい。(体に染み込んだという感覚で、英語ではマッスルメモリー(Muscle Memory)という単語があるらしい)
 
そして僕は、継続することによって得られる小さな変化の瞬間・一気に視界がひらけるその瞬間が、一番の娯楽じゃないか、と思っています。ありふれた日本語をつかうと「自分が成長した瞬間」を感じること。
毎日継続していると、その瞬間も毎日毎日体感することができます。
安西先生も「これ以上ない娯楽かもしれんね」と言っていましたがまさにそれ。

そうそう。話が逸れましたがそんな中で最初の話に戻ると、天才ピアニストは2種類いると思っています。

1つは感覚が優れていて飲み込みが異常に早く、瞬間的にできるようになる、世間がイメージしているモーツァルトのような天才。

もう1つは継続して変化を感じ続けられる天才。イチロー選手のように継続し積み上げることでプレーヤーとして極みに登り立ち、かつ続けられる人にしかできないことをしている天才。(ちょっと語弊があるかもしれないけど本人も言っているしまあいいか)

そしてもし僕が向かうならば、変化を感じ続けられる後者の方の領域だと思っています。

もちろん、幼少期からピアノしか弾かないようなストイックな生活を続けているピアニストはたくさんいて、僕は10,000時間チャレンジ!とか30歳からやってますが、彼らは50,000時間も100,000時間もすでに弾いている人生を歩んできているという厳然たる事実はあるわけですが。

それでも僕はピアノ弾きたい、って思っています。

極みのピアノを目指しながら、「ピアノを弾き続けた人」の鳴らす美しい音を目指していきたいと思います。