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『思考のエンジン』第四章「パレルゴンとエルゴン」のまとめ

『思考のエンジン』第四章のまとめです。

エルゴンとパレルゴンは共にギリシャ語。エルゴンは「作品」を、パレルゴンは「付属物・アクセサリー」を意味する。前者は本質的、後者は副次的なものを象徴し、プラトンは後者を軽んじたが、デリダはむしろ後者に価値を置いた。

日本語のワードプロセッサーは文字装飾などの機能を売りにすることが多く、それはパレルゴンを重視するという点でデリダと近しい部分もあるが同じではない。

プラトンからのロゴス中心主義は、超越的な存在を前提にし、それを現前させるという非生成的な行為とつながっていて、デリダやポスト構造主義者はその構造に抗おうとしている。しかし、日本語のワープロは、日本語で書かれた文章がそもそも論理構造(背後にロゴス中心主義を持つ)を有していないがゆえに、文字装飾などを売りにしている。つまり、直面した問題を乗り越えようとしているのではなく、そもそも問題に直面していないのだ。

であれば、日本語のエクリチュールを考える上では、すでに西洋近代が「乗り越えた」ロゴス中心主義=論理的に整合した文章をいったん目標にする必要があるのではないか、と確認される。

終盤では「アウトライン・プロセッサー」への言及が少しある。「文章を論理的に書くためのガイドラインとなるアウトラインを構成する作業をコンピュータ化したもの」という端的な説明がなされ、その道具が理論的に整った文章を書くという技能を一般市民に開いたと共に、同じ道具が「スケジュール、手順の検討、マーケティング戦略、法律文書」という官僚型組織の運営にも役立つことが示唆される。当然そこでは、

整った文章を書く行為=官僚型組織の運営

という構造的類似性があることが登場する。対象を思った通りにコントロールすること。

しかし、その「アウトライン・プロセッサー」は、むしろライティングを生成的に捉える観点から利用が広まったと、次章への導入で締められる。

このあたりは、Tak.さんの一連の著作を読んでいる人ならば「おおぉ」と感じることが多いだろう。

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