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或る友人について思うこと(下・哲学編/2,749字)

下記の記事から続きます。

長年に渡る気持ちは伝えたい、でも関係性を断ち切ることは何としても避けたい、来日した時に一緒に食事くらいはしたい。
この辺りが彼女の意向だという。
最大限に汲んだ上で、ゴーストライティングを進める。

・仰々しい感じの状況になってしまったことを軽く詫びる
・言いたかったことというのは、「あなたに好意を抱いている」ということ
・気持ちを伝えることで友人関係が破綻することが怖く、躊躇していたこと
・それでも、告げなければ後悔が残るだろうと思った
・変に気まずくはなりたくないので、重くは受け止めないで欲しい
・次に来日する際にはまた食事をしたい
・友人としての関係性は維持したい

内容としてはざっとこんなところ。
よくあるパターンの展開ではあるが、彼女の口調をトレースした形で文章を制作した。
昭和生まれのオジサンが彼女の気持ちを推察して作文したので無理はあるかもしれないが、相手も昭和のオジサン。
さして問題は無く気持ちは伝わるだろう。
もっとも、イギリス生まれイギリス育ちのイギリス人に昭和生まれも平成生まれもないのだが。

僕の文章を引用しつつ若干のアレンジを加える形で、彼女は彼に気持ちを伝えた。
今回は未読無視をされることもなかったようだ。

・気持ちを伝えてくれてありがとう
・自分にとって君は大切で、一緒に素敵な時間を過ごせる存在である
・また日本に行った時には会いたい
・これからも友達でいることを約束する

…というような、長文かつ英文の返信が書かれたスクリーンショットを、僕は彼女から送りつけられた。
画像化されたスクショゆえ、コピーして翻訳サイトに丸投げすることも叶わない。
寝起きが原因で低速回転の脳みそで翻訳し、とりあえずは僕も安堵した、ある日の朝6時。

僕は彼女の気持ちを言語化しているだけなのだが、まるで人の恋愛を代行をしているような錯覚に陥る。
この行為、相手方に対しては少々の罪悪感はあるが、あくまで本人の意思を尊重してのこと。
決して面白がってなどいない。
少しも楽しんでいない、と言ったら嘘にはなるのだが。

かくして、奇妙な名入れボールペンは、彼らの友情が今後も続く事を祈念するシンボルとなった。


意中の年下男性を食事に誘うにはどうしたらよいのかをアドバイスせよとの理由で深夜の居酒屋に監禁されたり、彼女が雇われの身から独立する際にはホームページやらロゴマーク、果ては看板・チラシまで作らされるなど、誰よりも長い時間を共に過ごしている。
もちろん、音楽をやる上では打ち合わせからリハーサル、本番と、これまた共有する時間は長い。

独立にまつわる作業については仕事として依頼を受けた格好なので、僕も仕事として全うしたし、それに見合う対価も得ている。
友人関係であり、音楽上のパートナーであり、ビジネスまでも仲立ちとした関係でもあるというところか。
「友人であっても人のスキルを搾取しない」という姿勢の重要性を意外と認識していない人も多いため、そうではない彼女に対して僕は敬意を払っている。
「一方的な依存関係」ではないので、僕としては付き合っていて心地が良い。
経営者としての彼女の立ち居振る舞いは立派なものだし、僕もまた多くの場面で彼女を頼りにしている。


他の友人と比較したところで何の意味も無いが、「友人歴」、「友人年数」といった考え方があるとすれば、僕にとってのそれは彼女が群を抜いて長い。
卒業、就職、転職、結婚、育児といったライフイベントをきっかけとして関係が希薄になったり断絶するケースは多いし、歳を重ねれば重ねる程、そのケースはむしろ増加していく傾向にある。
当人同士がそれを望んでいなくとも、自然淘汰されていくのが世の常なのだ。

そう考えると、こういった存在はなかなかに稀有で貴重なものだろう。
ましてよわい四十となればなおさらのこと。
もしかすると「既婚者のくせして女友達を大事にするとは何たることか」「自分の配偶者の気持ちを考えろ」と憤る方もおられようが、それについてはお好きなように解釈して頂ければと思う。
人にはそれぞれの正論や正義があるので、その是非に対しての反論もない。
無論、無用な不安や不快感を与える必要もないので、こういった関係性を妻に話すことはない。

ただ、僕が既婚者になる15年も前から、彼女は僕の友人なのだ。
ここに、女も男もない。

この辺りの思考整理をしたい気分になったのが、当記事を書き始めたきっかけだ。
彼女に限らず「友人」という存在に対する僕のスタンスは、こういった形を理想としているのかもしれない。


僕の文章に使うには珍しい単語を入れ込んだ件について、もしかすると多かれ少なかれ心をザワつかせてしまった方もいらっしゃるかもしれない。

恐縮ながら「まさかの展開」「衝撃の結末」「期待した通り(!)」というわけにはいかないが、せっかく長々と読んで頂いたのだ。
オチのようなものは必要だろう。
この記事の約4分の1の分量、残りの700文字程度で一応の回収をして、この物語を締めたいと思う。
あと少しだけ、お付き合い頂きたい。


僕と彼女には「S」という共通の友人がいる。

年齢は僕達よりも少し下だが、理知的で元気な女性だ。
現在は遠方に引っ越してしまった為その機会は激減したが、かつては3人で酒を酌み交わすことも多かった。

ずいぶん前に、僕がSと2人で酒を飲んでいた時のこと。
共通の友人である彼女についての話題になり、「どんなことがあってもセックスしない協定を結んでいる」というエピソードを話すと、こんな反応を返された。

「え?それってめちゃくちゃエロくないですか?」

まことに、奇妙奇天烈なことを言うものである。

この協定が仮に「どんなことがあってもセックスする協定」だった場合、これはエロい。
誰がどう見ても絶対的にエロいと言える。
FANZAあたりでダウンロード販売をしている作品のタイトルにあってもおかしくないし、そんなセンス溢れる作品、購入も前向きに検討したいところ。

しかしこれは「しない協定」なのだ。
しないのだからエロくない

する=エロい
しない=エロくない

囲むまでもない

見ての通り、小学生でも分かるロジックだ。
むしろエロとは対極に位置する協定である。

理解に苦しみSに真意を問うと、彼女はこう応じた。

「『協定』なんていう面倒で大袈裟な約束をわさわざ結ばないと、油断したらうっかり・・・・そういうことになっちゃうってことじゃないですか。それは充分エロい関係です。ただのエロい人達です。いい歳してそんなことも分からないんですか。小学生でも分かりますよ。」

寝耳に水。
灯台もと暗し。
無知の知。

僕はこの日、ことわざを身を持って体感し、哲学というものに初めて触れた気がした。

しない は する よりエロし。
物事というのものは、常に表裏一体である。

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