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「このはしわたるべからず」

規則と交渉したがる人々について。

「会食」についてでも「3密」についてでも、まず定義を決めさせて、定義の穴を探し、その穴をつくことを知的な振舞いだと誤解して、それで期待した成果が得られなかったら「定義のせい」あるいは「規則を喧伝したひとの責任」にしたがる人々が一定数いる。

ホテルの入り口に「イヌを連れて入らないで下さい」と書いていたら、それは「ラクダなら良い」って意味ではないのだけど、どうもそういう線引きを「しない」事を一種の処世術にしておられる人々がいらっしゃいますな。
「ラクダとは書いてないでしょ、はい論破」みたいな。

まぁ、一番多いのは「そこに規則があることを私は知らなかった」「私はその規則をこういう意味だと思っていた」なんだけどね。

なんというか、規則の成立理由を探して従うのでもなく、はたまた規則の不備があれば改正を求めるのでもなく、「抜け穴」を探して、自分の希望が通らなかったら規則〔喧伝者〕と「交渉する」あるいは「責任を取らせようとする」のは、個人的になかなか興味深い。
この文脈での「責任を取らせる」というのは、専ら「謝罪と賠償を要求する」という意味であることも興味深い。

養老孟司の言う「脳化社会」というか、自然とは交渉できないので、自然のルールを社会に翻案する人々と交渉しにくるという話である。

医者やってたら、病と闘うことを医療従事者と闘うことと勘違いしている人に会うことはしょっちゅうなので、自分の臨床の場では「こちらには敵は居ませんよ」と理解していただくのが最初の仕事ということはしばしばある。それはお給料を頂いたお仕事の一環なので、もちろん引き受ける訳なんだけど。

ウイルスと直接交渉しろよ。
知らんけど。

〔自然の摂理を説く猗窩座さん〕

〔2021.08.26追加〕

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